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20、出現


 そこは元の図書館とほぼ同じ面積の四角い部屋だったが、壁は20メートルくらいの高さがあった。床も壁も石材で作られているようだったが、それも皆赤かった。空気が赤く湿っている。周りの照り返しで赤く見えるのかと思ったが、肌やワイシャツの袖が赤く染まり出した。やはり空気も赤いのだ。開いた天井から見る空も赤く、この世界は何もかも赤いようだ、生き物を除いては。

 書架や机、椅子は消えていた。椅子に座っていた生徒たちは立ち上がってどこに逃げようかうろうろし、または床に尻餅をついてわあわあわめいていた。

 外から地鳴りのような大きな轟が聞こえて来て、生徒たちのパニックは一気に爆発した。

「国生君! 国生君!」

 カウンターにいた図書委員たちと、最近またさぼりがちだったのに運悪く今日は顔を出していた枝文司書が黒いマントたちから逃げて大翔のところに駆けて来た。

「なんなの? なんなのよ、これ? あなたいったい、何をしたの!?」

 大翔が本を掲げて「開け、地獄の門!」と唱えてこうなったのだ、パニックに陥って右往左往していた生徒たちも、こいつのせいなのか?と凶悪な目で睨んだ。

「どけ」

 大翔はすがりつく枝文司書を乱暴に横にのけ、黒マントたち向かって歩いて行った。

 彼らはこれまでの影と違ってはっきりと実体を持っていた。

 彼らはマントをかぶっているわけではなかった。

 全体が黒い寒天質の、クラゲ人間だった。身近な素材で言えば、コーヒーゼリーの妖怪だ。

 黒い坊主頭の中に、黒いつぶらな2つの目玉が開いている。口は大きく縦に開いて、唇が内部で縦に重なってぬめり、醜怪だ。

 大翔が横に整列した6匹の、真ん中の1番背の高い奴に近づいて行くと、本を受け取ろうと折り重なったフレアスカートのような襞の間から関節のない腕を出し、3本指を開いて差し出してきた。

 大翔は本を渡すと、後ろに手を回し、学生服の下からベルトに挟んでいたナイフを引き抜いた。アウトドア専門店で購入した本格的な野外活動用ナイフで、刃渡り11センチ、幅広で分厚く、片刃で先の尖った、がっちりしたグリップの、本格的な武器だ。

「うりゃああっ」

 大翔は腹の底から声を発し、太いホースのような腕をぶったぎった。化け物は泡のブチュブチュ弾ける嫌な悲鳴を上げてのけぞった。

「うおおっ」

 大翔は叫んでもう一方の腕に斬りつけた。化け物の肉体は烏賊のようだった。2撃目は刃がぬめったせいか、しこる筋肉に途中で刃が止まってしまった。奴らの血は黒く、青い蛍光を放った。大翔は力を込めてナイフを押し込み、斜めにそぎ取るように腕を切り落とした。

 青い蛍光をまき散らし、泡の悲鳴を上げて、化け物は後ろへ逃れるようにひっくり返った。大翔を見上げる顔に恐怖を見て取り、大翔の血は野獣のように猛り狂った。

 雄叫びを上げ、とどめを刺そうと躍りかかると、両側から仲間たちが慌てて押さえにかかった。大翔は吠えて腕を振りまくった。

「てめえら全員皆殺しだ! こっちに出て来たことを後悔しやがれ!」

 そう、復讐だった。

 万里希未子の。

 奴らが幻の影である間は殺すことは出来ないだろう。奴らは出現するたびにリアルな存在感を増して行った。奴らが完全にこっちの世界にやって来て、完全な実体を現した時、奴らを殺して万里の敵を討とうと思っていたのだ。

 奴らが何をやろうとしているのかはっきりとは分からなかった。

 おそらくは、大翔を魔王にし、こちらの世界を侵略する為の人間兵器に仕立てるつもりだったのだろう。完全に魔力を手にして魔王になれば、おそらく、自分の人間としての心は魔力に飲み込まれ、奴らの望む通りの殺戮の怪物となって同胞である、学友である人間たちを襲うことだろう。

 これまで吸収した血で2つの世界をつなぐ通路を作り、門を開けた。

 現れた奴らは魔導士たちで、奴らの世界に取り込んだこの学校の生徒たちを、自分と言う魔王誕生の生け贄にするつもりなのだろう。

 というのが大翔の考えた奴らの計画だった。

 門を開いて奴らを招いてしまうのは恐ろしく危険なことだとは思っていたが、復讐の機会を優先した。

 自分が、犠牲になっても構わないと思うほど学校や学校の連中のことを嫌っているのか、大翔にも自分の心が分からなかった。

 単なる意地のようなものかもしれない。

 万里が殺されたのは自分が魔に魅了されたせいだと思っていた。

 とにかく今は自分の激情に身を委ねた。殺戮の怪物になるのなら、その相手は人間ではなく、奴ら化け物どもだ。

「うおおおっ」

 しかし、クラゲ人間たちは骨のない腕を巻き付けて大翔の腕の自由を奪った。俊敏そうではないが図体がでかく、ねちっこい力があった。

 しかし、大翔があっさり1体を倒したのを見て、図書館の生徒たちは勢いづいた。

「こいつら、あんまり強くないぞ」

「集団で襲ってやっつけちまえ!」

 思えばここにいるのはラノベファンのオタクたちで、突然のショックから立ち直るとこのシチュエーションを楽しむ余裕が生まれ、興奮したようだ。

 男子たち数人がわっと外側の1匹に集中して襲いかかった。

 クラゲ人間が手を伸ばすと、バリッと、青い電気を放った。

「ぎゃっ」

 放電を浴びた男子たちはしびれて、踊るようによろめき、尻をついていった。

「駄目だ、やっぱり逃げろ!」

 横に並んでいた化け物たちが大翔に群がって、出口が開けた。

 彼らの後ろには石の扉が観音開きに開いていた。その先にも赤い世界は続き、学習室にいた生徒たちが立ち騒いでいたが、ともかく、図書館の生徒たちは化け物たちの脇をおっかなびっくり駆け抜け、そちらへ逃げて行った。

「くっそお……」

 大翔はこれだけは決して放すまいとナイフを握りしめ、取り上げようと近づく化け物の指を傷つけてやった。絡み付いていた蛸腕がぬるりとぬめり、腕を引き抜き様ナイフで撫でてやった。化け物も痛みには敏感らしく、怯えたように腕を緩め、

「放せよ!」

 と、反対の奴にもナイフを振るい、なんとか脱出に成功した。

 少し距離を取って睨み合い、もぞもぞした動きをする連中に大翔は疑問を感じた。

 何故自分にも電気攻撃をしてこない?

 あくまで俺を魔王として利用するつもりなのか?


「グワス・スタムハ」


 人間の声が何か呪文のようなものを叫び、すると、

「うわっ!」

 大翔のナイフを握った手が目に見えない力でねじ上げられた。

「ウフル、ウフル、ウフル、」

 呪文が叫ばれるたび、ねじ上げる力が強くなり、とうとう耐えられずに大翔はナイフを放した。

 見えない力が消え、大翔はがっくり膝をつきながら、素早く落としたナイフを拾い上げようとした。

「グワス・パンパ」

「ぐわっ・」

 今度は衝撃波が襲い、大翔は後ろに吹っ飛ばされた。

 仰向けに倒れ、喘ぐように咳をすると胸がひどく痛んだ。

「馬鹿ねえ。彼らはせっかくあなたを助けてあげようとしているのに」

「な、なに?」

 うめきながら肘で上半身を起こし、見ると、貴代美が歩いて来て、赤い本を拾い上げた。

「何故来た? これ以上の物はおまえも望まないはずだ」

「どうしてそう決めつけるの?」

 貴代美はすっかり暗黒の女王様気取りで哀れな敗北者を見下した。

「大畑はどうした?」

「大畑君? いるわよ」

 貴代美が後ろへあごをしゃくると、青ざめた大畑がきょろきょろしながらやってきた。

「大畑、おまえまで。馬鹿やろう……」

 貴代美が笑った。

「大畑君を操るのはあなたを操るよりずっと簡単だったわ。タイミングを見計らって、国生君を止めなくちゃ、って正義心をつついたら、あっさり引き返すことに同意してくれたわ。彼はあくまで宗教テロだって思い込んでいたけれど」

 貴代美のあざけりも耳に入らないように、大畑は倒れた大翔を助け起こし、訊いた。

「これはなんなんだ? おまえいったい何したんだよ?」

「ったく、どいつもこいつも」

 大翔は忌々しくつぶやきながら大畑に助けられて立ち上がった。

「貴代美」

 大翔が睨み、大畑も疑惑の目で貴代美を見た。

「おまえ、何を知っている? なんで呪文を知っている? おまえの目的はなんだ?」

「これ」

 貴代美は今は赤くなっている本を掲げた。

「あなた方には黒く見えていたのよね? わたしには最初から赤く見えていたの」

「どういう……」

 大翔ははっとした。2度目に黒い本を発見したのは自分が最初だと思い込んでいた。だが、思い返してみれば、貴代美は最初から自分が見ているのが「神曲」だと知っていたじゃないか? 先に黒い本を見つけて、それが「神曲」だと確かめていなければ、あの時点で自分が「神曲を読んでいる」とは分からなかったはずだ。

 何故それに気付かなった?

 大翔は自分のうかつさを呪いつつ、ギリギリと貴代美を睨みつけた。

 だが、黒ではなく、赤い本だと? それはいったいどういうことだ?

 貴代美は大翔の頭の中を全て見透かすように言った。

「あなたの読んだ本、文字化けしてたでしょう? 下位のレベルじゃ正確な文字は読めないのよ。わたしは最初にテキスチャを読み込むプログラムを授けられた。黒い本には赤い文字が浮かぶんでしょう? 赤い本には黒い文字が浮かぶのよ、ちゃんとした漢字のね。まあ、もっとも、あなたの学力じゃあ読めやしなかったでしょうけれどね。そうね、万里さんが見ていたのも赤い本だったんでしょうね。だからあの警告文は赤いインクで書かれていたのよ、本が赤く見えるわたしに見えないようにね。けっきょくあなたも見えなかったんだから、万里さんも残念だったわねえ?」

 おほほほほ、と笑われて大翔の貴代美への憎しみは決定的になった。

「おまえはなんなんだ? 俺たちと何が違うって言うんだ?」

「わたしはあなた方下っ端工作員の監視役よ。異世界を招く為の血を上手に集めるようにね。うん、あなたは優秀だったわ。ご苦労様」

「そうか……」

 大翔は思い至った。自分は魔力に依って珠桜や貴代美といい仲になって有頂天になっていたが、それもみな監視役である貴代美に上手く操られていたのだ。

 大翔はおもむろに開いた手を突き出した。呪文がなくても魔力は放てる。

 何も起きなかった。

「あははは、何そのかっこう? 中2病ってやつ? かっこわるーい」

 腕を構えたまま大翔は脂汗を流した。貴代美はひとしきり笑うと教えてやった。

「あなたの役割はゲートを開くところまで。あなたに与えた魔力はとっくに無効化してあるわよ」

 ならば力ずくで、……というのはさっきの呪文攻撃で懲りた。今も呼吸するたびに胸が痛い。肋骨にひびが入っているのかもしれない。

「何から何までおまえの手のひらの上ってわけかよ。それで、おまえはなんなんだよ? 奴らの手先になってまんまと俺に魔界を呼び寄せさせて、それでおまえは、何を手に入れようと言うんだ?」

 大翔はチラッと横へ目を流した。大畑が悲愴な顔で貴代美を見ている。この変貌した世界よりも変貌した貴代美の心に激しいショックを受けているようだ。貴代美は大畑に表面だけ申し訳ないような顔を作って、言った。

「わたしはこのミッションが成功したら、コーディネーターとして自由に時間と空間を渡り歩ける力を与えられる。もちろん、永遠の若さと美貌付きでね」

 貴代美はにっこり笑った。

「コーディネーターってのはなんだ? まさか……」

「ええ。またあなたのような間抜けを使ってこの世界を招来するのよ」

「なんのために!?」

 叫んだのは大畑だった。

「こんな物を招き寄せて、俺たちの世界をどうするつもりだ!?」

「世界をどうする……」

 貴代美は白々しく小首をかしげた。

「そんな大げさなことじゃないわよ。ただ、ね」

 また外から轟が響いて来た。それもさっきよりずっと大きく、近く。石の床が振動する。空気に生臭い水気を強く感じ、外は海なのかもしれないと思った。

 貴代美の後ろにクラゲ人間たちが整列し、両手を差し上げ、ブクブクと、呪文のような物を唱え出した。

 轟と振動は更に大きくなる。大翔はざっと頭が冷たくなった。貧血で意識が遠のきそうになるのを必死にこらえた。

 自分の甘さをまざまざと実感させられた。

 何が魔王だ、何が人間兵器だ、自分こそとんだ中2病だ。

 人間にとって絶望的な存在は、最初からいたのだ。

 そいつが今、海の底から、ここに這い登ってくる。

 巨大で、圧倒的な物だ。

「彼らは神官よ」

 貴代美の声にビクッと振り返った。

「神に生け贄を用意するのが彼らの役目。生け贄に選ばれたのが、この学校の生徒たちよ」

 部屋の壁が外へ倒れて行った。メカニカルな動きで、チェーンと歯車のガチャガチャ言う音が響き、轟がじかになだれ込んで来た。

「彼らの神様は生きたままの動物を食すのがお好みなの。それも、若くて元気な、知性があって感情豊かな高等生物をね」

 赤い空が開けて行き、自分たちがいる世界の全貌が現れた。

 そのスケールに大翔は思わず口がだらしなく開いて行った。

 貴代美と神官たちがいる側には赤い大地が広がり、遠くに黒い山脈がそびえていた。そして。

 大翔たちが立っている側を振り返ってみれば、そこには黒い海洋が広がっていた。

 大地と海洋を見下ろしている。

 自分たちは海から数十メートルそびえ立つ断崖にいるのだ。

 大勢の悲鳴が聞こえた。

 元の学習室があったところも壁が開かれ、外の景色が現れたのと、更にその向こうに、広い台地が現れ、そこに学校にいた生徒、職員たちがいた。台地はちょうど学校の敷地と同じくらいの広さだった。

 海からそそり立った断崖は、後方を大地に接続していたが、そこには大きな石の扉が閉まり、そこから陸へ逃れるのを禁じていた。

 轟が響き渡る。皆ぎょっとして海の方を向く。

 ビチャン、ビチャン、と、波とは違う大きく水がはねる音が上がってくる。

「国生君。こっちにいらっしゃい」

 神官たちが元学習室への扉があったところに壁が外に倒れて現れた下への階段へ向かい、いっしょに向かう貴代美が呼びかけた。

「あなたはこの世界を招いた功労者だから、生け贄から逃れる資格があるわ。せっかく彼らが安全なところに案内してあげようとしたのに、傷つけるなんて、ひどい人ね」

 貴代美は困ったものだと笑った。そして。

「大畑君は……残念だなあ。本当はここに連れてきたくなかったんだけれどね。わたし一人は行かせてくれなかったでしょうから。わたしのこと、許せないわよね?」

 大畑は固い顔で言った。

「もちろんだ」

 貴代美は肩をすくめた。

「残念。じゃあ、みんなと運命を共にしてね? 国生君は? どうするの?」

「行け」

 大翔はどんと大畑の背中を押した。

「死にものぐるいで逃げ回れ。あんな女、こっちから振ってやれ」

 貴代美が、馬鹿な男、とあざ笑い、階段を下りた。

「国生……」

「行け!」

 大畑はうなずき、階段には降りずに、みんなが集まって怯えている広場へ駆けて行った。

 大翔は落ちているナイフを拾い上げ、海に向き合った。

 グワッと黒い固まりが水を滴らせながら伸び上がり、ビチャンッ、と床を叩いた。幅2メートルほどもある、水かきの張った3本指だった。

 手に続く黒い腕がうなりを上げて宙に伸び、本体を引っ張り上げた。

 海水をしたたらせ、図書館を飲み込む大きさの黒い頭が現れた。

 巨大な目玉が内部でクルクル銀色の反射を発し、人間をそのまま飲み込める縦に開いた口が、内部で2重3重に尖った歯を並べていた。

 もう1本腕が現れて、大翔の横の床を叩いた。水しぶきを浴びて、大翔の股間が痛いほど縮み上がった。

 圧倒的で、絶望的だった。

 小水を漏らしてその場にへたり込みたかった。しかし。


(全部俺のせいだ)


 絶望の淵から怒りで這い上がり、

「うおおおおおっ」

 雄叫びを上げると怪物向かって斬り掛かって行った。

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