026 ダーインスレイヴ大森林1
——【イプシロンザ王国】
その国は農業と工業の大国として知られている。それは支配領域に肥沃な土地が多く、鉱山も多く保有しているからだ。周辺国家には生産した大量の農産物や工業品を輸出し、多額の利益を得ており、世界的にも裕福な国家のひとつとしてもよく知られている。しかし、そんな【イプシロンザ王国】はもうひとつの顔を持っている。
それは軍事大国としての顔だ。
この国は、肥沃な土地と多くの鉱山を支配領域に内包していることから、昔から他国に狙われてきた。そうした背景を考えるなら、軍事大国としての顔があるのも当然と言えば当然の話だろうか。
そして現在。
そんな国の首都——【アイン】にある王城の会議室には、軍事を司る軍部省のトップ——軍部省長官と騎士団長が会していた。
「ええい! 民兵の召集はまだ終わらぬのかッ!」
軍部省長官——ニコラウス・ペリゴールが、騎士団長——アレックス・フォートレスに怒鳴りつけた。禿げ上がり、剥き出しとなっている頭頂部には血管が浮かび上がり、顔は真っ赤になっている。アレックスはそんな上司を見ながら内心ため息をついた。
「申し訳ございません。現在、鋭意召集中でございます」
しかし、アレックスはそんな感情をおくびにも出さず、顔に無表情の仮面を張り付けると淡々と告げた。それは偏に、少しでも態度に出すと目の前にいる自らの上司が面倒臭いからに他ならない。目の前の上司はいわゆる“無能な上司”でしかないが、人心の機微に関してだけは鋭いのだ。
「早くするのだッ! 魔王が指定した侵攻日時が三週間後に迫っているのだぞ!」
「……御意。それでは御前失礼いたします」
騎士団長は会議室を後にした。
彼らが先ほどまで話題にしていた魔王の侵攻。
それは【イプシロンザ王国】内で当初、真しやかに囁かれていた噂でしかなかった。当然、国王をはじめとした国のトップたちは“噂は所詮噂だ”と大して相手にすることはなかった。無論、間諜を放つなどをし、噂の出処や、その真偽の調査はしていたが、持ち帰る情報はどれも魔王の侵攻を裏付けるものではなく、出処も掴めなかった。その事実もあり、ただのデマだとそう思っていた。
しかし今から一週間前。
突如、王城に現れた魔族から、まさに寝耳に水な発言が飛び出した。それは要約すれば「【死霊国デルタリウム】元首ゼノフィリウス・アークロードの名をもって【イプシロンザ王国】に宣戦布告をする」というものだった。
この発言を受けた国上層部はパニックに陥った。
“魔王”と言えば単騎で国を相手取れるようなバケモノ。そんなバケモノが自国に宣戦布告をしてきたのだ。侵攻する理由は分からないが、過去最大の国存亡の危機であることに違いはない。
幸い、かの国の元首——つまり魔王ゼノフィリウスはよほど余裕があるのか、舐めているのか分からないが侵攻開始は大分先——ひと月後——の日時を設定し、態々教えてくれていた。(これは単に兵力を集結させてくれれば後で死霊魔法を使うのが楽だからという単純な理由からであるが……)
ということで【イプシロンザ王国】では総動員特令を出し、早急に戦力を整えようとしているのだが、これが遅々として進まなかった。理由はひとつ。それは過去、民間人を戦力として召集することがなかったからだ。
騎士団長は胃が痛かった。突如宣戦布告してきた魔王。中々集まらない戦力。具体的な方策を示すわけでもなく、ただ「動員を急げ!」と言う上司。
「はぁ〜。家帰って菓子でも食いながら日がな一日自由に暮らしていたい……」
騎士団長は若干の現実逃避をしながらそう呟く。しかし、すぐ後には気を引き締め、上司の命令をなんとか遂行すべく方々を奔走するのであった。
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街道を疾走する漆黒の毛色を持った狼がいる。無論、それはスキル【変身(狼)】を使用した我のことだ。我は今、新たな仲間を探すために【ダーインスレイヴ大森林】に向かっていた。【知恵神】の話では半日あれば着くとのことだ。
街道走っている我の前には当然、利用する人間種がいたり、魔物が現れたりしたわけだが、それらの一切を無視して只管走る。
途中、冒険者と思われる人間種を撥ね飛ばした気がしたが、まぁ問題はない。走る我の前に現れたが運の尽きだ。安らかに眠るがよい。(注:冒険者は死んでいません!)
そうして走り続けること約六時間。【知恵神】の言うように半日弱で【ダーインスレイヴ大森林】が見えてきた。
《ふふ〜ん♪私の計算に狂いはないのです♪》
……。
まあ、とは言っても我が狼の姿で走るとかなり速いので距離でいえば城からかなり離れているのだが。
《ちょっとマスター! 無視しないでください! なかったことにしないでください!》
……さて、ではあと一走りするか。
《また無視した! 酷いですマスター!》
我は【知恵神】を無視するという軽いお仕置き《何故無視するのですか?! 反応をください! 虚しくなります!》ええい! うるさい! ……我は自分の姿を狼からいつもの人型に戻し、森の方へと歩を進めた。
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——【ダーインスレイヴ大森林】
その森は大森林の名に恥じぬ規模を持つ広大な森だ。この森は三層に分かれており、それぞれの層で植生や魔物の分布が変わる。
一番外側にある通称“壱の森”は、薬草類は品質——最高・高・普・低・最低の五段階に分けられる——が最低から普までのものしか生えておらず、魔物もEランクからCランクまでしか出ないため初心者冒険者や中堅冒険者が絶好の狩場兼レベル上げ場としてよく訪れている。
その次の層である通称“弐の森”は、採取できる薬草の品質は向上するが、出現する魔物も強くなっており、CランクからAランク下位の魔物が出てくるため、冒険者は上級——Bランク以上——しか来ることはない。
そして最後の“参の森”。この層は珍しい薬草などが所々に生えている。しかし、そんな場所でありながら進入する者は少ない。なぜなら、参の森は最弱の魔物でもAランク上位の実力を持ち、生半可な実力では生きて帰ることなどできない過酷な場所だからだ。そして、何よりこの参の森最奥には【ダーインスレイヴ大森林】の支配者が居を構えていると言われている。
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《——【ダーインスレイヴ大森林】はこんな感じですね。ですので、参の森に入る時にはマスターでも一応警戒しておいた方が良いでしょう。データが少ないので詳細は分かりませんし》
なるほど。まあ、今から心配していても仕方あるまい。
では、早速森に入るとしますか。
我は血剣を片手に【ダーインスレイヴ大森林】へと進入した。