4、読書クラブ
翌日から昼休みの図書館は2年C組読書クラブの部室のようになった。
黒い本の謎を解こうとする国生大翔と、図書委員の当番でなくても図書館に入り浸って本を読んでいる万里希未子と、放課後は生徒会役員の仕事とテニス部の掛け持ちで忙しい大畑愛夫が弁論大会の準備をし、その彼女の郷古貴代美がお付き合いしている。
彼らは4つある6人掛けの机の1つを占有し、それまで我が物顔でおしゃべりしていた1、2年女子たちに『ここは本を読む場所だぞ』とプレッシャーをかけて図書館を本来の図書館らしい静かな緊張感の漂う場に引き戻していた。
面白くないおしゃべり女子たちは『行こうか?』と示し合わせてぽつぽつ図書館を後にしていった。
大翔はこの本が黒く見える人間がいないか、出来るだけ多くのサンプルにいてほしいので、この状況はどうにも好ましくない。
大畑と貴代美が並んで座っているので、自然と万里が大翔の隣に座った。
「国生君が読んでるの見たら読みたくなっちゃって」
と、どっかと机に置いたのは「世界文学全集第2巻 ミルトン 失楽園」だ。黒い本の正体たる「第1巻 ダンテ 神曲」の更に2倍近くある大著だ。
こいつは本当に本の虫だなと呆れつつ、隣で本当に読まれていたのでは読むふりがますますしづらくなってしまった。
こいつらわざと俺の邪魔してるんじゃないか?、と疑った。教室ではろくにしゃべったことのない奴らばかりだ。もっとも大翔はクラスに親しい友人は皆無だったが。
万里はともかく大畑と貴代美は放課後は来ないだろうから、昼休みはあきらめて退散するかと本を閉じかけたとき、あの1年女子のかわいこちゃんが話しかけてきた。
「すみません、お邪魔していいですか?」
もっちろん!、と心の中で喜びの声を上げながら大翔は笑顔を向けた。
「かまわないよ。何?」
かわいこちゃんはかわいくにっこり笑い、
「わたし、1年B組の坂本たまおって言います。よろしくお願いします」
お辞儀をして、ツインテールがぴょこんと飛び跳ねた。仕草のいちいちがかわいくて仕方ない。
そうか、たまおちゃんって言うのか。
昨日はこのお邪魔虫どものせいで結局彼女は友達と一緒に帰ってしまった。そういえば一緒の友達の姿がないが。
「坂本さん、ね。俺は2年C組の国生大翔。よろしく」
「あ、どうぞ、たまおって呼んじゃってください。あ、でも『たまちゃん』は勘弁してください。たまおって、そろばんのたまに桜って書くんですよ?」
つまり、珠桜、だ。
「そっか。じゃあ、珠桜…ちゃん」
思わず頬が火照った。向かいから退屈していた貴代美がニヤニヤ眺めている。大翔はその視線に咳払いしたくなりながら珠桜に爽やかなお兄さん笑顔を向け続けた。
「それで、何か相談?」
「あ、はい。皆さん、読書家でいらっしゃるんですね?」
と、珠桜は一応同席の3人にも気を配りながら、しっかり大翔メインで話しかけた。大翔は美少女のまっすぐの視線を受けて、
(これは本当に本物だぞ?)
と有頂天になった。
「わたしも何か読んでみようと思って、何か面白い本を紹介していただけたらなあって。あ、でも、とても皆さんのような難しい本は無理ですけれど」
かわいく苦笑いする珠桜に大翔はかっこ良くおすすめの面白い本を紹介してやりたいところだが、残念ながら難しい本を読むふりをしているだけの大翔は、普段もてんで読書などしないのだった。
「えーと、女の子の読んで面白い本かあ……、ちょっとまいったなあ」
大翔はあくまで『女の子向け』の本でまいっているふうを装い、
「あ、なんでもいいですよ、あの、国生先輩の読んで面白かった本なら………」
と珠桜は嬉しいことを言ってくれて、ますますピンチに追い込まれた。
「おっほん。そういうことなら僭越ながら図書委員のわたくしがお薦め図書を」
隣の万里が嬉しそうに手を挙げて立候補し、普通なら空気を読まない出しゃばり女の場面だが、大翔は正直ほっとした。
「万里は本当に本好きだな。彼女に任せれば間違いないよ」
大翔は万里に丸投げして逃げ、珠桜はちょっと残念そうにしたが、
「あの、じゃあわたしもここでいっしょに読ませてもらっていいですか?」
と、実に積極的なところを見せ、大翔は
「ああ。かまわないよ」
と、必死に顔の緩むのを踏ん張った。
万里が席を立って珠桜を引き連れていき、貴代美はまだ面白そうにニヤニヤ大翔を眺め、まじめに資料に取り組んでいる大畑もちらりと視線を上げて笑った。
二人が本を選んで戻ってくると、万里は端の席に座り、中央、それまで自分が座っていた席を珠桜に譲った。
「あ、すみません。お邪魔します」
珠桜は嬉しそうにはにかんで、上級生に囲まれて座り、笑みの漏れる顔を引き締めるように本を開いた。
大翔はちょっと気になって訊いた。
「何を選んでもらったんだ?」
「これです」
珠桜は開いた本を戻し、表紙を見せた。
外国作家の、「トムは真夜中の庭で」という本だった。
全く知らないタイトルで、
「面白いのか?」
と珠桜越しに訊くと、万里は丸メガネを光らせて嬉々と
「面白いわよ。一種のタイムトラベル物で、タイトルにあるように屋敷の中庭が………、と、後は読んでのお楽しみ」
と解説した。大翔は珠桜が読み終わったら自分が借りてたまにはまじめに読書でもしてみるかと思った。
昼休み、2年C組読書クラブにかわいい新入部員が加わり、放課後も大畑を除いたメンバーで活動は続いた。
つまり、万里に、貴代美まで図書館にやってきた。
大翔は驚いて
「なんで大畑が来ないのに郷古が来るんだよ?」
と半分クレームで訊くと、貴代美の方もふんと鼻であしらうように、
「図書館に来るのにいちいちあなたに説明の義務もないでしょう」
と言いながら、表情を曇らせ、
「……けど、顧問と意見の相違があってね、やめちゃおうかしら」
と、けっこう深刻に悩んでいるような気弱な横顔を見せた。いつも強気で人を見下したお嬢様の実に珍しい表情だ。
「郷古は、部活は何だったっけ?」
「テニス部よ」
「ああ……」
大畑と一緒か。すると、顧問と意見の相違というのは、昨日大畑に付き合って練習をさぼったか遅れたかして、それを顧問に叱られて、お嬢様はへそを曲げた、と、そんなところか。
しかし男子、女子に分かれているとはいえ、恋人の大畑とも離れるようなことになって、本当に深刻な事態なのかもしれない。
「なら、さっさと和解して部活に戻った方がいいんじゃないか?」
人がせっかく心配してやってるのに、
「嫌よ」
と、お嬢様は腕を組んでそっぽを向いてしまった。
「向こうが頭を下げてくるまで、誰が謝ってなんてやるもんですか」
「顧問って誰? 先生だろう? 先生と喧嘩して向こうから謝ってこいって、普通生徒が言うかよ?」
大翔は呆れ、上級生お嬢様の怒りに小さくなりながら珠桜が
「女子テニス部の顧問は英語の岡崎先生です。大学時代国体に出場して準優勝したそうですよ」
と耳打ちしてくれた。大翔も、ああ、と思った。授業を受け持たれてはいないが、まだ若い、いかにも厳しそうな女の先生だ。貴代美がどういうスタンスで部活に参加しているか知らないが、大学のテニス部で国体出場となれば、和気あいあいのサークル活動ののりではあるまい。
厳しい体育会系女教師と、他人に頭なんて絶対下げたくないお嬢様生徒と、対立は深刻で、事態の収拾まで長引きそうだ。
大翔はため息をつきたくなったが、ふと、苦手な女子と普通に会話しているシチュエーションに気付き、かわいい下級生女子と、クラスの高飛車美人女子と、
(なんか、まるでハーレム状態じゃないか?)
と、急に巡ってきた運に思わずニヤリとした。