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2、持ち出し禁止


 音玄能未魂


「おんげんのうみこん……、イマイチしっくり来ないな」

 なんと読むのか考えている内に赤く浮かび上がった文字は再び消えてしまった。

 大翔は辺りを見回した。一番奥のどん詰まりになっているこのコーナーは自分以外誰もいない。自分より頭一つ高い書架の向こうにも人のいる気配はない。

 せっかく見つけた秘密を誰かに教えてやるつもりはない、少なくとも秘密をまだまだ全然解き明かせていない今の時点では。

 中のページも同じように読めるのではないだろうか?

 表紙を開くとパラパラ真っ黒なページをめくり、適当なところで手のひらを当て、そうっと撫でてみた。

 同じチリチリした痛みが皮膚を撫で上げたが、たくさんの小さな痛みが、一本一本とげを長く伸ばすように、皮膚を突抜け身に突き刺さってきた。

「痛てえな」

 耐えようとしたが耐えきれず、大翔は顔をしかめて手をページから持ち上げた。

 撫でたページにびっしりと漢字らしき文字が浮かび上がっていたが、表紙の文字よりずっと暗く、一文字一文字不完全にしか現れておらず、なんと書かれているのか、まるで分からなかった。

 文字が浮かび上がっている間、開いたページからは鉄さび臭いにおいが立ち上っていた。

「この程度じゃ全然足りないってわけか」

 どうやら赤い文字を浮かび上がらせるのが血であるらしいと気づいていた。チクチクした痛みは本が自分の血を吸っているのだろう。


(こいつも読まれたがっている)


 直感的に感じ、大翔は憎々しげに本を睨んだ。

 読まれたがっている=血を吸いたがっている。


(血の見返りに、おまえは何を俺に教えてくれるって言うんだ?)


 ろくな事ではないだろうと思いつつ、魅力を感じてしまう。


(こいつから誘いをかけてきたんだ、何かしら俺を喜ばせる事を教えてくれるんだろうな?)


 しかし全ての文字がきれいに浮かび上がったとしても、長文の漢文では、自分の古文の学力ではとうてい読解できはしないだろう。

 それでも、この本が提供してくれるのはそうした知性で得られる知識ではないだろうという直感があった。


 もっと動物的な、肉体的な物だ、という直感が。


 しかしまいった。真っ黒で何ページまであるのか分からないが、ざっと見た感覚では300ページ以上、400ページ近くあるんじゃないだろうか? 表紙および1ページをとりあえず読んだ感覚で、とりあえず全ページの文字を浮かび上がらせるだけでも、いったいどれだけの血を吸わせなければならないだろうか?


(俺の血を吸い尽くしてミイラにするつもりじゃねえのか?)


 本気で読了しようと思ったら本当にそうなりかねないと感じた。


(吸わせる血は俺本人の血でなくてはならないのか?)


 他人の血でも、猫やネズミの血でもいいのだろうか?

 まずはいろいろ実験してみなければならないだろう。

 大翔は本を手に、書架を離れた。



 図書館に人はいない訳ではない。人数はけっこういた。本を読んでいる者は少数だが。

 図書館は中央に閲覧用の大机の席があった。4つの机に6つの席で、計24人分。1、2年の女子で席はいっぱいになっている。ほとんど手元に置いた本は読書のポーズだけで、グループでこそこそおしゃべりして楽しんでいる。おしゃべりならわざわざ図書館に来ないでもと思うのだが、女子はこういうのが楽しいのだろう。まじめに本を読んでいる少数派の主に男子は迷惑そうだ。

 図書館の隣にはガラス戸を隔てて学習室がある。こちらは教室2つ分の部屋に図書館と同じ大机と椅子がずらりと並び、50人ほどだろうか、3年生たちが真剣な顔で受験勉強に没頭している。さながらガラス戸一枚隔てて天国と地獄の様相だ。

 学習室は元々図書館の閲覧室だったようで、図書館への出入りはガラス戸を通って学習室のドアを通らなければならない。

 大翔は黒い本を反対の小脇に抱えて貸し出しカウンターをすり抜けようとした。


「あ、すみません」


 カウンターから声をかけられて、めんどくせえなあ、と思いつつ、大翔は振り向いた。

「本を借りるんならこちらにカードを提出してください」

 そう遠慮がちな笑顔で呼びかけたのは、気付いてはいたが同じクラスの女子だった。

「えーと、万里さん」

 図書委員の、メガネの丸顔、地味な万里希未子ばんりきみこだ。落ちこぼれの大翔だったが、彼女に対してはうんと困ったしかめっ面をして言った。

「悪い。図書カード持ってきてないんだ。放課後にまた寄るからさ、そのときまで貸しにしておいてくれないかなあ? 同じクラスの万里さんが保証人ってことで、頼むよ」

 大翔は片手で拝むポーズをとって、話はこれでおしまいと、出口に向かった。

「あー、駄目です。いけません」

 地味なくせして生真面目に融通の利かないどうでもいい女子に大翔は腹が立って睨むような目つきを向けた。

「いいだろう? 別に泥棒しようってわけじゃないんだ、少しの間手続きが遅れたって…」

 本当は泥棒……無期限長期に貸してもらおうと思っていたのだが。万里は気弱そうな見た目に依らず頑固に言った。

「そうじゃなくって、その本は駄目です。それは貸し出し禁止図書です」

「え?」

 予想外のクレームに大翔は手に持った黒い本と万里とをまじまじと見比べた。

 確かに、四角いラベルの上に「貸し出し禁止」の赤い丸シールが貼ってある。

 こんなシールさっきあったかなあ、と、大翔は本に遊ばれているように不愉快に思った。

 それにしても、

「よく気がついたな?」

 カウンターから隠して反対の手で持っていたのに、よけいな目ざとさに呆れた目を向けると、万里は照れ笑いを浮かべて言った。

「その手の本はたいてい貸し出し禁止だから」

 え?、と大翔は再び本と万里を見比べた。

「おまえ、この本読んだ事あるのか?」

「その本じゃないけど、家に持ってるわよ?」

 そうなのか……、と、大翔は黒い本を見た。

「分かった。じゃあもうしばらくここで読んで、続きはまたの機会にするよ」

「すみません。よろしくお願いします」

 万里にほっとした笑顔でお辞儀されて、大翔は渋々閲覧テーブルに向かい、騒がしい1年女子の隣に空いた席を見つけて座った。

 隣に座られた1年はちょっと驚き、いったん友人とのおしゃべりを中断したが、大翔が黙って本を開いて読んでいるふりを始めると、遠慮がちにおしゃべりを再開し、じきに遠慮もなくなって元通りの密やかな騒がしさに戻った。

 大翔は本を読むふりを続けながら、隣の1年女子グループもそうだが、周りの者たちの様子をそれとなく観察した。他人のことなど興味ないだけかもしれないが………

 何も書かれていない真っ黒な本を読んでいるのに、誰もそれを不審に思う様子がない。

 やはりそうなのかと思った。

 自分以外の人間には、この本は真っ黒ではなくて、何か分からないが普通の本に見えるのだ。


 時間を見計らって本を閉じ、大翔は奥の書架へ入っていった。

 昼休みの終了を報せる5分前の予鈴が鳴った。

 がやがやと図書館を出て行く生徒たちに混じって大翔も出口である学習室へ出て行った。

「国生君」

 呼びかけられ、嫌な顔で振り返ると、万里が腰に手を当てて頬を膨らませていた。

「おなかに隠した物を出しなさい」

 手のひらを差し出されて、

「おまえ、本当に抜け目ないな」

 大翔はうんざりした顔で学生服の下に隠し持っていた黒い本を取り出したが、万里の差し出された手に返却するのを忘れたようにしばし本に見入った。

 本はベージュ色をしていた。

 確かに黒い本を書架に返したふりをして学生服の下のベルトに挟んで隠し持ったはずだったのだが。

「そんなにその本が借りたいの?」

 呆れたように訊く万里に、ああ、と生返事をして、大翔はそっけない小さな文字の横書きのタイトルを読んだ。



 世界文学全集第1巻 ダンテ・アルギエーリ 神曲



 黒い本の正体はあのダンテの「神曲」だったのだ。

 そうか、と思った。書架に並んでいた黒い本は全集シリーズの1冊、第1巻だったのだ。

「国生君?」

 万里に不思議そうに訊かれて、

「ああ」

 と大翔は視線を上げた。

「貸してくれるか?」

「駄あ目!」

 頑固な図書委員に大翔は眉をねじ曲げた。万里は大翔の手からダンテの「神曲」を受け取り、笑顔で言った。

「またのご来館をお待ちしておりまーす」

 ちっ、全然かわいくねえよ。

 大翔は心の中で毒づきながら背を向け、それにしてもなんで今になって、と疑問に思い、自分が今いる場所を確認して、そうか、と思った。大翔は今学習室にいた。


 あの本は図書館にあるときだけ黒い本に見えるのだ。


 いろいろ仕掛けの多い本だ。

 大翔は仕方なくまた放課後に来ようと思った。

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