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21、懺悔


 現れた巨大な怪物を見つけ、広場から激しい悲鳴が上がった。

「ブオオオオオオオ」

 怪物は喜びの雄叫びを上げた。

「うわっ」

 怪物のすぐ前にいた大翔は巨大スピーカーの凄まじい音圧を受け、ついでに腐った唾液と呼気を浴びて、後ろによろめき、一気に気が遠くなった。

 怪物は目の前の小物など目にも入らないようで、更に4本の脚を現して怒濤の進撃を開始した。

 大翔はまるでダンプカーにでもはねられたように外へ弾き飛ばされた。

 うわあああ……、と悲鳴の尾を引いて、大翔は黒い海へ落下して行った。



 重戦車のごとく神が通り過ぎて行くと、地下の隠し部屋から神官たちと貴代美が階段を上がって来た。

 広場からは阿鼻叫喚の悲鳴が上がっている。

 貴代美はあらあらと言う風に肩をすくめた。そして神官たちに自分のご褒美を催促する。

「さあ、これで約束は果たしたわ。コーディネーターとしても合格でしょう? あなたたちの望み通り新しい生け贄を探してあげるから、その為の力をちょうだい」

 神が通り過ぎて行った床には自分たちのリーダーであった神官長が両腕を失った無惨な姿で転がっている。むろん既に息はない。

 残された神官のグループは何やらひそひそと話し合った。

 彼らは生け贄の踊り食いを楽しむ神を眺めると、話し合いの結論を出した。

「何? ほら、早くしてよ」

 彼らの様子に不穏な物を感じ、貴代美は更に催促した。

 新しい長がテレパシーを飛ばすと、図書館の壁だけが元通り起き上がって来た。

「何? どういうことよ?」

 赤い壁に閉じ込められて行きながら、予定外のことが起こった予感に怯えて貴代美は色を失った。

 壁が完全に閉じると、部屋から天へ、赤い光の柱が立った。



「うわああっ」

「ぎゃあああっ」

 神、と異世界人に崇められる黒い大蛸の化け物は、どうやらかなり嫌らしい性格をしているようで、獲物を捕まえてもすぐに食べることをしなかった。強靭な腕で振り回し、サイレンのように悲鳴を上げさせ、逃げ惑う獲物どもを怯えさせ、わざと逃がして希望を与えては、または捕まえてもてあそんだ。

 人間たちが「遊んでいる」と気付くと、今度こそ頭を口に突っ込んで、ギザギザの歯で噛み切った。くぐもった悲鳴が消え、胸から上を失った体が放り出されると、学生たちの恐怖は限界を超えた。

 阿鼻叫喚。

 地獄の様相が繰り広げられようとした。

 ところが。

 世界の様子が変わった。

 ほぼ赤一色だった世界に、ぼんやりと別の色がにじんで来て、その色の方が濃くなって来て、赤が掻き消されて行った。

 元の世界に戻って行き、学校の建物が現れたのだ。

「ぎゃあっ・・」

 悲鳴を上げてあちこちで絶命する者がいた。突然元に戻った建物や家具に重なってしまい、壁や床に一部を、またはほとんどを飲み込まれ、または机を体から生えさせて、血を噴き出して倒れる者もいた。

 世界は元に戻ったが、地獄を引き連れて来てしまった。


「キシャアアアアアアアア」


 凄まじい咆哮が上がった。

 神たる大蛸が、体に床と壁を突き刺され、教室と廊下に渡って、こちらの世界に存在していた。

 神たる物がどうしてこうなってしまったのか?

 どうやら暴虐たる神は、かの国の人間たちから厄介払いされてしまったようだ。

 油をぬったようにぬめっていた表皮がこちらの空気に触れて灰色に固まって来た。

 怪物は不快な空気に怒り、全身に力をみなぎらせると、コンクリートを爆発させて戒めより脱出した。同化していた肉体も一緒に千切れ飛び、負傷した怪物は怒りをいや増しした。

 瞳は真っ赤に燃え、驚き恐れて逃げて行く人間どもを映した。

 もはやもてあそんで楽しもうなどと言う考えはなく、ひたすら食い散らかしてやろうと、凶暴に吠えると、メリメリ、顔面をいっぱいに詰まらせて廊下を進み出した。




 大翔は目を覚ました。

 天井が見える。ポツポツ穴の並んだ石膏ボードの天井だ。

 背中が痛いなと起き上がると、白い大机の上にいた。

 周りを見回す。

 穏やかな午後の日に照らされた、そこは図書館だった。


「ああ、目が覚めた?」


 隣の机で本を読んでいた女子が上目遣いに大翔を見て微笑んだ。

 大翔はあぐらをかき、話しかけた。

「おまえがいるってことは、ここはやっぱりあの世ってことだな?」

「まあ、そんなところ、かな?」

 万里希未子は読んでいた本を閉じ、子供のようにわくわくした気分を胸いっぱいに抱えた顔で大翔と向き合った。

「お久しぶり。また会えて嬉しいわ」

「なんだよ、ひでえ死に方したっていうのに、ずいぶん楽しそうだな? 死んだ後まで図書館で本読んでるのか?」

「まあね。ここはわたしの秘密の隠れ家ってところ。上手く国生君を捕まえられてよかったわ」

「ここは……」

 大翔は改めて周りを見渡して考えた。学校の図書館そっくりだが、日差しが暖かくて、なんだかメルヘンの国みたいな雰囲気だ。これは図書館大好きの万里のイメージを反映した世界だからなのだろう。見れば、万里を殺したガラス窓の戸は、以前の木製のままだ。

「ここはなんなんだ? なんだか、おまえ専用の天国みたいだな?」

「ここはね、わたしたちの世界と彼らの世界をつなぐ異次元トンネルの中なの。わたしも殺された仕返しにこっそり資材を拝借して自分の部屋を作ったの。ほら、長いトンネルって途中に避難用の小部屋があるでしょう? そんな感じ」

 万里はニコニコしていた表情を改めると、大翔に頭を下げた。

「ごめんなさい、国生君。あの黒い本を作ったのは、わたしなの」

「どういうことだ?」


「もう知ってるでしょうけれど、わたしが夏休みに見つけたのは赤い本だった。司祭の顔つきのね。そりゃもうびっくりしたけれど、読書中毒の頭が見せた妄想かなって、最初はあまり怖くなかったかな?

 でも、彼がまるで分からない異国の言葉で話しかけてくると、わたしの意識は彼の中に取り込まれてしまった。そこでわたしは彼らが何をしようとしているのか知らされた。


 彼らは神様に生け贄を捧げなければならないこと。

 生け贄を別の世界から得ようと、こうしてアクセスして来たこと。

 神様は残虐な性格で、逃げ惑う生け贄を狩って、存分に恐怖を味わわせてから生で食べないと気が済まないこと。

 その為には神様の狩り場を用意しなくてはならないこと。

 彼らの世界と異世界をつなぐパイプを、巨体の神様が通れる太さのトンネルにする為、

 異世界を結界で囲って生け贄をとらえる為に、それ相当の人間の血が必要なこと。

 その生き血を集めなくてはならないこと。


 そこでわたしが求められたのが、その生き血を集めること。

 彼らはその報酬として永遠の命と若さと、自由に異次元世界を行き来できる力を与えることを提示して来た。

 正直なところその報酬には魅力を感じたけれど、学校の生徒たちを生け贄にするわけでしょ? もちろん、そんな恐ろしいこと、引き受けようとは思わなかったわ。

 でも、わたしに意思の自由は許されなかった。

 司祭は勝手にわたしの頭を探って、どうやったら上手く生き血を集めることが出来るか、わたしの頭脳に考えさせた。

 そしてわたしが考えてしまったのが、


 音玄能身久遠


 つまり、ネクロノミコンの翻訳本よ。そのものズバリじゃあ、誰だって『偽物に決まってる』って思うでしょう? だから、いかにももっともらしく、漢文っぽく表記したの。

 そういう本を見つけたら、興味を持って調べて、そこに秘められた魔力に魅せられて、生き血を集める手伝いをしようとする人が現れるでしょう?

 あの本自体は本物よ。つまり、彼らの魔術書の中身そのものよ。

 魔術書自体が魔術のアイテムになって、異次元のパイプをつなげる役割を果たしているの。

 だから、それを読ませるわけにはいかなくて、わざと読めないように言語認識を壊す呪いをかけてあったの。


 わたしのせいで本は生き血集めを始めてしまった。

 わたしは本が誰にも気付かれないように祈っていたけれど、あの梅貝先輩が見つけてしまった。

 先輩が自分の血を吸わせて本を読み出して、そうすると管理者であるわたしにはすごく快感に感じられたわ。そのまま長く放置していたら、きっとわたしは快感と報酬に魅せられて、完全な協力者になってしまっていたでしょうね。

 だからわたしは赤い本のページを破って、こっちの本と、向こうの世界にあるオリジナルの魔術書の連結を断ち切ったの。

 それでしばらくは魔力は失われていたんだけど、復活してしまったのはご存知の通りよね?

 今度赤い本を見つけたのは郷古さんだったのね。わたしにはもう普通の『神曲』にしか見えなくなっていたから気付くのに遅れてしまったわ。

 そして郷古さんがわたしに代わって管理者を引き受け、その作業員に国生君がなってしまった。本の魔力を感じるのは、誰でもってわけじゃないのね、やっぱり才能と相性があるんだわ。

 郷古さんは、管理者を喜んで引き受けちゃったみたいね? 彼女は生まれついてのエリート人種だから、人を犠牲にするのもなんとも思わないのかしらねえ?」


「おまえのせいじゃないよ」

 大翔の言葉にうん?と万里は首を傾げて目をパチパチさせた。

「魔導書が血を集めて、異世界の門を開いてしまったのはさ。おまえは無理矢理頭の中をいじられて、勝手に知識を使われただけだ。抵抗できなかったんだろう? おまえが責任を感じる必要はない」

「うん。わたしも頭ではそう思うんだけれどねえ……」

 万里は困った顔で頭を掻いた。

「やっぱり気持ちじゃあね、そう割り切れないよ」

「そうか」

 大翔は痛ましそうに万里を見つめた。万里にはそのことを相談する相手はいなかったのだろうか? ちょっとやそっとの友人では、こんなこと、話せはしなかったか。

 大翔は少し怖い顔になって質問した。

「おまえはなんで俺には黒い本を読ませ続けた? 俺にはおまえの書いた警告文に気付くチャンスがあった。それをおまえは、わざと邪魔しただろう?」

 本を図書館の外へ持ち出そうとした時のことだ。

「どうしてだ?」

 責める大翔の視線に、万里は、弱々しく、悲しそうに笑った。

「本を破いて魔力を断つ時にね、罰を受けたの。

 胸に、大きく、真っ赤な痣をつけられたの」

 大翔はギクッと、思わず万里の制服の胸に目を下ろし、慌てて戻した。万里は泣きたいような顔で笑っていた。

「やっぱりね、わたしも一応女の子だから、そりゃあもう、ショックで、お風呂場で泣いたわよ。もう二度と水着なんて着れないし、好きな人にも、ね。

 国生君が黒い本を読んだ時、はっきり胸で分かったの。黙っていれば、呪いは解けるって。彼らの目的が叶ったとき、わたしの痣はきれいさっぱり消える、って。だから、国生君に本を読ませたかった。国生君に、わたしの呪いを解いてほしかった。ごめんね、やっぱりわたし、自分のことを優先しちゃった。実際に痣は少しずつ薄くなって行って、わたしは悪いと思いながら、国生君を止めることが出来なかった。本当に、ごめんなさい」

「分かるよ」

 大翔は慰めでもなく実感として言った。

「俺はおまえの復讐をしようと奴らの計画に加担した。その結果がどういうことになるか、ある程度の予測はつきながらな。だが、おまえの復讐ばかりじゃないんだ。俺も血を吸う快感を楽しんでいて、生きている欲望に何度も誘惑された。俺こそどうしようもない悪人だ」

 そんなこと…、と万里は弁護したかったのだろうが、

「お互い様だね」

 と欲望に負けた者同士、苦笑いした。大翔も苦笑して、訊いた。

「でも、じゃあ何故だ? 何故おまえが殺されなくちゃならない? おまえを殺したのは、あの本なんだろう?」

「それは、国生君にメッセージを送ったからだよ」

 分からないかなあ?と万里は困った顔で大翔を見つめた。

「メッセージって、あのポエムか? 読んだけど、分からねえよ。あれが奴らの計画の支障になるのか?」

「分からないよねえ、あれだけじゃあ。カバーの裏に事情を書くことも考えたんだけど、それこそ今度こそ殺されちゃうかなと思って。

『失楽園』。あれを読んでるのもメッセージのつもりだったんだけど………」

 大翔は分からず眉を寄せた。万里は失敗だったかなあと頭を掻いた。

「楽園にやって来たサタンは、まずイブをそそのかすでしょう? 蛇に化身してイブに禁断の果実を食べさせて、イブはアダムにも食べるよう勧めて、アダムも食べてしまう。

 あなたにも禁断の果実を勧めたイブがいるのよ、ってつもりだったんだけど…………」

「分かるかよ、んなあやふやな、インテリなヒント!」

 呆れて怒る大翔に「だよねー」と万里も苦笑いした。

「そんなことで」

 大翔はため息をついた。

「殺されちまって。ほんと、おまえ、貧乏くじだなあ……」

 あははは、と、万里は困ったように笑った。

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