13、生け贄
廊下に出るとまた以前のように窓から中庭を見下ろしながら梅貝は言った。
「知らなかったぜ、黒い本の魔力にあんなおまけがあるなんて」
貴代美や珠緒、美形女子に美少女のことを言っているのだろう。梅貝は横目に大翔を見てニヤッと嫌らしく笑った。
「考えてみりゃそうだよなあ、血気盛んなヤングアダルト男子がチートな黒い魔力なんて手に入れて、思い描くことと言ったら美少女ハーレム作ってウハウハだよなあ?」
「まあ、そうですね」
ふてぶてしく肯定する大翔を梅貝は小憎らしそうに鼻で笑った。
「実は俺もいいことがあってな。図書館でからまれてる俺を助けてくれただろう? あの赤い光を見てからまた頭のいい俺が復活してな。ま、すぐにまた馬鹿に戻っちまったが。復活した黒い本が俺を誘ってやがるのかと警戒していたんだが……、美少女ハーレムのおまけがつくんなら誘いに乗ってやってもいいかと思ってな」
嫌らしく笑う梅貝に合わせて大翔も笑った。
「ツインテールの1年生はどうした? 俺、彼女の方が好みなんだがなあ」
「残念ながら彼女は恋の魔法が解けてしまったみたいです。どうやら黒い本の魔力が本領を発揮できるのは図書館の中に限定されるようですから、図書館に寄り付かなくなったんじゃ仕方ありませんよ」
「そうか、もったいねえなあ。なんとかならねえかなあ……。ま、それは今はいいや。本題だ」
梅貝はでかい顔面の中で狐みたいに目を陰険にさせて大翔に向き合った。
「おまえ、黒い本が見える人間たちと協力して本が読めないかって言ってたよな? それってさあ、本が黒く見える人間じゃなきゃ駄目なのか? 別に見えなくてもかまわねえんじゃねえかなあ?」
「どういうことです?」
「試してみる価値はあるんじゃないかってことさ。お前が発動させた赤い光が俺にも作用した。黒い本が欲してるのは血なんだろう? じゃあ、別に俺たちの血じゃなくたってかまわないんじゃないか、新鮮な人間の血ならば、誰の物だろうとよ?」
「それは試してみたいですけど、何か当てがあるんですか?」
「俺にからんできた二人、永井と前田って言ってあいつらも俺とどっこいどっこいの落ちこぼれなんだがよ、あいつらが性懲りもなくしつこいんだ。馬鹿だから。んで、いっそ教えてやろうかと思ってよ、本の秘密を」
梅貝は小動物をいじめるガキみたいに残忍に笑った。
「あいつらには本は黒く見えていない。だから、こう誘ってやろうと思うんだ、指を切って血を滴らせて本と契約しろ、って。契約が成立すればおまえらにも本が黒く見えるようになるだろう、ってな」
どうだ?と得意そうに見つめられて、
「面白そうですね」
と大翔は答えた。
「だろ? 直接生き血を吸った本がどういう反応を見せるか、見物だよな? 何も起きなかったら、そんときはそんときだ。あいつらに全く魔力の才能がねえってことで、事実だもんな? 俺たちに文句言われても困るぜ」
「いいですね。でも困るのは、いくら利用者が少ないからと言って図書館がまったく無人になることは滅多にありませんよ?」
「そうだな。それはおまえがなんとかしろよ? 俺は受験勉強で忙しい」
「分かりました。俺、図書委員になったんですよ」
「そうか。そいつは好都合じゃねえか。じゃあ、よろしく頼むぜ。また適当なときに顔出すから、考えといてくれよ」
梅貝は学習室に戻っていき、大翔は少し間を置いてその後ろ姿に続いた。
(けっ、調子こいてんじゃねえぞ、うすのろ野郎。誰がてめえと俺の女をシェアするかよ)
大翔は憮然としながら、ニヤリと黒い笑いを浮かべた。
(てめえもなんとかいう馬鹿2人と同じ黒い本のエサだ。せいぜい今だけいい夢見てるがいいぜ)
さて、まず2人の先輩を使った実験をどう実行したらいいか、大翔は考えた。
図書館に戻った大翔は、返却された本を書架に戻している図書委員に話しかけた。図書委員は8割方女子で、今週の当番4人はみんな女子だった。これもハーレム状態だが、残念ながら大翔好みの美人女子はいなかった。
「ちょっと相談があるんだけど。図書館を一人きりで使いたいんだけど、協力してくれないかな?」
その図書委員、2年A組の平本は、いかにも気の弱そうな女子で、大翔の相談に困った顔をした。
「え、どういうこと? 司書の先生に言ってよ」
「今は駄目だよ、事故のあったばかりだからな。別にたいしたことじゃないよ、朝の当番を1日代わってくれればそれでいい。俺はちょっと早めに登校して、どうせ朝なんて図書館に来る生徒もいないだろう? その時間だけ独占できれば気が済むんだ。そっちは面倒な当番を1回代わってもらえるんだから、いい話だろう?」
平本も楽を出来るのには心が動いたが、そういうルーズなことはやめましょうと会議で決めたばかりで、後ろめたいように訊ねた。
「図書館で一人になって、何をするわけ?」
「万里希未子の読書履歴を調べたい」
平本は目を丸くした。図書カードは磁気カードになっていて、ピッとリーダーで読み込んで、データはカウンターのパソコンで管理される。大翔は恥ずかしそうに微笑んだ。
「あいつがどんな本を読んでいたのか知りたいんだ。あいつここに入り浸って本ばっかり読んでただろう? あいつの読んでた本を読んで、追悼してやろうと思ってさ」
平本は納得し、温かい目になった。
「そういうこと。でもそれならわざわざ一人にならなくても?」
「一応個人情報だろう? それに、俺自身、ちょっとあいつのことを思ってしんみりしたいかな…なんてね」
平本はうなずいた。
「明日がいい?」
「いや。そうだな、金曜が落ち着けていいかな」
「分かった。じゃあ他の人にも伝えておく」
「悪いな。ありがとう」
平本は男子と打ち解けたのが嬉しいらしく微笑んでカウンターに帰っていった。大翔も微笑みで見送りながら、やはり上手く行ったな、と満足した。ここ図書館では、たいていのことは自分の望んだように行くはずだと予想していた。
翌日放課後、訪れた梅貝に金曜朝でどうかと訊いた。梅貝は朝早く登校しなくてはならない面倒を思って顔をしかめたが、仕方ないと納得した。
「それじゃあ、二人を上手く誘い出してくださいね?」
「おう。あいつらもけっこう追いつめられてるからな、多分乗ってくると思うぜ」
「ええ。きっと上手く行きますよ」
金曜朝、7時05分。
朝一番に登校した大翔は教務室で鍵を借り受け、図書館の戸を開けた。学習室の戸には錠はない。
15分過ぎ、梅貝と2人の3年生、永井と前田がやってきた。二人は疑い半分、気味悪さ半分で大翔を見て、
「おい、おまえも、くだらねえいたずらだったらただじゃおかねえからな」
と、梅貝にも凄んでみせたが、この学校の生徒らしからぬ安っぽさに大翔は薄い笑いを浮かべ、
「どうぞ」
と奥へ案内した。
「これです」
大翔は棚から「神曲」を取り出し、二人に見せた。
「お二人にはどう見えます?」
「どうって……」
二人は互いに表情を伺いながら、
「ただの本にしか見えねえけど?」
と、自信なさそうに答えた。元々たいしたことないチンピラ気取りが、やけに堂々とした下級生の態度と、朝のひんやり静かな空気の中、古い、知的な本に囲まれた独特の雰囲気にのまれてビビっていた。
「僕たちにはこれが真っ黒な本に見えています。ね、先輩」
自信満々にうなずく梅貝に二人はチッと舌打ちするような不快な目を向けた。大翔がプロモートを続ける。
「これは血を吸って文字を浮き上がらせます。赤く光る文字です」
大翔は表紙にべったり手のひらを当てて撫で下ろした。ヒクリと顔をしかめる大翔と、本と、二人は交互に見つめた。
「今ここには漢字で『ネクロノミコン』と浮かんでいます」
「ネクロノミコン……」
その有名な魔導書の名前を知っているようで、二人はごくりとつばを飲み込んだ。
「なんにも変わりねえが……」
大翔は表紙を撫でた手のひらを二人の横の空間に向けた。大翔の心には、出来る、と、強くわき上がる自信があった。果たして、開かれた手のひらからは未知のエネルギーがほとばしり、二人の頬に風を叩き付け、向こうの壁で「バン!」と音を立てた。二人は驚いて振り返り、風になぶられた頬を撫でた。ただの風ではなく、静電気を浴びていたようで、ひりひりするのだった。
「本物ってわけか、畜生……」
ビビりながらも二人の心に美味しい魔力への期待がムクムクとわき起こった。
「それを、どうやったら手に入れられるんだ?」
大翔と梅貝は視線を交わしてニヤリとした。
「血を吸わせて契約するんだよ。ほらよ」
梅貝がポケットからカッターを取り出して、リーダー格の永井に渡した。刃は出ていなかったがカッターを手にした永井には刃物で肉体を傷付けることへの恐怖感がわき起こった。
「お、おまえもやったのかよ?」
「俺はたまたま鼻血が出たんだよ」
梅貝がビビる永井をあざ笑うように言い、永井に視線を向けられた大翔は、
「俺はクラスメートと喧嘩して、唇が切れていたんです」
と、秘密を漏らすようならあんたらも殴るぞ、とにおわせた。もちろん作り話だ。
「ちくしょお……、どのくらい切ればいいのかなあ…………」
カチカチと刃を押し出し、緊張に震えようとする左の人差し指の腹に刃を当てた。隣では前田が今にも貧血を起こしそうな顔で凝視している。
(さっさとやれよ、臆病者)
永井は思い切ってブスリと刃を突き刺した。薄く、梅貝が古い刃先を折ったばかりの新しい刃先は、鋭く、思った以上にスルリと肉を切り裂いた。
「いてっ…」
プクッと赤黒い血が膨れ上がった。
大翔が差し出す「神曲」に永井は急いで下に向けた指先から血を滴らせた。
ボトリ、と、大翔と梅貝には見えなかったが、ベージュ色の表紙に赤い点々がボタボタッと広がった。
突如、本が真っ赤に染まった。
「ひいっ!」
真っ赤な中から、真っ黒な目、真っ黒な口を開いた顔が立体的に浮き上がった。
「うわあっ!」
スポッと、強力な掃除機に吸い込まれるように、永井は指を魔物の口にくわえこまれた。
永井はブルブル震えた。白目を向いて、顔色が見る見る青くなっていく。チュウチュウ魔物に血を吸い上げられているらしい。
「ひいっ」
前田が泡を食って逃げ出そうとした。
「逃がすな」
大翔の鋭い声に弾かれるように梅貝が動き、追いすがり、前田を押さえつけた。
「放せ! やめろお!」
「うるさいですよ。口塞いでください」
梅貝の無駄に大きい手が前田の貧弱なあごをぎゅうっと押さえつけた。前田の目玉が絞り上げられるように大きくなった。
力を失った永井が床に崩れ落ちると、ぬるっと人差し指が抜け落ちた。永井はそのまま失神し、大翔は永井が床に放り出したカッターを拾い上げると、冷たい目で前田に迫った。
前田は必死に逃げようとし、梅貝の腕に押さえられた学生服が上に脱げながら、ズルズルと床に半分寝そべったかっこうになった。目からは涙がにじみ出ている。
「死にはしませんよ……多分ね」
大翔は目で梅貝に指示し、左手を掴んで突き出させると、前田は必死の抵抗で手を固く握りしめ、大翔は構わずその手の甲に横にカッターを滑らせた。梅貝の手の下で前田はくぐもった悲鳴を上げた。大翔は無理矢理手の甲を赤い魔物にくっつけた。魔物は大口を開け、パクリと手の甲に吸い付くと、前田の血を吸い始めた。
前田も白目を向いてガクガク震えた。
「おい、本当に殺すんじゃない。面倒だ」
大翔はいい加減なところで魔物を引きはがし、前田は蒼白の顔でぐったり失神した。
魔物は不満そうに口をうごめかせていたが、もうエサがないと知ると、本の中に引っ込んでいった。
濡れるように真っ赤だった本が再び黒くなっていくと、パアッと、閉じたページから漏れ出るように赤い光がほとばしった。
その光に顔を照らされながら、大翔は本を開いた。




