12、悪友
図書委員の図書館の当番のスケジュールはかなりルーズだった。やはり司書の枝文教諭があまり委員会の運営に熱心に関わらないのが原因の一つと思われた。この学校の「生徒の自主自立の精神に任せる」という伝統が悪い方向に出た形だ。だいたいこの藤堂高校は、進学校ではあるがスポーツには熱心で、反面、文化部や文科系のイベントには冷淡だ。文武両道。文は勉学にいそしめばそれでよい、ということか。枝文教諭もこの学校の出身ということだ。
図書委員は、授業で使用することがある必要から各クラス1人は選出するようにということだが、文芸部の延長のような感じで、読書好きの生徒たちがボランティアで図書館運営をやっているような感じだった。それで仲間同士なあなあという感じでルーズになっているところがあったわけだが。
万里の事故死を受け、事故には直接関係ないとも思われたが、やはりきちんと当番のスケジュールを決めて、各自ひとに頼んだりしないできちんと守ろう、ということになった。
3年生委員を除いて、1、2年生で2人ずつ組んで、1週間交代ということになり、新しく加わった大翔も来週1週間を他の2年生1人と1年生2人と組んで担当することになった。
この1週間は特に仕事のない大翔だったが、前任者の万里同様、昼休みと放課後、毎日図書館に通っていた。
黒い本は黒いままだった。
大翔は安心して、すっかり定位置となった、校門前の通りに面した窓を背にする椅子に座り、黒い表紙をめくり、しおり紐を頼りに読み進めたページを開き、続きを、指で辿ることに依って、読み始めた。
指先にチリチリした痛みを感じると、久しぶりの感覚に、体の心からブルリと震えた。
司書が図書館運営から遠ざかっていたのは単純な位置的問題もあった。
元々図書館は現在の学習室と併せて一つだった。間の仕切りは無く、現在の図書館が書架で、学習室は閲覧机が並ぶスペースだった。その端に司書の持ち部屋でもある図書準備室があったのだが、閲覧スペースが自主学習に利用する学生たちの要望で学習室として独立し、間に仕切りとドアが設置されて、書架スペースが図書館になった。学習室の中にあった図書準備室は邪魔にされ、取り潰されて学習室の一部となり、図書準備室は本校舎の倉庫が空けられて、引っ越した。こうして距離が開いてしまった為、ついつい司書は図書館につめるのがおっくうになってしまったのだった。
生徒の死亡事故は図書館の管理責任者である司書の責任も問われたが、幸いと言うべきか、元々予算面で冷遇されていたので、建物の管理までは責任の範囲外ということで無罪となった。
枝文司書は昼休み、放課後と、図書館にいるようになったが、当番の図書委員たちといっしょにカウンターの中で、どうも居心地悪そうにしている。
枝文司書は、小柄で丸顔、丸メガネと、万里と共通していたが、万里がファンタジー系の夢見る文学少女なら、枝文司書は国文学の学士といった感じで、向こうも子供は苦手そうだったが、生徒たちも親しみを感じる人ではなかった。童顔で若そうに見えたが、実はもう40代半ばだとか。
司書が図書館への情熱を持たないのも同情できる。彼女も最初からそうだったわけでもなく、(それとも出身者の彼女が学生時代からそうだったのか)図書館をまともに利用する生徒は非常に少なかった。
ただでさえ利用者の少なかったところに、生徒が死んで、元々利用者の大半だったおしゃべりクラブの1、2年女子たちはすっかり寄り付かなくなり、数少ないまともな読書好きの利用者も、やはり重い気分を嫌ってか数が半減してしまった。
放課後、閑散とした部屋を眺め、大翔はこれでは読んでいるふりをする意味も無いかと張り合いを失いかけた。
貴代美がやってきた。
貴代美は黙って以前のように大翔の正面の席に座り、持参のTOEIC本を読み出した。
大翔は本から指を離して貴代美を見た。
「なんだよ、勉強ならとなりの学習室でやればいいだろう?」
貴代美は無視してしばらく黙っていたが、大翔の視線をうるさく感じてか、怒った顔でじろりと睨み上げると言った。
「万里さん、国生君のこと好きだったのよ。知ってたでしょう?」
そうだったかもしれない。
国生は、落ちこぼれとはいえ、この学校に受かったくらいだから中学までは勉強はできた。小学校の頃はもっとできたし、体育の授業でも常にトップグループだった。正直、女子にモテていたと思う。
極端に言えば大翔の人生がガタンと変転したのは、小学5年生に上がる時だった。
生徒の数が減少していき、大翔の学校が閉校となり、両隣の2つの学校に生徒は分散することになった。
大翔が転校した先の学校には、ライバルがいた。
同じクラスのそいつは勉強でもスポーツでも学年1で、大翔は勉強もスポーツもことごとく負けた。そいつとは友達になったが、内心では、それまで常にトップだった大翔はいたくプライドを傷つけられ、しかしそれを表には出さずに友達付き合いしていたのがなおいっそう自分を惨めにさせ、屈折させていった。
中学に上がると、ライバルは更に増え、大翔は全体から見ればまだ十分トップグループだったが、順位は学年を上がるたびにじわりじわりと下がっていった。
大翔は藤堂高校には行きたくなかった。中3になって進路をどうするかと考える時期になると、周りの奴らがどこの高校を受けるという話を聞いているうち、志望する連中の顔ぶれでだいたいその高校のカラーが分かるようになった。
藤堂高校は自分には向いていないとはっきり感じていた。
しかしなまじ成績が良かった為、周囲から強く進められ、抵抗できずに入試を受けたら、受かってしまった。
合格した時はさすがに嬉しかったが、入学してからというものは、それ以前の予想の通りで、現在すっかり落ちこぼれて、すっかりいじけた情けない奴に成り下がってしまっている。
自分は人生の選択を誤った。
と、未だにこの高校を受けてしまったことを後悔していた。
そして、小学校の閉校で転校した先で出会った、こいつが俺の転落人生の始まりだ、というのが、大畑愛夫だった。ご立派な政治家志望様だ。こいつは小学校の頃から変わらず立派な奴だった。
万里希未子は小学4年生まで同じ学校に通い、3、4年生の2年間は同じクラスだった。大翔が人生で一番輝いていた頃のクラスメートで、大翔に憧れていたことは十分考えられる。
万里とは中学は別で、藤堂高校で再会したときにはすっかり他人行儀になっていた。
大翔も本当は万里を覚えていた。しかし、再開までの間に大翔はすっかり屈折して惨めになり、自分がかっこ良く輝いていた頃を、「懐かしいね」なんて風にはとてもじゃないが話したくなかった。
万里さん、国生君のこと好きだったのよ。知ってたでしょう?
「まあね」
大翔はニヒルに鼻から息を吐いた。
「面倒だから鈍感なふりをしていた」
怒っていた貴代美が、ふっと、性格の悪い笑顔になった。
「国生君って、意外にワルなんだ」
そう言いながら貴代美の大翔を見つめる目は熱っぽく微笑んでいた。彼女はやっぱり美人だ。
「おまえはどうなんだよ? なんか最近大畑とおかしくないか?」
貴代美の顔がむっと不愉快になった。
「別にいいでしょ。あなたには関係ないじゃない」
貴代美は未だにテニス部に戻っていない。これだけ時間が空いてしまってはもう戻ることもないだろう。
教室ではそのことで大畑と言い合っている姿が見られたが、それももう以前のことで、二人の間はすっかりぎくしゃくして、「切れた」というのがクラスメートたちのもっぱらの見解だ。
つんとそっぽを向いた貴代美の顔を大翔は黒い笑いで眺めた。
(黒い本を読み出した途端にこれだ)
チリチリした痛みを心地よく感じながら黒いページを撫でた。
ステンレスに変わった戸を物珍しそうに開きながら梅貝が入ってきた。
梅貝はお馴染みの席に大翔を見つけ、手元の黒い本を確認すると、満足そうに微笑み、貴代美の後ろ姿を嫌らしい目つきで眺め、大翔に視線を戻した。
ちょっと来いよ、と指で示し、学習室へ戻っていった。
「ちょっと出てくる」
大翔が立ち上がると、
「またトイレ?」
貴代美がなじるような視線で大翔を見た。まるで恋人に袖にされたような不満顔を眺め、
「まあな。ちゃんと戻ってくるよ」
と、大翔はワルの顔で学習室への戸に向かった。




