061 防衛戦2
「リ……ーッ!」
ティターニアに茶を淹れてもらいながら、朝食後のティータイムを楽しんでいたところ、突然我の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。
「うん? 今呼んだか?」
「? いえ」
顔を上げてティターニアに聞くが、彼女は否定する。空耳だろうか? 確かに何か聞こえた気がしたのだが……。
「リ……様ーッ!」
今度は先程よりもハッキリと聞こえてきた。空耳ではなかったようだ。声の調子から考えるに、どうやらリーリアの声らしい。その声は開けていた窓の外から聞こえてくる。
「リーリアだな」
「そのようですね」
今度はティターニアにもハッキリと聞こえたようだ。彼女も我と同じように窓の外を見ている。
やがて、リーリアの姿がハッキリと見えるようになった。小さな体の背に生えた羽根を忙しなく動かしていることから、かなり急いでいるように見えるが……。
「リヒト様ーッ! へ、変な奴らが森に入ってきましッ?!」
そしてリーリアは、猛スピードで飛びながら開いていた窓から入ってきた。……が、目測を見誤ったのか、スピードを落としきれずにテーブルへと突っ込んだ。
ズザァーという音が聞こえてきそうな見事な顔面スライディングを決めたリーリアは、テーブル上にあった物を軒並み巻き込み、共に床へと落ちていく。派手な音を立てながら落下した茶器は床に当たって割れ、その破片が周囲へと飛び散った。
そんな事態を引き起こした当のリーリアと言えば、尻を上に突き出した状態で頭に大きなたん瘤をつけながらピクピクと痙攣していた。そしてティータイムを邪魔されたティターニアと言えば……彼女は俯きながらワナワナとその小さな体を震わせ、噴火寸前の火山の様相を呈していた。そして――
「リーリアぁぁぁーッ! またッ! またあなたですかッ!」
溜め込んだ怒りの感情を噴火させ、リーリアに言い募った。肩を怒らせながら、腰に手を当てて言い募る姿は、はたから見れば全く怖くはなく、むしろ微笑ましさすら感じるのだが、それを言ったら拗ねそうなので黙っておくことにする。
「げ、ティターニア様?!」
リーリアはティターニアの声が聞こえるや否や、ガバッと体を起こし、“やっちまった”というバツの悪い顔を浮かべる。そして、タラタラと冷や汗を流し始めた。
「『げ』とは何ですッ! 『げ』とはッ! あなたは毎回毎回ッ!」
「え、でも「でももヘチマもありません!」……はい」
「大体リーリアは落ち着きがなさすぎるのです! 昔からあなたは「ちょっと待て」……どうされましたか? リヒト様?」
ティターニアは変わり身が早い。つい先程までは、いかにも“私怒ってます!”という表情をしていたのだが、我が声をかけた途端に破顔一笑しているのだ。……まぁそれが彼女の可愛らしい面と言えば、まさにその通りなのだが。好意を示されて悪く思わないヤツはいないということだ。
そんなティターニアに対して、リーリアは“助かった”という表情をし、服の袖で額の冷や汗を拭いながら、フーと息を吐いていた。だがおそらく、後で怒られることになるのだろう……。彼女としては今が良ければ良いらしい。いかにもな妖精的思考である。
妖精は、先のことよりも今を楽しく生きられれば、それでいいと考える者が多いのだ。それは妖精の良いところでもあり、また悪いところでもある。故に、その性質が良いことかどうかというのは一概には言えないが、個人的には好ましい思考だと思う。
で。リーリアのことなのだが、彼女もまたそういった面が見受けられる。今回の出来事に関してはティターニアの説教を回避できた。しかし、それはあくまで今はである。彼女の確定した未来にはティターニアに怒られるというのが追加されていることだろう。
だがまぁ、それは自業自得というものだ。何しろ、ティターニアが大事にしていた茶器の悉くをこの世から葬り去ったのだから。
というわけで、未来のリーリアに冥福を祈ることにする。
《……それ、使い方間違ってますよ?》
「……ごほん」
《あっ。誤魔化した》
「リーリア。何か報告があるのだろう? 先程の口振りでは侵入者があったと聞こえたのだが?」
気を取り直してリーリアが急いでいた理由を尋ねてみる。先程は「変な奴らが森に」とか何とか言っていた。ということは侵入者が来たということなのだろう。だが、態々報告までしてきたのは少し腑に落ちない。今までも冒険者連中が度々侵入してきたが、それで報告までしてくることはなかったからだ。
「そうです! 森にたくさんの侵入者が現れました!」
「何? 詳しく教えてくれ」
「はい! あれは今朝森を探検していた時のことでした!」
♦♦♦
時は今朝方の早くまで遡る。
今朝のリーリアはいつもよりも早く目を覚ましていた。太陽が昇る時間――日の出の時間に目を覚ました彼女は、柔らかなベッドの上で猫のような伸びをすると、両手の人差し指で両面をこすり、大きなあくびをした。そしてベッドから腰を上げると、寝惚け眼で窓を開け放つ。窓からは朝のヒンヤリとした空気が入り込み、それがまだ覚醒しきっていなかった彼女の意識を急激に浮上させていった。
「さむいッ!」
リーリアは寒さに身を震わせ、カッと目を見開いた。急いで窓を閉めると、再びベッドへと戻り、シーツを身に纏う。そして、そのままベッドの端へと腰を下ろした。
「なんか、早く目が覚めちゃったな……どうしよう。何しようかな」
リーリアは腕を組んで、しばしの間思案する。
「……う~ん。そうだ! 森を探検しよう! アリアとイリアも誘おうっと」
アリアとイリアは、リーリアと仲が良い妖精だ。昔から三人でよく遊び、そして……よくイタズラをしていた。故にティターニアからは問題児三人組と認識されているが、それは本人たちは預かり知らぬ話だ。
リーリアはシーツをベッドの上に投げ捨てると意気揚々と部屋を飛び出し、アリアとイリアの部屋へと向かっていった。
♦♦♦
「えーっ?! 森に行くの?! 前に三人で行った時、散々な結果だったのに?!」
アリアは、リーリアの「森に行こう!」という突然の提案に難色を示した。彼女たちは以前、森を探検しに行き、魔物に追いかけ回されたことがあった。その時は偶然にもレアハが助けてくれたのだが、下手をすれば今頃は魔物の血肉となっていただろう。
アリアは、リーリアの今回の提案を聞いてそれを思い出したようで、少し青い顔をしながら全力で首を横に振り否を示す。また、彼女は少し臆病なきらいがあるので、そうした性格もそれに強く影響している。
「大丈夫だって! リヒト様が森の魔物を支配下に置いたらしいから、もう襲われないよ? それに人狼の人たちを捕獲? しに行った時は付いてきたじゃん!」
「だって、あの時は皆いたし……」
森に進入した人狼たちを、リヒトに連れてくるよう言われた時は多くの妖精の仲間がいたことに加え、森の主だったレアハもいた。それだけの布陣ならばアリアの臆病さは鳴りを潜めるというものだ。
「いいじゃん! 行こうよ!」
アリアはベッドの足にしがみつき、森に行かないという確固たる意思を示しながら、腰に手を回して引っ張ってくるリーリアに抵抗した。リーリアも負けじと引っ張るが、所詮は非力な妖精同士。はたから見ればじゃれ合っているようにしか見えなかった。そして二人の戦いは、押しも押されもしない膠着状態へと陥った。
「いーやーだー」
「行ーこーうーよー」
「私は行くぞ」
そんなことが繰り広げられる中、リーリアのもう一人の友人――イリアが言葉を発した。二人は動きを止めて同時にイリアを見る。
「私たちはこの森に国を作って住んでいる。国同士の争いというのは世の常だ。いずれは森で戦うことがあるかもしれない。ならば! 予め森を知っておくことは重要なのではないか?!」
イリアは、いつしか見た“騎士”という存在に憧れを抱き、“妖精騎士”を自称している。彼女の頭の中では今、森に侵入してきた敵を華麗な剣捌きで圧倒する自らの姿が浮かんでいた。
そして、しばしその妄想に思いを馳せた後、一つ頷くとアリアの確保に参加する。
イリアが参加したことによって形勢は傾き、アリアの必死の抵抗は虚しくも終わりを告げた。
アリアは、リーリアとイリアに半ば引きずられるような形で窓際へと連れていかれる。そして両脇を固められて逃げられないようにされた。リーリアとイリアはそのまま羽根を広げ、アリアも渋々と羽根を広げると、三人は外へと飛び出した。そして、森の中へと消えていくのであった。




