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17、警告


 この本に異常な興味を示す人がいたら

 気をつけて。

 その人は悪魔に魅入られて、

 この学校に大きな惨劇をもたらすだろう。

 その人が悪魔に魅入られた証拠に、

 その人にはこの文字が見えない。



 面倒な字も律儀に漢字で書いて、さすがに細かいところはつぶれている。

 斜めに伸び上がる癖があって、その文字には見覚えがあった。

「驚いただろう? 本を外に持ち出すと普通の『神曲』に戻るんだ。おまえは、俺がいっつもこの本を読んでいたから、持ち出して確認する暇なんてなかったよな?」

 貴代美は息をつき、あきらめたように白けた顔になって大翔を見た。

「いったい誰の仕業よ?」

「それより」

 大翔の方は改めて怒りに燃えて貴代美を睨んだ。

「おまえはなんで俺にべたべたくっついていた? 本の魔力のせいじゃないんだよな?」

「あーら、珠桜ちゃんに恋されていたのはやっぱりその本のお陰なの?」

 貴代美はニヤリと侮蔑的に笑い、目を細めハリウッド女優のようにあごを突き出して言った。

「最っ低の男」

 大翔はくっと奥歯を噛み締めた。

「そうよ。あなたを監視していたのよ。その本がいったいなんなのか? ずうっとあなたが一人で独占してるし、明らかに危なそうなブツだし、自分で調べるよりあなたに調べさせて、自分の利益になるようなら、美味しいところだけいただこうと思っていたのよ」

 腕を組み、隠していたことがばれたのに貴代美はかえって優越的な態度を取った。そうされても仕方ない、ジゴロにでもなったようにいい気になって、騙されて、男のスケベ心をもてあそばれていたのだから。

「で?」

 貴代美は命令するように言った。

「それ、誰の仕業よ? あのうどの大木先輩…じゃないわね、気をつけて、って女言葉ですものね。字も女の字よね?」

「ああ」

 大翔はうなずいた。

「万里だよ。その字は万里の物に間違いない」

「ああ、なるほどね」

 貴代美は何か思い当たることがあるらしく忌々しい目つきをした。

 そろそろ学習室に人が入り出し、図書館を訪れる者もいて、何か只ならぬ雰囲気の二人に奇異の目を向けて行く。当番の別の委員もやってきて、大翔は、

「悪い、ちょっとカウンター頼む」

 と頼み、貴代美を誘って奥の書架へ向かった。

「万里が何か言ってたのか?」

「うどの大木先輩がいじめられて、あなたがその本を光らせたでしょう?」

 梅貝が永井と前田にからまれた時だ。

「その後、先輩を追ってあなた出て行って、しばらく帰ってこなかったでしょう?」

「ああ」

 帰って来た大翔は貴代美に「ずいぶん長いトイレだったわね?」とからかわれたのだった。

「あなたがいない間に、珠桜ちゃんが愛しいあなたの読んでいる本を気にして、読みたそうに見ていたのよ。そうしたら万里さんが、『ちょっと見ちゃおうか?』と表紙をめくって、珠桜ちゃんに見せたのよ。そしたら珠桜ちゃんはビクッとして、わたしも何かな?と思ったんだけど、何しろこっちは見えないから、うかつなことも言えなくて。そしたら万里さんがわたしにも『ね?』って笑いかけて、わたしは興味ないふりをして誤摩化したんだけど……。そうね、どうせ下らない、エッチな落書きでもあったんだろうくらいに思っていたんだけど、まさかね、そこまで堂々と書かれていたんじゃあね、無視するのもおかしかったわね」

 貴代美は憎々しげに笑った。

「万里さんはわたしの反応を見ると本を閉じて、何か言いたそうな珠桜ちゃんに『留守中勝手に見たことは内緒にしておこうね』って言って、わたしはほっとしたんだけど。まさかね……」

 大翔は戻って来たときに自分を見た珠桜の青ざめた顔を思い出した。ページの破れた本の異常、そしてあの警告文を見て、それについて全く何も言わない自分。珠桜は『悪魔に魅入られた者にはこの文字が見えない』なんてファンタジーは信じなかっただろうが、おかしいとは思っただろう。それを訊きたいと思いながら、聞くのが怖い、恋する自分に覗き見したことで嫌われるのが怖い、と思って訊けなかったのだろう。

 まさか…、と思ってその後忘れていたが、万里が事故死し、自分がリーダーシップをとっての最近の図書館の盛況ぶりを見て、もしかしたら…、と思い詰めて、昼休み、とうとう自分に確かめて、そして、自分が悪魔に魅入られていることを確信したのだろう。

「なるほどな」

 珠桜のことは分かった。

 分からないのは万里のことだ。

「万里さんは本のことを知っていたわけね。ページを破って、警告文を書いた……。どういうことになるのかしら? ウド先輩はどう? あの人も本の秘密を知ってるんでしょう?」

「ああ…」

 貴代美のヒントで分かった。

「先輩は俺たち以前に黒い本を見つけ、血で浮かび上がる文字の秘密を知っていたんだ。夏休み中のことだ。ところが、本は1週間くらいで元の『神曲』に戻ってしまったそうだ。おそらく、万里がページを破って、本の魔力を破壊したんだ。おそらく血を吸い始めた初期の段階で、その程度で魔力を失ったんだろう。あの万里のことだ、どうせ夏休み中も毎日図書館に通っていたんだろうからな、万里にも本が黒く見えたんだろう。そして邪悪な物を感じ、魔力を封じると共に、いつかまた復活するのを予感してあの警告文を書いた。あの万里が本を破いて落書きするなんて、相当迷ったんだろうな」

「そう……、ウド先輩も万里さんも、本が黒く見えていたのね…………」

 貴代美が感慨深げに言い、

「ああ」

 大翔は新たな事実に気付き、うなずくと続けた。

「梅貝先輩はただの『神曲』になってしまった本を必死に調べたそうだ。おそらくその時には警告文は書かれていただろうから、当然読んでいたはずだ。それなのにそれを黙って俺に接近して来た……」

 本に再び黒い魔力が甦り、その力に魅力を感じた梅貝は、警告文を知った自分が恐れをなして手を引くのを恐れたのだろう。悪魔に魅入られた者の末路は決まっている。警告文の示すように自分が悪魔に依って「滅びる」のか、テストのつもりもあっただろう。あんな化け物が現れて、慌てて、一抜けた、わけだ。

 せこい野郎だ、と大翔は梅貝に怒りを感じた。

 まあ、奴はいいとして。

「分からないのは万里だ。万里は俺が黒い本を持ち出して、あの警告文に気付くのを邪魔した」

 気付いた初日に、持ち出そうとして阻止された。

 自分に悪魔に魅了されないでほしいと思うなら、邪魔なんてしなかったはずだ。まさか図書委員としての条件反射でもあるまい。すると……

『万里は俺に魔に堕ちてほしかったのか?…………』

 あのいつもニコニコして人の良さそうだった彼女が、裏でそんなことを思っていたとも思いたくないが、彼女の行動は謎だ。

 梅貝に再び本が黒く見えたのなら、当然万里にも黒く見えていただろう。

 彼女も梅貝のようにこっそり魔力を欲していたのか?

 一度は魔力を破壊して、あんな警告文を書いておきながら?


(女は魔物だな)


 自分をいいように手玉に取っていた貴代美を見て思う。

 もしかしたら万里も。

 死んだ万里希未子こそが狡猾な魔女だったような妄想をした。

 しかしそれも一瞬。それこそ2次元の萌えキャラみたいなドジ魔女が思い浮かんで、あいつに限ってそれはないか、と思った。

「あなたを図書館に引きつけておきたかったからでしょう」

 貴代美が至極あっさり言った。

「よかったわね? 万里さんだけは本当にあなたが好きだったのよ」

 貴代美は大翔に対しても万里に対しても小馬鹿にした笑いを浮かべた。

 嫌な女だ。

 腹立たしさは自分がいかにこの女に惹かれていたかの裏返しで、改めて敗北感に打ちのめされた。

 そうなのだろうか?

 本当に万里は自分が好きで、自分を引き止めておく為に、あえて魔に魅了されて行くのを放置していたのだろうか?


(ちくしょう、あんな警告文を残しておきながら、なんであっさり殺された?)


 生きていればいろいろ問いつめてやりたいことがあるのに、死んでしまったことが腹立たしくてならなかった。




 大翔はカウンターの当番についた。

 閲覧席は今日もほぼ満員で、手にしたラノベから血を吸われて、みんなぼうっとした顔をしている。

 彼らはどうなるのだろう?

 万里は自分がこの学校に惨劇をもたらすことを予言している。

 学校にもたらす惨劇とは、すなわち、彼らが殺されることではないだろうか?

 あの黒い影たちが本格的にこちらの世界にやってきて、彼らをどうかするのだろう。

 それを承知で、俺は黒い本への献血運動を続けている。自分も血を得る快感を得ながら。

 俺は魔に魅了されて、人としての良心をすっかり失ってしまったらしい。

 黒い本を、今、貴代美が読んでいる。

 赤々した文字がページいっぱいに浮かんでいるのが離れた場所からもはっきり見える。

 たいした奴だ、こっちが自分の血を与えてようやく一字一字辿っていた文を、今は他人の血でゆうゆう読んでいる。

 苦痛はなく、ひたすら愉悦だけを浮かべている。


(選ばれたのは俺だ)


 貴代美への腹立たしさと対抗心がめらめらと燃え上がる。

 勝負は来週中に訪れる。

 貴代美がスラスラめくるページの速さでもそれが分かる。

 黒い本を奪い返し、その魔力を手に入れるのはこの俺だ。

 大翔は凶悪に目をギラギラさせた。

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