信念
静寂が辺りを包み、空気は程よく肌寒い。
夜空を見上げれば満月の光が優しく庭を照らし
全ての扉を開け放った道場は磨き上げられた床が月明かりを反射して神秘的に輝いている。
中心には夕飯の際のラフな服装とは打って変わり、
キッチリと道着を着込んだ隼人が目を閉じて立っていた。
上下共黒で下は袴と言うのが霖雨蒼生流の道着のようだ。
月明かりの反射で照らされた隼人はまさに
”月光の美少女”
そんなタイトルがつけられそうな雰囲気である。
「よし……隼人。
そのまま動かなくていい……
今お前が引き出せる力をありったけ絞り出してみろ」
道場の隅では
父親の剛久と祖父の清十郎が隼人を見守っていた。
剛久が霖雨蒼生流37代目現当主であり、
清十郎は36代目当主と言うことになる。
剛久は暇なときは1年単位で家にいるのだが、
1度仕事が決まれば1年単位で家を空けることも多いため
主に隼人の鍛錬を見ているのは清十郎である。
しかしこれは剛久が特別と言うことではなく、
剛久の時も清十郎ではなく主に隼人の曽祖父が鍛錬を見ていた。
そしてあの男が耳にしていた剛久の武勇伝は概ね真実だ……
清十郎にも語り継がれる武勇伝は数多くあるがそれはまた別の機会に………
親父の言葉を合図に
自分の中に眠る力を意識し始める……
力を絞り出すという言葉から
ハァ~~~!!!!!
と言うような気合を入れることを想像するかもしれないが、この力は違う。
自分の中にある、何か別の存在とでもいうのだろうか……
そこに語り掛けるように意識を集中し、力を呼び起こす……
そう言った方がしっくりくる。
力はすぐにその呼びかけに答え、
胸の辺りが温かくなるような感じがしたかと思えば
その温かさが血管をとおして全身に隈なく行き届く……
「……あいつまた早くなってないか?」
剛久は隼人の力を引き出すまでの早さに驚いているようだ。
「お前を見た時、ワシは正直天才じゃと思ったが隼人をみるとあれじゃな。
お前なんぞ凡人じゃったわ……
あの頃の感動したワシに今からでもツッコミ入れに行きたいわい……」
「凡人って親父ね……
俺でもあの基本の状態に持っていくのに構えを取って一呼吸置いたら完成だ。
あいつ構え終わるころには完成してるだろ……」
剛久は息子に負けていることに結構ショックを受けているようだ。
まだだ……ここから今俺に引き出せるありったけを……!!
語り掛ける、アナタは俺にどれだけ答えてくれる?
俺にどれだけ力を分けてくれますか?
いつの頃からだろうか……物心ついた時には、
何かに無意識に語り掛けているのに気が付いた。
このことを親父や爺ちゃんに話してもよくわからない感覚だと言われてしまった。
でも俺は不思議とこれがしっくり来ている。
今俺に引き出せるありったけ……
なんだろう……今日はすごく調子がいい……
いつもの鍛錬の時よりもすんなりと自分の奥へ奥へと入っていける
そんな気がする。
両目は深く蒼く怪しい光を宿しながら、
ゾワゾワと頭の毛穴が広がるようなそんな感覚と共に
髪がユラユラと揺らめきだす。
「おい……まじか……親父あいついつもこんなんか?」
剛久のこめかみ辺りに一筋の汗が伝う。
「いや……なんじゃ? 普段の隼人の状態はとうにこえとる。
あやついつの間にここまで集中できるようになっとったんじゃ……」
―――もっと。
―――――――もっと。
――――――――――――もっと。
”フフッ……そんなに熱心に求めて……ワラワとどうしたいのじゃ?”
え?
自分の中から突然声が聞こえた
あまりにも予想外の出来事にに隼人は集中をきらしてしまい
高められていた力はフッっと何もなかったかのように即座に消え失せる。
立ち尽くしている隼人に剛久と清十郎が駆け寄る。
「隼人?どうした?」
「え? ……ああ」
集中が突然途絶えたため、心配してくれたのだろう。
「いや……ちょっと……なんていうか調子よくてのめり込みすぎちゃって
ふと我に返ったら集中切れちゃった……」
声のこと……多分話しても上手く伝わらないだろうな……
剛久と清十郎はお互いの顔を見合わせている。
その表情は驚きと困惑が入り混じった……そんな複雑な表情である。
「お前最近いつもああなのか?」
隼人でも驚くほど引き出せたさっきの状態のことを聞いているのだろう。
「いいや……今日は本当に調子がよくて。
正直自分でもどこまでいけるのか怖くなったくらいで……」
その言葉を聞き、もう一度お互いに顔を見合わせた2人は何やら頷き合った。
「隼人よ……少し話をしようか?」
口を開いたのは清十郎だ。
「ここじゃなんじゃ。
ほれ、そこの縁側にでも行こうかの」
清十郎にうながされ男三人は道場の縁側に並んで腰かける。
先ほどの月明かりも綺麗だったが、
今ではわずかにあった雲がどこかに消え去り、より神秘的な光が辺りに降り注いでいる。
「さて隼人よ、前々から剛久とも話してはおったんじゃが、
お前の今後について話そうと思うての……」
その言葉に剛久もウンウンと頷いている。
「今日の三千院の一件……襲われた怜奈さんには申し訳ないなが
正直ええ機会じゃった。
裏の社会に生き、武装した連中を7人無傷で片づけるとは
流石ワシの孫、そして剛久の子じゃ」
清十郎は嬉しそうに目を細めている。
「隼人にはな、あえて今まで言ってこなかったんじゃが、
鍛錬をつけ出したころから、力を引き出す速度、そして引き出せる力の強さ……
どれをとってもワシらとは桁違いじゃ。
恐らくは歴代源家の中で一番力の加護を受けとる……
そして今、目の前で見たことでそれは確信に変わったわい」
父や祖父を超えている? そんなことを突然言われて隼人はかなり困惑しているようだ。
「今更昔のしきたりなんかを持ち出してくるとこれだから老人は……
なんぞ言われるかもしれんが、隼人も今年で17になる。
昔の人間なら……大昔じゃが、既に成人として扱われとるの」
その言葉を合図に剛久が口を開く
「隼人。お前もそろそろ源家として依頼を受けてみるのもいいかもしれない」
これは当主としての言葉だ……
隼人は姿勢を正して剛久に向き直った。
「正直隼人にはもうこの道場で教えられることはすべて教え込んだつもりだ。
技、精神、そして力……」
剛久は道場を眺める。
そして何か昔を懐かしむような……そんな表情をしている。
恐らく小さかった頃の隼人が道場で一所懸命鍛錬に励んでいる姿が見えているのだろう……
「辛く、厳しい鍛錬によくここまで耐え抜いた。
しかし、これも源家の家業のため、そして依頼人のため」
「はい!わかっています」
「………
そしてな、隼人。”お前の”ためだ」
剛久の表情が当主のそれから父親に変わる。
「お前が今から歩む道は常に命の危険に晒される。
………俺もそうだ。
家族のため、お前の帰りを待ってくれるすべての人達のために
俺や親父が教え込んだすべての技術を使ってくれ」
父親としてのその言葉に隼人の頬に一筋の涙が伝う。
隼人自身意識していなかったらしく流れた涙に驚いている。
「ただし、代々霖雨蒼生流は当主の座につくその日まで門下生だ。
これからも日々更なる高みを目指し、精進するように……」
「ありがとうございます!!」
隼人は師匠である二人に深々と頭を下げる。
一筋だった涙はいつの間にか両方の目から次々とあふれ出していた。
「いい返事じゃ!
隼人……おめでとう」
清十郎も満面の笑みで祝福している。
「最後に……
これは俺と親父からの言葉だと思ってくれ
そして自分で悩み、考えて自分の中で答えを出すんだ」
改めて仕切りなおされ隼人は二人に顔を向けなおす。
「隼人? お前はこれから源家として依頼人を取る際に何を基準に仕事を受ける?」
何を基準……自分の心に問いかける……
「報酬か? 名誉か? それとも己の力を誇示するためか?」
「…………」
「俺たちのような特殊な家に依頼をしてくるという以上、
そこには必ずと言っていいほど依頼人に危害を加えようとしてくる相手がいる。
その相手もまた、報酬や名誉のため……もしくは次の大きな仕事に繋げる為
そう言った想いから依頼人に雇われている物が大半だ」
確かにそうだ……状況こそ違えど依頼人に雇われて仕事をしている
この一点だけ言えば相手は自分達と何ら変わらない……と言うことは……
複雑な表情をした隼人をみて剛久はそこにたたみかける。
「………そういうことだな。
相手と俺達の間に結論から言えば違いはない。
初めて会った相手、恨みなんてない……
そんな者達同士で最悪、命の奪い合いをしなければならい……」
今日の男達だって確かに会うまではしがらみなんて一つもない
「では、隼人は何を信念にしてその相手をねじ伏せる?
報酬か? 名誉か? 力の誇示か?」
俺は……
「答えは言わなくていい。
隼人の心にしっかりと刻み込み、それを信念にこれからを生きろ」
俺は…………
俺が信じた依頼人の命を、
”大切な人を守ること”にこの力を使いたい
隼人の眼から迷いが消える。
その表情から剛久と清十郎は何かを読み取ったのだろう。
最後に満足そうに頷くのだった。
「ふう………」
剛久と清十郎からの話が終わり隼人は風呂を目指す。
女の子……三千院怜奈の一件に
道場では今までよりも深く力を呼び起こしたためだろう
全身には疲労感が漂っている。
「風呂にゆっくり浸かってさっさと寝よう……」
風呂の前までやってきてチラリと扉の横に掛かっている札に目をやる。
――空いてるよ♡――
アスナの字で書かれたこれは
発育のよかったアスナが中学生になる頃に母さんによってつくるように命じられて
作ったものだ。
これが作られるまではよく一緒に風呂に入ってたっけ。
空室の札を確認して脱衣所の扉を開ける。
ガラッ!
「あら? 隼人??」
ガラッ!!!!!
バンッ!!!!!!!!
なかなかの反応速度だったと思う。
隼人はもう一度札を確認する。
――空いてるよ♡――
「空いてないじゃん……」
中では母さんが今まさに風呂に入ろうとしていた……
ガラツ!!
三度扉が勢いよく開かれたかと思ったら中に拉致られた。
「ちょ!? なに!!?」
「いいから、あんたも服脱ぎなさい!
久しぶりに一緒にお風呂入るわよ~!」
母さんが容赦なく俺をひんむきにかかる。
家の母さんは正直若い……若すぎるんだよ……
そんな女性の全裸なんていくら母でも健全な青少年には刺激が強すぎる……
「俺今何歳だと思ってるんだよ!?」
「つべこべ言わないの! 今日は一緒にはいるの~」
なぜだ……あんな男達の攻撃なんて手によるように見えるし、かわせるのに
母さんから逃げることができない……
力を入れて逃げようとするとなんか的確な位置を触られて
力が抜ける……
親父も母さんに捕まると逃げられないけどこのせいなのだろうか……?
母…恐るべし……
「何騒いでるの~?」
風呂の中から声が聞こえる。
アスナまでいるのか……
アスナ……?
いや…マズイだろ!!!?
「母さん!? アスナいるじゃん! マズイって!!」
「何がマズイの? 家族でしょうが!」
「家族だけどマズイからって表の札作らせたの母さんだろ!!!!」
そしてなんでその札を裏返してないんだよ!!!
そう言おうと思った時
「え?お兄ちゃんそこにいるの!?」
「そうよ~アスナ! 今日は隼人も一緒に入るからね!」
アスナが気が付いてくれた!
これでアスナが拒否すれば流石にいくら母さんと言えども引き下がらずにはいられないだろう。
「ええ!!?
う~ん………
恥ずかしいけどお兄ちゃんならいいよ~」
ウソだろ…
「よ~し! アスナの許可も取ったし隼人に拒否権はありませーん!!」
普段あんなに女扱いされるのは嫌だけど……
今日強引に服を脱がされて襲われるまでの女の子気持ちはわかった気がする……
母さんに後ろから羽交い絞めにされて風呂場に連れ込まれる。
背中にさ……当たってるんですよ……
「はーい! 隼人さん入りまーす」
母さんは超が付くほどご機嫌だ。
家の風呂はまぁなかなかに広い。
俺と親父、爺ちゃんの3人で湯船に浸かっても
各々が足を延ばしてゆったり入る事ができる。
そんな広い湯船の中にアスナが恥ずかしそうに浸かっていた。
いつもは入浴剤入れる癖になんで今日に限って入れてないんだよ……
透き通ったお湯はアスナの綺麗なその身体を隠すことなく揺らめいている。
正直水着姿なんかは見たことあるけど中学生になって以降、初めて見た……
頬は赤く染まって、
肌なんか見るからにすべすべ、長い金髪は湯船につからないように上に束ねられていて
そこから見えるうなじもすごく色っぽい……
そして何より……その見事すぎるプロポーションが露わになっていて……
ダメだ……
クラクラしてきた。
「あら~隼人はアスナに見とれてるのかな~?」
母さんが茶化してくる。
「………そ……そりゃ見とれるだろ……俺だって男だよ……」
男としてのプライドが正直に口から出てきた。
「そうよね~アスナ綺麗だよね~
正直でよろしい! 母さんもさ~まだ自信あるんだけど
アスナみるといつも揺らぐのよね」
抱き着いたままの状態でウネウネ動かないでください……
「アスナさ……断れよ……
お前もいい歳なんだから男に簡単に裸みせるとかおかしいだろ……」
見つめてしまいそうになる目をなんとか横に向ける。
「え? 私お兄ちゃん以外の男の人に見せる気ないよ?
そりゃ恥ずかしかったけど……お兄ちゃんならいいかな~って」
その言葉を聞いて思わずアスナを直視してしまう。
そして完全に見てしまった。
うわぁ……
「んふふ~母さん貴方達が本当に仲良くなってくれてすごくうれしい……な!!」
後ろから押されて前につんのめる状態になりながら母さんと風呂にダイブした。
プハァ!!
「あぶないだろう!!!!………が?」
顔面が柔らかい……
見ればここはアスナの胸の中だ…。
アスナはわかって受け止めてくれたのだろう……
その両手は俺の頭に回されギュッと抱きしめている。
見上げるとその顔は至福?そんな感情が読み取れるような表情だ。
ピシ!!!
そんな音と共に隼人はアスナと母親の胸に挟まれて固まるのだった。
なんか……その後いろいろされた気はするんだけど
正直もう俺には刺激が強すぎて逆に心ここにあらずだった……
そして現在は湯船の中で母さんにもたれかかる状態で俺、
俺にもたれかかる状態でアスナ、
といった形で落ち着いている。
……もう、どうにでもしてください……
「背中に当たるからくつろぎにくいな……」
アスナの訴えに俺はもう答える気力すらない……
俺にまわされたいた母さんの腕にしっかりと、そして優しく力が籠められ
「………本当に久しぶりね~」
今までのおちゃらけた雰囲気とは違う母さんの声に投げやりだった意識が戻った。
「そりゃそうだろ…俺もうすぐ17だぞ…」
「………本当に大きくなって……
隼人あんたさっき泣いてたでしょ?」
「え?」
「うまく隠してたつもりだろうけどね。
母さんすぐにわかるよ?」
道場を出るときに顔を洗ったし……風呂で鉢合わせたのだって一瞬だ……
「警護……
するようになるんでしょ?」
母さんの声は何処か寂しげだ。
アスナが俺の手をギュッと握ってくる。
「この家に嫁いで隼人を授かって……
いつかはこの日が来るってわかってたし、覚悟はしてたつもりだけど……
やっぱり怖いね……」
母さんの様子は見えないけどアスナの肩がわずかに揺れているのがわかる。
泣いてるのか?
「でもね、隼人。母さん、信じてるからね」
優しく……優しく頭を撫でられる。
「アスナと二人、美味しいご飯作って待ってるから。
ちゃんとご飯が冷めない様に帰っていらっしゃい
ね? アスナ……」
「……うん。
私これからもお料理頑張ってお兄ちゃんが驚くような
美味しいご飯いっぱい作るね」
声がうわずってるぞ……
”大切な人を守るため”
そして……
俺の帰りを待ってくれる”大切な人のため”
俺はこの力と共に生きていこう。
隼人は己の心に2つの信念を刻み込むのだった。
隼人の……
霖雨蒼生流を継ぐものとしての人生が今大きく動き出します。