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7、ファーストキス


 図書館に戻ってくると待ちかねたように珠桜が青ざめた顔を向けた。万里はなんでもないように軽い笑顔を見せたが、二人ともどうも雰囲気がおかしかった。あんな場面の後に突然出て行って、それも当然だろうと思うが。

 椅子に座ると、正面の貴代美が目だけ上げて大翔を見た。

「ずいぶん長いトイレだったわね?」

「大じゃねえよ」

 貴代美はむっとしてきつい目つきになった。

「あの先輩と何の話をしていたわけ?」

 大翔はなんと言おうか、面倒くさいなと思った。

「将来についてアドバイスをもらったんだよ」

「何それ? なんであんな冴えない先輩にそんなこと訊くわけ?」

「俺にはあれくらいの人がちょうどいいんだよ」

 貴代美は小馬鹿にしたように肩を揺らして、自分の読書に戻った。貴代美の読んでいるのは小説ではなく、自分で持ち込んだTOEICの学習本だ。

 大翔もチッと舌打ちしたい気分で黒い本を読むふりに戻った。全部真っ黒で見た目ではどこまで読んだか分からないが、幸いしおりひもが挟んであるので分かる。だいたいの見当で50ページくらいの所か。

 先ほどの梅貝の話を考えた。

 黒い本がただの「神曲」に戻ってしまったのは、本の魔力が消えたからだろうか、それとも梅貝が黒い本を見る資格を喪失したからだろうか? 判断がつかない。

「あんな人より」

 考えに沈もうとしていた大翔はひどく唐突に言われたように驚いた顔を上げた。

 貴代美は視線を落としたままつんとした顔で言った。

「クラスメートに相談したらいいじゃない? 駄目なお手本よりずっと有益なんじゃないかしら? ま、わたしもやぶさかじゃあないわよ?」

 大翔が無言でいると貴代美は視線を上げ睨んだ。

「何よ? なんか文句あるの?」

「いや」

 大翔は目をぱちくりさせて答えた。

「おまえって、いい奴だったんだなって驚いた」

 貴代美はフンと視線を戻したが、それが照れているように思えて大翔には微笑ましかった。

「サンキュー」

 貴代美がチラッと視線を上げたのに視線を落とした大翔は気がついていたが、そのまま放っておいた。口元がひくひく動いてしまった。貴代美もまたフンというようにTOEICに戻った。


 学校の閉門時刻は5時だ。実際は体育館やグラウンドで運動部が活動しているので門が閉められることはないが、本校舎は教師が見回って残っている生徒を追い出し、戸締まりをし、渡り廊下との連絡口もドアに鍵がかけられ、出入りは出来なくなってしまう。

 4時半に放送部の閉門30分前のアナウンスがされ、50分に「新世界より」の第2楽章と共に10分前のアナウンスがされ、当番の教師が本格的に生徒の追い出しにかかる。

 50分の放送が始まると図書委員が閉館を告げ、居残っていた少数の生徒たちがあきらめたように動き始めた。

 2年C組読書クラブの面々も自然と本を閉じ、大翔は片付けに立ちながら万里に訊いた。

「夏休み中も図書館って開いてたのか?」

「うん。お盆期間を除いて、月から土曜まで、10時から2時まで開いていたわよ」

「そうか」

 万里は小首をかしげながら大翔を見つめ、やがて奥の書架へ向かった。大翔は、ああそうか、隣同士の本だった、と万里の後を追った。

「あのさ」

 入れるわよ?と差し出された手に「神曲」を渡しながら大翔は万里に言った。

「万里はこの本、持ってるって言ったっけ?」

「うん。文庫本で持ってるわよ?」

「あのさ、よかったら貸してくれないかな? 図書館で読むだけじゃ全然追いつかなくてさ」

 文庫本1冊くらい買ってもかまわないのだが、中心街の大きな書店まで買いに行かなければならない。登下校の通り道に老舗のそれなりに大きな個人経営の書店があったのだが、大翔が高校に上がる前にやめて、今はコンビニと駐車場になっている。

 それに、万里の手元に「神曲」を置いておきたくなかった。本好きの彼女がそのうちあれこれ内容に関して聞いてくるんじゃないかと気が気でなかったのだ。

「うん、いいよ」

 万里は嬉しそうににっこり笑った。大好きな本をシェアできるのを喜んでいるらしい。

「じゃあ明日持ってくるね」

「ああ。サンキューな」

 万里は黒い本を所定の場所に戻し、どうやら彼女はこの本に触れても全く平気らしい。



 貴代美は

「じゃあね」

 と一人さっさと出て行き、彼氏、大畑の様子を見にテニスコートに向かうようだ。自分もさっさと部に戻ればいいのに、とその後ろ姿を見送りながら、大翔はちょっと惜しいような気もした。その可能性は限りなく低いだろうが、このまま彼女と近い距離を保ち、そのうち若者らしい恋が芽生えて……なんて妄想を抱いてしまった。性格的には大の苦手だった女子だが、貴代美は、ルックスは抜群にいい、男子の憧れの的なのだ。

 今日、彼女の意外な優しさを見せられ、ありもしない未来をついつい考えてしまったのだ。

 みんな鞄を持って来ていたので、そのまま残る三人で生徒玄関に向かった。左右に女子を従えて、


(俺はいつの間にこんなモテモテ男子になったんだ? これがちまたで噂のモテ期ってやつか?)


 なんて、顔がにやけそうになった。

 下駄箱の前で靴を履き替えてそのままなんとなく万里と一緒に出口に向かうと、珠桜が待っていた。

「あ、じゃあわたしここで。バイバーイ、また明日」

 万里は二人に手を振ってまっすぐ生徒門に向かって行った。珠桜が訊いた。

「国生先輩、通学は?」

「俺は自転車だけど?」

「そうなんですか」

 珠桜は少しがっかりしたように言い、

「じゃあ、自転車置き場までいっしょにいいですか?」

 と、少しでも長くいっしょにいたいようにいじらしく言った。大翔は、かわいいな、と微笑んだ。

「ああ、いいよ」

「はい!」

 珠桜は嬉しそうに大翔の横にくっついて来た。

 自転車置き場は玄関前の広場の、ほんのすぐ横だ。

 自転車通学して来ているのは運動部が多いのか、まだだいぶ残った自転車の中から自分の自転車を探して行くと、ついてきた珠桜は

「これが先輩の自転車ですか」

 と、ごく普通のシティーサイクルをまじまじと見つめ、この子はちょっとストーカー体質があるんじゃないか?、と、こんなかわいい子にストーカーされるのも幸せだよなあ、と大翔は胸の内でのろけた。

 ふと、珠桜が真剣なまなざしで大翔を見上げ、そのままじっと思い詰めたように見つめた。

「何?」

 大翔はまっすぐ向けられた美少女のキラキラ小さな星がいっぱい瞬くような瞳にどぎまぎしつつ、つとめて落ち着いた声で訊いた。

「先輩は、万里先輩と郷古先輩の、どっちと付き合ってるんですか?」

「ええ?」

 大翔は美少女の凄い思い込みに思わず笑ってしまった。すると珠桜は

「ちゃかさないでください! わたし、本気なんです!」

 と怒り、はっと、間接的な告白に気付いて真っ赤になった。


(本当に、本気なんだ…………)


 大翔は胸が暖かく湿るような感動を味わった。

 口走ってしまった自分の言葉に負けないように、珠桜はますます力を込めた瞳でじっと大翔の目を見つめた。そろそろ日が陰ってきて、遠近感が減退して絵のようになった風景の中、珠桜の瞳の星がキラキラ浮き上がってくるようだった。自分はこのまっすぐな瞳にどう答えたらいいだろう? 大翔のほんの少しの身じろぎに、珠桜は何かを期待し、覚悟したようにまぶたを閉じた。うっすら、かわいく丸い唇が開かれ、長いまつげに細かな水滴が震えているように思えた。

「珠桜……」

 ちゃん、を付けずに呼びかけ、柔らかな両肩を押さえると、大翔は顔を近づけ、唇を重ねた。

 体の中心を電気が流れるようだ。

 下半身まで直通する感動を味わいながら、それが全然不純なものには感じなかった。

 なんて柔らかくて、甘いんだろう……

 女の子、という物に生まれて初めて肉体で触れたように感じた。

 まるで絵に描いたような、高校2年生にもなるこれが大翔のファーストキスだった。

 時間の感覚を忘れて、いつの間にか唇は離れて、二人は潤んだ瞳で見つめ合っていた。

 ようやく珠桜が恥ずかしそうに視線をそらし、感触を思い出すように丸い唇を内へキュッと噛み締めた。それを見た大翔の胸に改めてじいんと大きく感動が鳴り響いた。

「珠桜ちゃんは、バス通学?」

「はい」

「じゃあ、バス停の所まで、いっしょに歩こうか?」

「はい!」

 大翔は自転車を引き、二人並んで歩き出した。


(俺も、本気になっていいのかな?)


 あまりにも嬉しすぎる展開に、それが作為的に上手く行き過ぎていることは十分承知しながら、この幸運に身を任せてしまいたいと大翔は思っていた。

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