052 人狼1
世界【ユグドラシル】の北方には広大な草原地帯——といっても所々に巨大な岩が散在している——がある。
大人の膝丈まである草原の草は吹く風でユラユラと大きく左右に揺れている。もし、その草原地帯を歩く者がいれば、丈の長いその草が歩く者を煩わせることになるだろう。そして、同時に体力を削ることになるのは想像に難くない。
また、今日の天気は快晴。真っ赤な太陽からは燦々と光が降り注いでいる。情け容赦のないその光の暴力は、道行く者の体力を更に削り取るだろう。
そして現在。
そんな状況下にある草原地帯を歩いて移動する集団がいた。およそ二百人からなるその集団は、遥か前方に見える、とある森を目指して歩を進めていた。
彼らの種族は人狼。Aランクに分類される魔族の一種族である。
人狼は種族進化をしないが、その代わり、生まれながらにAランクの能力を秘めている。そのような事情により、人間よりも遥かに強靭な肉体を持つ彼らは、多少長い時間歩いただけでは大して“疲れ”というものを感じることはない。
しかし、それが数日も続けば話は別だ。
彼らは今、歩き続けて三日目を迎えているのである。
彼らの多くは怪我こそしていないが、その顔には大きな疲れを滲ませていた。ある者は倒れそうなほどフラフラとし、ある者は木の枝を支えにして辛うじて歩いている有様である。
そして、そんな集団のうち、およそ四割を占める武器を持った戦士たち。彼らは皆、何かしらの怪我を負っていた。裂傷や火傷、擦り傷……etc。傷の程度には差こそあれど、幸いなことに重症者はいない。
しかし、そんな状況にあっても彼らが足を止めることはなかった。
彼らがそんな状況に陥ってまで足を止めずに突き進んでいる理由。
それは——
——彼らの身に危険が差し迫っているからである。
ある日を境に、突如として始まった人族による魔族狩り。
それは、とある小さな森の中にある人狼の集落で、平和に過ごしていた彼らの身にも襲いかかった。
彼らは思う。“何故? 我らがいったい何をしたのだ?”と。
しかし、そんなことを考えても答えなど出ない。今重要なのは実際に襲撃され、自分たちの命が危険に晒されているということ。ただそれだけだ。故に、彼らは命辛々、集落を脱出した。
そして、集落を脱出すること三日。彼らはこうして草原地帯を歩いているのである。
彼らが目指すのは遥か前方に見える森——【帰らずの森】。そこを目指して只管に草原地帯を突き進む。
だがその時。後ろには冒険者が一人、そんな彼らの動向を探る諜報任務に当たっていたのだが、疲労に疲労を重ねた彼らがそれに気づけるはずもなかった……。
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魔王ゼノフィリウスの実力を把握するために【グラム峡谷】へと赴いた日から一ヶ月あまりが経過した。
その時に新たな眷属となり、仲間となったエレンミアは今——
物凄く受け入れられていた。
我も驚きの早さである。
特にフィリアに受け入れられたのは早かった。出会った翌日には意気投合していたのだ。そして、一ヶ月経った今となっては、とても仲が良いらしい。元々同じ人間だったから、という理由が一番大きいのだろう。まぁ種族こそフィリアは元人族でエレンミアは元半森人族だが。
また、受け入れられたのは何もフィリアにだけではない。コウガたち天狗やレアハ、そして妖精たちにも仲間として受け入れられているのだ。
そのような形で、エレンミアが受け入れられた一番の要因は、様々な魔道具を作れたからに他ならないだろう。それが掴みとなって今のこの状況になっているのである。
今、彼女によって作られた魔道具は、遊びや料理に引っ張り蛸となっている。
そのうちの、いくつかを紹介するとしよう。
まず、遊びに使われているのは魔力を注ぐと、無限に水を吐き出すロープ状の魔道具だ。それは本来、遊ぶためのものではないらしいのだが、楽しそうに遊ぶ妖精たちを見ていると、そんなことはどうでもよいか、と思う。ただ、城の周辺を水浸しにするのはやめてほしいものだが……。
そして、その水を吐き出す魔道具に関してなのだが……夜な夜なティターニアがその魔道具で遊んでいるのを偶然にも目撃してしまったことがある。しかし、この時の我は声を掛けない方が良いと感じ、そのまま静かに立ち去った。【知恵神】も《言ってはダメですよ? 絶対に言ってはダメですからね?》と言っていたので誰にも話してはいない。
もし、万が一にでも、そんなティターニアの姿を、我が目撃したと知ったら、彼女は大層落ち込むに違いない。そして、間違いなく部屋に引きこもってしまうだろう。
実は以前、ティターニアが寝ぼけているところを偶然にも目撃してしまい、二日ほど部屋に引きこもられたことがある。その時はシュリの励ましでなんとか出てきてもらえたが、今回のことがバレたらどれだけ引きこもることになるのやら……。
彼女は、我の前では完璧な側仕えを演出したいらしいのだ。それは普段の様子から何となく察した。というわけで、この件は墓場までもっていこうと思う。……って我には寿命がないのだった。なら一生黙っておくことにしよう。
ちなみに、水を吐き出す魔道具は妖精たちの他に、たまにガハクが使用している。彼の密かな趣味だという庭いじりの際、その魔道具で水をあげているのだ。そして、エレンミアに聞くところによると、それが本来の使い方でもあるらしい。
もう一つの、料理に使われているものは、魔力を注ぐと、回転する三本の刃で果物や野菜などを砕き、そして混ぜ合わせることができる魔道具だ。これは我が城の料理番であるシュリとティターニアに大好評となっている。“料理のバリエーションが広がりました!”とは、シュリの談だ。
ちなみに、我も、エレンミアが作製する魔道具には非常に興味を持っている。
魔王ゼノフィリウスが持っていた映像を記録する魔道具。すでにアレを作ってもらった。そして、コレが中々に興味深い。他の魔道具もどんどん作ってもらいたいものである。
本来なら、このような形で次々と作製依頼を出すのは気が引けるが、エレンミアは魔道具作りに関しては嬉々として取り組んでくれる。普段は、やる気のなさの塊のような奴であるが、こと自分が興味あることに関しては、とことん取り組めるタイプらしい。
まぁ何はともあれ、彼女がもたらしてくれる影響というのは非常に大きい。
彼女を仲間にしてよかったと思う今日この頃である。
さて、そんな日常を過ごしていた我であるが……実は今、少し困っていることがある。それは、我が拠点を構えている【帰らずの森】に二百人以上の魔族——人狼が現れたことだ。その彼らの扱いをどうするかについて、困っているのである。
追い払おうと思えば、それは簡単にできるし、なんなら殺してしまうことも問題なくできる。その集団にはあまり強い者はいないからな。
だがこの状況は、うまくすれば我が今一番求めている住民を増やすいい機会なのではなかろうか?
というわけで、どうするか悩んでいるのである。……いや、もうほとんど心は決まっている。我は彼らを仲間に引き入れたい。だが、どうしたものかな。
とりあえず城に……いや街に招いて話してみるとしようか。
我は方針を決め、コウガとティターニアに指示を出した。




