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離婚の理由  作者: 大楠晴子
第1章 愛梨
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満たされない思い

 25時間だ……。

 病棟の休憩室で愛梨は携帯電話のメールの着信がないことをもう一度確認した。

 昨日の8時過ぎに智哉にメールをし、返信が11時頃にあった。それから愛梨は智哉からメールがくるのを待っていた。

 向かいのイスで、ラップで包まれた形のいびつなおにぎりにかじりついている綾音をちらりと見る。

 左手にはおにぎり、右手には携帯電話を持ち、頬を緩めて眺めている。

「……平原さん、ちょっと相談したいことがあるんですけど、いいですか?」

「えっ?何?」

「……えっと」とっさに声をかけたものの、何と言うつもりだったのか、愛梨にもわからない。言い澱んでいると、綾音はにこりと微笑む。

「いいよ。仕事終わってから、ご飯、食べに行こっか?」



 日勤を終えて、外に出る。空には月が登り木々の乾いた葉を照らしている、その葉を吹き落とすように冷たい風がすり抜けていく。

 風にのって、かさかさに乾いた葉がくるくると回って、足元をすり抜けていく。

 その冷たさに愛梨は足を速める。ロンクブーツのかかとをコツコツ鳴らして駐車場に向かって小走りに進む。

 愛梨の後ろからついて歩いてくる綾音は携帯電話を耳にあて、誰かと話をしている。


「あぁ、うん。帰りによるから、ね?」

 通話を終了させて、愛梨の車の助手席に座った綾音はふうとため息をついた。


「平原さん、もしかして今日、予定ありましたか?」

「ん?大丈夫よ」

「もしかして、彼氏さんとか?」

「うん、今日は会う約束してたけど、ご飯、食べてから行くからいいの。彼も仕事だし」なんでもないことのように綾音はさらりと口にする。

 彼氏との約束は愛梨にとって、最優先事項だ。当日になって断ることなど考えられない。目を見開いて、綾音を見つめる。

「いいんですかっ?」

「うん、別に。なんで?そんな驚くことかな?」

「え?……だって、彼氏さんなんですよね?」

「丸野にとっては、あり得ないことなんだね。ふふ、大丈夫だから、行こう?」

 綾音は車内に射し込む街灯の光を受けて、艶々と光る髪をかきあげて、微笑みを浮かべる。


 愛梨は綾音の言うままに車を走らせた。


 綾音の案内でやってきたイタリアンレストランは平日にも関わらず、込み合っていた。店の前を煌々と照らす門灯の元で、愛梨は携帯のメールの着信がないことを何度も確認していた。その曇った顔を綾音が眺めながら苦笑をもらしていた。


 案内されたテーブルに座り、オーダーを済ませると綾音は悪戯っぽく口角を上げる。

「それで?西口先生とケンカでもしたの?さっきから、携帯ばっかり見てるけど?」

「ケンカなんて……、平原さんは彼氏さんと付き合い出してどれくらいになるんですか?」

「えっ?……3ヶ月くらい?なんで?」

「……彼氏さんから、メールってきますか?」言葉にすると胸が痛む。

「西口先生は、メールしてくれないの?」

「返信はあります……。でも、いつも私からなんです。会いたいって言うのも私からなんです。先生が私にメールしたり、電話してくれたり、……会いたいって言ったりはしてくれないんです。……忙しいのはわかってるけど、メールするのに時間って三分もかからないじゃないですか、それくらいの時間くらい……、私のこと、ほんの少しでも思い出してほしい。私、ダメですか?」

 ポタリポタリと、膝の上に落ちる雫を拭うため、鞄を手元に寄せる。その手が少し震えている。


「丸野……、あんた可愛いね。一生懸命で真っ直ぐで、めんどくさくてバカなんだから」

「……面倒で、重くて、ウザイんです、私。わかってるんです」十分にわかってはいるけれど、寂しさや物足りなさは誤魔化しきれないくらいに膨らんでいる。


「先生も若くないしね。そんなマメそうでもないし、精一杯だと思うけど。……それじゃ、丸野は満足できないんだよね」

「……それも、頭ではわかってるんです。でも、私のこと、本当に好きじゃないって思うんです。私のこと、好きじゃないんです。何がどうって聞かれても答えられないし、そんなことないって言われれば、そうなのかもしれません。智さんも好きだって言ってくれるし、大事にはしてもらってると思うんです。でも、私、いつか捨てられてしまうって気持ちがいつもあって……。まだ、付き合い始めて、2ヶ月とちょっとだけど、焦ることじゃないってわかってても、消えなくて……」涙は拭っても拭っても、あふれてくる。心の思いを言葉にすると、形がはっきりして、さらに重く胸にのしかかる。


「丸野……」小さな声が聞こえる。涙は止まらない。


「……奥さんのこと、忘れられないのかなって、智さん、すごく優しいし、どうして離婚なんてしたのか、全然わかんなくて、どんどん、不安になるし。どう考えても私のこと、好きじゃないって思えてきてーー」捲し立てるように一気に話すと、こらえきれずに嗚咽がもれてしまう。


 背中に手の温もりを感じる。いつの間にか向かい合って座っていたはずの綾音が、愛梨の隣に座っていた。にこりと微笑み「泣いていいよ」と小さな声で言う。


 愛梨にやっと聞こえるくらいの小声でポツポツと言葉をつなげる。


「……不安なんだね。先生が優しくすればするほど、不安になるんだね。自分も同じようになるかもしれないっていう不安。……愛情表現って人それぞれだから、なかなか思うようにはいかないし、足りないなら足りないって言えばいいよ。私に泣きつかないで、メールしてって、言えばいいよ」


 料理を運んできた店員が居心地の悪そうに足早に立ち去る。

 ふんわりと湯気の上がるパスタを眺めていると、食べようと綾音の声が響く。

 涙と一緒に胸の苦しさが少し流れ出たようで、パスタは思いの外、胃の中に収まっていった。


「平原さんは、離婚の理由って知ってますか?」聞かなくていいとわかってはいても、やっぱり聞いてしまう。綾音はパスタを頬張っていて、愛梨の問いかけにすぐには答えず、ゆっくりと咀嚼し、飲み下してから、少し困ったように笑う。

「知らない。噂に聞いたくらいよ」

「……そうですか。私の聞いた噂って、平原さんと同じですか?奥さんが浮気して妊娠して、離婚したってやつですか?あんまり無茶苦茶だから、だいぶ大袈裟になってるんだろうし……」手元のフォークでパスタをくるくると巻きとるも、パスタはフォークをすり抜けて落ちてしまう。


「……そんな感じ。……丸野は知りたいの?どうしても?丸野には、理解できないかもしれないよ?」綾音の表情が険しくなり、愛梨は胸が痛む。

 自分より彼のことを知っている人がいるのは、当たり前のことだけれど、綾音よりも智哉のことをよく知っていたい。

 誰も知らない、自分だけの智哉を知っていたい。

 強く思った。


 皿に残った、トマトクリームをフォークで集めながら、綾音は苦々しい思いを隠すことなく、言葉を連ねる。

「丸野、誰だってなはしたくないことってあるよ。付き合ってるからって、何もかも全部わかりあってなきゃいけないかな?自分のことでさえ、わからないものだしね。……それに、先生、離婚してまだ、一年も経ってないでしょう?気持ちの整理もできてないのかもよ?」

「一番近くにいたい。気持ちも一番理解したい。できないって言われても、やっぱり一番になりたいんです。だって、好きだから」

 真っ直ぐに見つめて話す愛梨の言葉を受けて、綾音は、困ったように笑った。


 

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