063 防衛戦4
ガハクの口調を少し修正しました(18/1/22)
目の前に浮かぶ直径1mほどの大きな鏡には森の木々と、行進する多くの兵士が映っている。その鏡は、手を動かすと、それに合わせて鏡の視点も変わっていく、非常に興味深い代物だ。この鏡は“浮遊鏡”という【迷宮創造】が持つ機能の一つである。
鏡に映る森を進む兵士の数は、見たところ千には満たない程度――おおよそ900ほどといったところだ。その数だけを見れば、中々に脅威かもしれない。……ただ、一つだけ懸念事項がある。それは兵士の強さだ。
魔物や魔族は自己顕示欲が強い傾向にあるため、割と強さというものを測りやすい。己の魔力やオーラを隠そうとしないからだ。しかし、人間は違う。彼らは己の力量を隠したがる傾向にある。これが少し厄介なところでもある。
ある程度賢い魔物は自身が勝てないと判断するような敵には本能的に遭遇しないよう行動する。しかし、人間はそれを判断するための要素――魔力やオーラ――を隠してしまうので、強さの判断がしにくいのだ。結果、無謀な戦いを挑み、敗北する魔物や魔族というのは多くいるらしい。「らしい」というのは、この情報が我の知識によるものではなく、【知恵神】から知らされた知識だからである。
……ところで、鏡に映るこの兵士たちはどの程度強いのだろうか? これから戦うにあたって、その辺は知っておきたいところなのだが。【知恵神】、その辺分かるか?
《そうですね……人間の軍の強さは国によって多少の差はありますが、平均すればCランクの範疇にあります。無論、飛び抜けて強い者も中にはいますが、そうした者は軍属ではなく、冒険者になる傾向にありますね。鏡に映っている兵士は【シグマイン王国】の者ですが、その例に漏れることはありません。他国からは精強とされているそうですが、マスターからすれば誤差の範囲ですね》
なるほど。我が出る幕はなさそうだ。ガハクかレブラントあたりに指揮を任せて、撃退してもらうのも良いかもしれない。特にコウガたち天狗組は、迷宮で鍛えた力を試したくてウズウズしているから、ちょうど良いガス抜きになるだろう。
《私もそれで良いと思います。マスター抜きで十分対処できるでしょう。もちろん油断は禁物ですけれど。……仮にですが、もしマスターが参戦したら戦いはすぐに終わってしまって力試しなんかする余地がないと思います。まぁ、それだけランクの差というものは大きいということです》
じゃあ、その方向で決定としよう。今回の指揮を誰に任せるかは会議で決めるのが良いだろう。
そんなことを内心考えていると、コンコンと扉を二度ノックする音が聞こえてきた。我は部屋に入るよう許可を出す。
「リヒト様。全員集まりました」
中に入ってきたのはシュリだった。どうやら会議の準備が整ったようで、我を呼びにきたようだ。
「そうか。では会議といこうではないか。行くぞ、シュリ」
「はい!」
我はシュリを連れて部屋を出て会議室へと向かう。到着した会議室には、呼ばれていた者がすでに全員集まっていた。今日はあの出不精のエレンミアも来ている。彼女とて時と場合は選ぶのだろう。今回は敵が侵入してきたとあって、非常事態ではあるからだ。
我が会議室に入ったと同時に、面々は椅子から腰を上げようとしたが、それを手で制して空けられていた上座へと座る。
「それでは会議を始める。皆もすでに知っているとは思うが、この森にヒューマンの侵入者が現れた。数はおよそ900。【シグマイン王国】の兵士と雇われの冒険者だと思われる。これから話すのはその対策についてだ。……ただその前に、一つだけハッキリとさせておく。今回のことで戦いを避けるつもりはない。各々、そのつもりでいてくれ」
『はい!』
「結構。まずは敵の動向を確認する。……地図を描ける者はいるか? 簡単なものでいいんだが」
我がそう言うと、互いに顔を見合せ始めた。これは、誰かを使命する必要があるか? とも考えたところでガハクが手を挙げた。
「ではガハク。この森一帯の地図を描いてくれ。なるべく急いでな」
「承知。あちらの机をお借りしても?」
「良い。許可する」
「ありがとうございます。しばしお待ちくだされ」
ガハクは机まで移動すると、スラスラとペンを走らせ、渡した紙に地図を書き込んでいった。
この森に本格的な拠点――国を作るにあたり、上層部となるだろう主だった者たちと、森とその周辺の地形について調べたことがある。その時の知識は全員で共有しているので、周辺の地理状況は頭に入っているのだ。
そして描き始めて五分ほどが経った頃。
「これでどうですじゃ?」
ガハクが地図を描き終え、戻ってきた。そして、その完成した物を机の上に広げた。我を含む全員は地図を覗き込む。しかし、そこにあったのは――
「どれど……れ……」
《うわぁーこれは……ある意味芸術かもしれませんね》
『?!』
各々に衝撃が走った。
そこにあったのは……何とも形容しがたい紙に描かれた何かだったからだ。ぶっちゃけて言えば、超下手くそだったのだ。それはもう、ただの幼児の落書きにしか見えないほどに壊滅的なレベルである。他の者も我と同様、その酷すぎる出来映えに思わず絶句していた。エレンミアもいつも眠そうに細めている眼をこれでもかというほど見開いている。それほどまでに衝撃的だったのだろう。自信満々に引き受けたかと思えば、颯爽と描き出したので、それなりに見れる地図を描けるのだと思っていたのだが……それはどうやら、ただの幻想だったらしい。
我はひきつる顔の筋肉をなんとか総動員させて、努めていつもの顔を作り出す。
「……ガハク。すまなかった。お前にはお前の……うむ。お前のやるべきことは地図を描くことではなかったのだ。お前の真髄は、その経験豊富なところにある。今回はその経験を生かして指揮を任せることにする。頼んだぞ?」
「何か……釈然としない思いがしますが……承知したのじゃ」
「……他に誰か絵に自信がある者はいるか?」
誰も彼もが明後日の方向に視線を逸らした。この場には絵に心得のある者はいないらしい。かくいう我も絵には自信がない。今まで書いたことがないので当たり前と言えば当たり前なのだが。
だが、そんな空気の中で、ただ一人だけ、おずおずと手を挙げる者がいた。
「リ、リヒト様。僭越ながら私が描かせていただきたく思います。よろしいでしょうか?」
フィリアだ。彼女は自己主張が少ないところがあるが、我のことを思いの外慕ってくれている。やはり命を救ったということもあって、非常に大きな恩を感じているようなのだ。我もまた彼女に対しては、自身の眷族ということで他の者にはない感情を抱いている。無論、恋愛感情ではなくて家族愛のようなものだが。
そして、描き出したフィリアであったが……その出来はとても素晴らしいものであった。ガハクとは違う意味で、我を含めた皆が絶句している。
こう言っては何だが、フィリアは今まで影が薄かった。料理はできるが、ティターニアやシュリほどの腕ではないし、戦闘も元々人間だった影響からか、あまり得意ではない。血を見るのが苦手なのだそうだ。最近では、生活能力が壊滅的なエレンミアに甲斐甲斐しく世話を焼くお守り係がすっかり板についていた。そんなわけで、あまり目立たなかった彼女だが、ここにきて意外な能力を示したのである。
出来上がった地図は及第点レベルを軽く通り越して、芸術的な価値が出そうなレベルにまで至っていた。まさか、これほどまでに絵が上手いとは思いもしなかった。本人に聞いたところによれば、今まで一人でいることが多かったので、一人でもでき、且つ金がかからない絵を密かな趣味としていたのだそうだ。今でも暇があれば絵を描いているらしい。出来をみれば趣味の範疇にないのは分かるので、フィリアには絵を描く才能があるのだろう。
「フィリア。お前、絵が上手いのだな。驚いたぞ」
「い、いえ、そんな」
「今度、何か描いてもらっても構わないか?」
「は、はいッ! 喜んでッ!」
フィリアは顔を赤く染め、照れた様子を見せながらも喜色満面で答えた。その後、我以外の者もその地図を絶賛し、口々に褒め始める。だが、彼女はそんな風に褒められるのに馴れていないのか、少し居心地悪そうにモジモジとしていた。だが、上手いと言われるのは嬉しいようで、その顔には笑みが浮かんでいる。それを見て、少し微笑ましく思いながら、横道に逸れかけている話を元の道に戻す。
《横道に逸れるきっかけを作ったのはマスターですけれどね》
……。
「……そろそろ会議を再開するぞ」
『はい!』
では早速。この地図を使って作戦会議といこうか。




