065 防衛戦6
時は少し遡る。
会議を終えたリヒトとティターニアを除いた配下一行は城外の広場へと集まっていた。森に侵入してきた敵を迎え撃つためである。
先の会議では、現在の敵の動向の確認と作戦の立案を行った。その際に彼らは、リヒトには参戦しないよう願い出た。
彼らとしては一国の主を戦場に出すのは、自らの実力不足を露呈させているようで避けたかったのだ。また、国家元首を戦場に出すのは、あるべき国の姿ではないと考えたのもある。無論、相手が“魔王”のような圧倒的な強者であるなら彼の力を借りる他ないのだが、それ以外では極力手を煩わせないようにするとの認識を配下たちの間で共有していた。
自らの力をリヒトに示したいという、ある種の自己顕示欲があったことも否めないが……。
今回、戦いの総指揮を取るのは天狗たちの長老ガハク。彼はリヒトの配下の中で最も人生経験が豊富だ。当然、その経験の中には戦いの経験も含まれている。
そんなガハクは今、瞑目しながらも心の中で静かに闘志を燃やしていた。【森魔国ミストア】の初戦の指揮を任されたことに歓喜し、『必ずやリヒト様の望む結果を』と意気込んでいるのだ。
すでに作戦は立てた。準備も万端だ。後はタイミングを見計らって出陣するだけである。
「ガハク殿! 敵が森の深層に達したぞ! 今のところ予定通りだ!」
葉妖精の一人――イリアが興奮した様子で言った。待ち望んでいた戦いの前とあって、彼女の覇気は十分だ。そんな彼女の装いは、ミニマムサイズではあるが騎士の装いそのものである。妖精騎士を自称するにあたって譲れない一線なのだそう。
「報告ご苦労。……さて、作戦の最終確認といこうかのう。まずは、侵入者――敵を逃がさないために森の奥へと誘い込む。これは達したと言えよう。後は誘い込んだ敵を悟られぬよう包囲していく。ここまでは良いか?」
各々は首を縦に振る。
「結構。その後、レブラントの合図で妖精のスキル――【草木操作】にて植物の壁を作製。敵の退路を塞ぐとともに混乱させる。そうして混乱させたところで妖精が敵陣営に魔法を打ち込む」
葉妖精たちが一斉に首を縦に振る。ガハクは、それを見て満足そうに一つ頷くと話を続ける。
「ちなみにじゃが、木の壁を作る時に一部だけ空けておくのを忘れるでないぞ? そうしておけば、その場所に退路を求めるはずじゃからな。完全に塞いでしまえば、一矢報いんとばかりに徹底的に抵抗されかねん。そうなれば、こちら側にも損害がでる可能性がある。じゃが、一部空けておくことで、そこに逃げ込もうとするはずじゃ。……そうでなくとも、あえて退路を作り出すことで、そこに退路を求めようとする者と、皆でまとまって抵抗しようとする者という形で意見の対立も望めるじゃろう。統一感のない連中の方が討ち取りやすいのは明白じゃしな。そのあとは人狼たちの出番じゃ。逃げ出した者を問答無用で倒せ。じゃが、一人だけは逃がすようにするのじゃ。外の連中がいる場所に案内してもらう必要があるしのう。我らはリヒト様と違ってダンジョンの機能は使えんから一度森に出てしまえば方向が分からなくなる可能性がある」
「分かりました」
レブラントが返事をする。
「次に森の外にいると思われる連中についてじゃが、奴等は我ら天狗が請け負おう。敵の大部分は森に侵入しておるのだから少人数でも問題ないじゃろうて。……質問はあるかのう?」
ガハクは出陣する面々を見渡して反応を見る。
「……無いようじゃのう」
ガハクはそう呟くと、息を大きく吸い込んだ。
「皆の者聞けいッ! 今回が我らの初陣じゃ! 一人たりとも逃がすでないぞッ! 我らは勝利を……いや圧倒的な勝利をリヒト様へ献上せねばならんッ! じゃがしかし死ぬことも許さんッ! 良いなッ!!」
ガハクの言葉に真剣な面持ちで皆が頷く。
「リヒト様の土地を土足で踏み荒らす愚か者共に鉄槌を下すのだ! リヒト様は仰られた! 遠慮はいらないと! 我らの魔族の恐ろしさを奴らの! その身をもって教えてやろうぞッ!」
『おおぉぉぉーッッ!』
「出陣じゃぁぁぁーッ!」
『おおぉぉぉおぉぉぉおぉぉぉーッッ!!!』
大きな大きな鬨の声が上がった。
ある者は自分達の平和な日常を奪ったことへの報いを。ある者は同胞を殺されたことへの復讐を。ある者は力試しを。ある者はノリで。様々な思いが込められた鬨の声は張られた結界で反響し、いつまでも響いていた。
♦︎♦︎♦︎
ところ変わって、ここは【帰らずの森】の深層部。
森を進む軍隊と、それに追随する冒険者たちは、あまりの不自然さに居心地の悪さを感じていた。
––静かすぎる
中層に入ってから全く魔物と遭遇しないのだ。
通常であれば、森で魔物に出会わないという事態はほとんどあり得ない。無論、運が良ければ会わないこともあるだろうが、今回のこれは運が良いで済ませられるレベルを遥かに越えていた。彼らが今感じているのは得体の知れなさからくる居心地の悪さ、気味悪さ、そして不気味さだけだった。そして、そのことを最も顕著に感じ取り、警戒感を露にしているのは、兵士たちではなく、常日頃から魔物を相手取って戦ってきた冒険者であった。
彼らは中層に入った当初も違和感を感じていた。しかし、事ここに至っては最早その程度では済まされない程に緊張し、張り詰めた様子でいた。そして、それは楽観主義的な考えを抱いていたヤングもまた同じであった。
「……どうなってるすかね、これ。あり得ないでしょ」
ヤングが少しだけ顔色を悪くしながら言う。普段であれば、話などせず、ただ周りを警戒するにとどめるのだが、彼としては、話をすることで、少しでも気を紛らせたいという思いがあった。だが、そうして話をしつつも、常に周りを警戒しているあたりは、さすが高位冒険者と言えよう。
「……そうだな」
そんなヤングの気持ちを知ってか知らずか、マルスもそれに答える。冒険者とて、常に周りを警戒し続けるには限界がある。人の集中力は常人で一時間程度しか持たないと言われている。しかし、高位冒険者は違う。彼らは日々の訓練によって、さらに長い時間集中力を持たすことが可能なのだ。そして、それはマルスやヤングもまた含まれる。彼らは伊達に数々の死線を潜り抜けて高位冒険者にまで登り詰めた訳ではないということだ。だが、そんな彼らとて、いつまでも集中力を持たせ続けられる訳ではない。話をすることは、一種のリラックス効果を望んでという意図もあるのである。
「ッ?! 何かくるぞッ! 警戒しろ!」
ヤングと話をしていたマルスが何かに気付き、大声を張り上げた。直後ズズズという鈍い音が地面から響く。
「なんだこれは?!」
マルスたち冒険者と軍隊を取り囲むようにして、突如として木の壁が現れた。
軍隊は突然の事態に混乱し、浮き足立つ。そんな混乱の中、マルスは木の壁の上に数十にも及ぶ小さな影がいるのを見た。その影はマルスたちを囲むかのように整列し、魔力を練り始めた。魔法を放つ前兆である。
「葉妖精だッ!!! 防御魔法を張れぇぇぇー!!!」
マルスが声を張り上げ、各々が防御魔法を展開する。その直後、色とりどりの魔法が放たれた。その魔法はマルスたちが張った防御魔法を襲う。防御魔法に葉妖精たちの魔法が当たる度に、周囲には轟音が鳴り響く。マルスたちは、この世の終わりかのような光景を見、まるで生きた心地がしなかった。
防御魔法の硬度は術者の力量による。特に短い時間で防御魔法を張るなら、その差は顕著なものとなる。一瞬の間に魔力を練り上げ、展開しないといけないからだ。つまり、何が言いたいのかと言えば、今回もまさしく、その例に漏れないということである。
軍隊所属の魔導師が張った防御魔法が葉妖精が放った魔法によって、ひびをいれられた。その小さなひびは魔法が当たる度に加速度的に広がっていき、やかて、パリンッという大きな音を立てて防御魔法が破壊された。この状況で、防御魔法がなくなることは何を意味するか? それは、火を見るより明らかであった。
葉妖精によって放たれた様々な魔法が軍隊を襲い、まるでこの世の終わりかのような地獄絵図を作り出す。地面は抉れ、木々は薙ぎ倒され、そして、それらを飛び散る液体が赤色に染め上げていく。
マルスは、それを見、手を貸したい一心に駆られるが、手出しは出来なかった。自らの身を守るだけで精一杯だったからだ。
「……すまねぇ」
マルスは防御魔法を張りながら、悔しさを滲ませる。
やがて、魔法による攻撃が止んだ。
軍隊はおよそ半数が死んでいた。残った半数のうちの三分の一は大なり小なり怪我を負い、三分の二は怪我こそないものの、極度の疲労と緊張、そして絶望の表情を浮かべていた。冒険者側のほうこそ損害は少ないが、表情は優れない。
さて。そんな状況下において、微かでも助かる可能性があるとしたら人々はどうするだろうか? 今回の状況で言うなら、木の壁が出現していない、つまりは隙間が空いていたとしたら……
答えは簡単だ。地獄の中に垂らされた一本のクモの糸にすがるように。その場所に退路を求めることになるだろう。
軍隊を構成する兵は精強だ。職業としての兵士を選び、厳しい訓練に耐えてきたのだから、精神力や実力が一般人と比べれば遥か高みにある。だがしかし、そんな兵士であっても生き物であることに違いはない。極限の状況で“生”にしがみつくのは生き物の性であろう。
兵士は唯一空いていた隙間に退路を求めて駆け出した。共に汗を流し、共に戦ってきた仲間には目もくれず、一目散にそこを目指す。彼らとて死にたくはない。本能的な部分でそう思う部分もあるが、それと同時に多くの者には守るべき家族がいる。ここで死に行くわけにはいかない。あさましくとも、醜くとも生きなくてはならない。彼らには生きて家族を養い、守っていかなければならないという義務があるのだ。生きて戻り家族に再会する。それが彼らの根底にあった。
マルスはそれを見て、これはまずいと落ち着くよう大声を張り上げるが、それはさして効果を及ぼさなかった。木の壁に囲まれた中で唯一空いていた場所を一目散に目指し走る兵士たちを止めることはできなかった。兵士とて分かっているのだ。その場所は空いているのではなく、空けられているのだということは。だが、そこしか生きる道がないのもまた事実。この場所に残っていては死ぬことは確実ならば、そこを目指すしかないのである。
そして、そんな兵士たちを木の枝の上から見下ろす者がいた。
「愚かですね。実に愚かです。森の中で私たちから逃げられると思っているのでしょうか?」
シュリが心底呆れたような声音で言う。
「言ってやるなよ。あいつらだって必死なんだろ?」
そんなシュリにコウガが肩を竦めて言葉を返す。
そんな木の上でのやり取りがされている中、冒険者たちの多くは葉妖精の魔法に冷静に対処をしていた。木の壁を背にしながら魔法が得意な者は障壁を張って、飛んでくる魔法を防ぎ、残りの者は自らの持つ得物で木の壁に穴を空けて脱出経路を確保しようとしている。
やがて、人一人がようやく通れそうな隙間ができた。
「ヤング! お前は逃げろ! 逃げてこのことを伝えるんだ! いいな!」
「マルスさんたちはどうするんすか?!」
「……後で戻る。お前は先に行け。どのみち俺らの体型じゃ、この隙間ではまだ通れん」
「ッ?! 分かったっす……。助けを。助けを呼んでくるっすから死なないでくださいよッ!」
「ああ」
「ご武運を」
ヤングは、彼の先輩冒険者たちが命懸けでこじ開けた木の壁をくぐって走り出した。残った冒険者たちも隙間を通れる者はそれをくぐる。そして、森の外目掛けて走り出した。
「お前ら! 気合い入れろよ! ここが正念場だ!」
「「「おう!」」」
残ったマルスたちが声を張り上げて自らを鼓舞する。
マルスは良識ある冒険者だ。普段であれば、今回のような美味すぎる依頼は受けなかったに違いない。だが、今回ばかりは受けた。自らの中に燻る魔族への憎しみ故に。無論、彼とて魔族のすべてが“悪”ではないと頭では分かっている。魔族だから滅ぼすべきだという世論は間違っているのだろう。だがしかし、そんな認識事実とは裏腹に彼の経験がそれを許さなかった。
マルスは地方の辺境村出身だった。そこでは仲の良い両親と弟、そして妹と暮らしていた。彼は長男として生まれ、将来は親の農地を継いで野菜を作るのが夢だった。しかし、その夢が叶うことはなかった。
それは突然の出来事だった。
マルスが山に食材を探しに行き、村から数km離れていた時、ドーンという音が村の方角から聞こえてきた。嫌な予感が頭をよぎり、急いで村へと戻ると、そこにはゴーッ! と火に包まれて燃え盛る村だったものがあった。
「生き残りか?」
声が聞こえてきた方向には魔族がいた。
「ここで殺すのは簡単だが……ふむ。今は機嫌が良いから生かしておいてやろうではないか! 俺の優しさに感謝するのだな!」
その魔族は愉悦に顔を歪ませると、翼をはためかせて飛び去っていった。
マルスは魔族に恨みを抱いた。自分の家族を村人を殺した魔族という存在その全てに。
今思えば、検討違いも甚だしいと思う。人間にだって善人もいれば悪人もいる。それは魔族であっても同じだろう。しかし、魔族へ復讐することはマルスにとっての存在意義であり、心の支えだった。この気持ちを捨ててしまったら自分には何も残らない。
マルスたちを再び、葉妖精の魔法が襲った。一度目の総攻撃からは何とか防ぐことができていた。しかし……
絶え間なく続く魔法攻撃を前にマルスたち冒険者は防御魔法を張り続ける。だが、圧倒的な魔力量を誇る種族を前に、それはいつまでも続くはずもなかった。
防御魔法が破られた。葉妖精の魔法がマルスたちを襲う。一人また一人と冒険者が地面に倒れ伏す。やがて、マルスもまた地面へと倒れ伏した。致命傷だった。もう残された命の時間は幾ばくもなかった。
マルスは消えゆく意識の中で走馬灯を見る。
今にして思えば、自分の人生は間違いの連続だった。だが、やはり最大の間違いは魔族への復讐に半生を費やしたことだろうか?
復讐が悪か正義かは分からない。だが、マルスは間違えたのだろうと思っていた。確かに彼は魔族にすべてを奪われた。でも、魔族のすべてを悪として復讐の対象にするのは間違いだったのだろう。事ここに至り、初めてそう思うことができた。
そんな彼の心情は家族や村人が死んで以来、一番穏やかなものであった。重荷を下ろせたかのような、つっかえが取れたかのような……。それは死に行く者のものとは思えないほどの穏やかさであった。
(ここにきて、このことに気付くなんて……俺は馬鹿だな)
マルスはゆっくりと眼を閉じた。周囲を漂う匂いも、冷たい土の感触も、頬を撫でるそよ風も。それらを感じ取ることはもうできなかった。あるのは辛うじて残っている意識ばかりだ。
(……来世では普通の幸せを)
冒険者マルスは薄れ消え行く意識の中、最後にそう願うのであった。




