062 防衛戦3
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森に繰り出した三人は外側――表層に向かって進んでいた。途中で、森に住む魔物に幾度か遭遇したが、前回のように追いかけてくるということはなかった。彼女らは迷宮化によって、この森の魔物が自分たちを襲わなくなったということは知っていたが、実際に目にするまでは、内心戦々恐々としていた。以前住んでいた森に住んでいた時も、魔物に何度か襲われたことがある。彼女らにとって魔物に遭遇しながらも襲われないというのは真に不思議な感覚であった。
「ほんとに襲われないんだ……」
リーリアは狼型の魔物の前を飛ぶが、その魔物は目で追うだけで、襲うような様子は一切見受けられなかった。鼻先を触っても鬱陶しそうに顔を左右に振るだけで、それ以上のことをしてくる様子はない。襲われないことを身を以て知った彼女は、調子に乗って魔物の全身を触りまくる。しかし、やはり襲うような様子はなかった。
「アリアも触ってみれば?」
リーリアは一通り触って満足したのか、今度はアリアに触ってみるよう勧める。
「やだ。怖いし。それよりも早く行こうよぉ」
アリアはリーリアの提案に首を横に振ると、拒否の意を示す。
「えぇー今までこんな機会なかったんだから触ってみればいいのに。相変わらず怖がりだなー。……イリアはどう?」
「ふむ。では、少しだけ」
イリアは魔物の下までパタパタと飛んでいき、その首の根元辺りに腰を下ろす。
「ふおぉー! これはいいな! なんか騎士っぽいぞッ!」
「イリア~危ないよぉ」
興奮し出したイリアに、アリアが心配そうな声を上げる。
「大丈夫だぞ。アリアも触ってみるといい」
「やだ。だって怖いもん」
「むう。アリアは怖がりだな」
「怖がりでいいもん。……ふんだ。二人して」
アリアは、二人から怖がりだと言われたためか、頬を膨らませてそっぽを向く。どうやら少し拗ねてしまったようだ。リーリアはそれを見て苦笑いすると、魔物の下を離れて、アリアに近寄っていく。
「ごめんごめん」
「……ふんだ」
リーリアは、両手を合わせて頭を少し下げて謝るが、アリアはそっぽを向いたままだった。
「今度、ティターニア様が作ったお菓子あげるから」
「……ほんと?」
「ほんとほんと」
「しょうがない。許す」
ティターニアの作る菓子はとんでもなく美味しい。それはリヒトを始め、全員がその認識を共有している。三度の飯よりも甘い物が好きな妖精にとっては、そんな彼女の菓子をあげることは割と上級の謝罪に等しい。逆に言えば、妖精への謝罪は美味しい菓子をあげれば済んでしまう。大した金品を必要としないので、お財布に優しい種族と言えるかもしれない。
「ありがと。……じゃあ、そろそろ行こうか。イリア! 行こう!」
「ちょっと待ってくれ。コイツをうまく操りたいんだが、全然言うことを聞かないんだ」
イリアは魔物の背に座りながら、意図する方向へと進ませようと指示を飛ばしている。しかし、魔物はその指示に全く従う様子は見せず、むしろ迷惑そうに体を揺すり、彼女を振り落とさんとするばかりであった。彼女も負けじと体毛を掴んでしがみつき、振り落とされてなるものかと、必死にもがいているが、やがて大きく身を揺すった魔物に振り落とされてしまった。魔物は再び捕まったら面倒臭いとばかりに、そのまま足早に立ち去っていった。
「くそっ。何で言うことを聞かないんだ。折角いい騎獣を見つけたと思ったのに……」
「いや。当たり前だから。魔物が従うわけないじゃん。リヒト様に頼めば分からないけど、普通は無理だって」
リーリアは少し呆れた口調で、悔しがるイリアに言う。
「さて、昼までには帰らないとご飯食べられなくなっちゃうから早く行こう」
「むっ。それは駄目だな。“腹が減っては戦はできぬ”と言うしな」
「私も昼抜きはやだ」
リーリアの意見に残りの二人は賛成する。
「じゃあ、行こう」
「りょーかーい」「承知」
そして、三人は森の表層に向けて再び飛び始めた。
♦♦♦
森の表層に向かって飛んでいた三人であったが、やがて普段の森にない、多くの気配があることに気付いた。平時ではありえない数の気配に三人は顔を見合わせて困惑する。
森の中を進めば一定数の魔物に遭遇する。それは普通なら避けようのないことだ。しかし、その数は決して多くはない。ゴブリンやオークのような魔物は別だが、多くの魔物は群れを作らない。一定数以上の魔物に遭遇することは中々あるものではないのだ。
三人は気配がする方へと静かに飛んでいき、やがて風変わりな一団を視界に捉えた。その一団は当初予想された魔物の集団ではなかった。その一団はリーリアたちが今までに見たことがない数の人族で構成されていた。その人族たちの顔は厳つく、明らかに観光などといった様子ではない。むしろ、これから戦いに赴く者特有の剣呑な雰囲気を纏っていた。
「兵士? なんでここに……。これはリヒト様に早く報告しないと」
「だね。早く帰ろう」
アリアは、これ幸いにと同意する。いくらリヒトの支配下にある森と言えども、やはり怖いものは怖いのだ。ましてや目の前には見たこともない数の人族。彼女は恐れ慄いていた。そして一刻も早く、この場を立ち去ろうと必死であった。
しかし、それに同意しない人物が一人。
「くっくっく。飛んで火に入る夏の虫とは奴等のこと。我が愛剣の錆びにしてくれる」
イリアである。彼女は腰に差した20cmほどの剣を鞘から抜き去り、頬を上気させながらも視線だけは射殺さんばかりに軍隊をねめつけていた。
イリアは今興奮していた。出発前に妄想していたシチュエーション。それが現実となりつつある展開に、彼女は自分を押さえられなくなっていた。今の彼女の頭の中にあるのは、バッタバッタと敵を薙ぎ倒す己の勇ましい姿。そこにいたのは、侵入者を一人で薙ぎ倒す私カッコいい! と考える、一人の暴走妄想少女であった。
「「えっ?! ちょっ?!」」
「覚悟しろッ! 侵入者めッ! 突げうぐッ」
リーリアとアリアは、鬨の声を上げながら軍隊に突撃しようとしたイリアを羽交い締めにして、それをすんでのところで阻止する。
「うん? 今何か聞こえなかったか?」
兵士の一人がイリアの声を聞いたのか、足を止めて隣にいた兵士に聞く。リーリアたちはイリアを羽交い締めにしたまま木の影へと隠れ、息を潜めた。
「そうか? 俺は何も聞こえなかったが……」
もう一人の兵士は何も聞こえなかったようで、回りを見渡しながら首を傾げていた。
「気のせいか……?」
「そうじゃないか。そんなことより早く行くぞ。……ったく人狼もこんな森に隠れやがって。見つけたらぶっ殺してやる」
兵士は再び、歩を進め始めた。
「「危なかったぁー」」
リーリアとアリアは、気付きかけた兵士が見えなくなったところで安堵の息を吐く。
「ん~ッ! ん~ッ! ん~ッ!」
そして、そんな二人をタップする妖精が一人。イリアは顔を真っ赤にしながら足をばたつかせ、手で二人の腕を高速でタップしていた。二人は急いで、塞いでいたイリアの口から手を退ける。
「ぷはっ。殺す気かッ!」
「「?! しぃーしぃー」」
リーリアとアリアは人差し指を口の前に立てて静かにするように促す。幸いなことに、今度のイリアの声は誰の耳にも聞きとどめられることはなかった。彼女たちは、それを見て再び安堵の息を吐く。
「あっすまん。……ではなく! 口を押さえるのは百歩譲って許すが、鼻まで塞ぐなッ! 息が出来んだろうがッ!」
イリアは怒り心頭といった様子で、声を潜めながらも二人に文句を言う。
「「ご、ごめん」」
「……仕方ないから許す」
「へへへ。ありがとう……って! 元はと言えば、大きな声を上げたイリアのせいじゃん! 感謝こそすれ謝らせるってどういうことよッ!」
「そうだーそうだー横暴だー」
アリアは、リーリアの反論に賛成の意を示す。しかし、リーリアを矢面に立たせ、自らは彼女の背に半身を隠しながら、である。“虎の威を借る狐”とはまさしくこのことであろう。
「うぐっ。……そんなことよりも早くリヒト様に伝えねばなるまい」
「あっ。話題逸らした」
「いいから! 早く行くぞッ!」
イリアは街に向かって、そそくさと飛んでいってしまった。
「全く……アリア行こう?」
「うん」
残された二人も先を行くイリアに続いて街に向かって飛んでいくのだった。
♦♦♦
「――ということがありました! 狙いは人狼の皆みたいです!」
「……なぁ」
「何ですか?」
「最初の下り、いらないんじゃないか?」
リーリアは長々と語っていた。だが、そのほとんどはどうでもいい情報だった。というか、重要なところまでの話が長い。何処かの国の兵士を見たというところを言うだけで良かっただろうに。
「まぁそれはそれ。これはこれ。です」
「意味が分からん。まぁいい。報告は分かった。軍隊についてはすぐにこちらに来るわけではないだろう。監視をして動向を把握しておこう。……初めて迷宮の機能が役に立つな」
迷宮を創造し、その管理ができるスキル――【迷宮創造】には様々な能力がある。その内の一つに迷宮内の映像をリアルタイムで見ることができる能力がある。それを使えば、侵入者の動向を気付かれることなく容易に探ることができるのだ。
「ティターニア」
「はい」
「これから対策会議を開く。いつもの面子に声を掛けておいてくれ」
「承知いたしました」
「さて。愚かな侵入者どもを盛大に歓迎してやろうではないか」




