初花月のグリズリー
張り詰めるような冷気が漂い、東の空から月はためらいがちに昇る。その光を大きく膨らんだ花芽がうけて、細かな毛を輝かせている。もう幾日かでその芽は白い花弁の色を覗かせるに違いない。
「何?なんで先生がここにいるわけ?ドヤ顔でカウンターに座ってるわけよ?」
「いや、それはこっちの台詞だろう?」
マグノリアカフェのチャリティー営業の夜。ドアのベルをやさしく響かせて入ってきた平原綾音は文字通り目を丸くしている。
「私はただのお客さんよ」
「俺もただのお客さんだな」
「なにそれ、頭に花が咲いたみたいな顔してそんなこと言うの?…………そういえば、高井君が言ってたわ。先生がカフェの店員さんにストーキングしてるかもって。アホらしくて今の今まで忘れてたし。……もしかしてナツさん?えっ?ナツさんなの?……ないわ、ない、ほんとにないわ、先生とナツさん、マジでないし」綾音は大げさにため息をついて顔をしかめる。
「ダメか?それこそ法律上も、倫理上も問題ないぞ?」
「性懲りもなく、またそれを言うわけ?性悪グリズリーだわ」
「今度は何にする?グリズリーと?」
「え?命名をご希望なの?残念ながらそこまで、ナツさんと親しいわけじゃないのよね。自分で付けてみたら?」フッと綾音は鼻で笑う。
「まぁ、正確にはグリズリーは冬眠しない。冬ごもりって言われる程度には活動性は落ちる。その点では、彼女は完全に冬眠、……ヤマネ?」
「えっ?テレビの?コンビ共々ほそーい人?」
「分かってていうな。小動物のほうだよ」
「ふわふわでちっちゃいかわいい動物をチョイスですか……。だいぶ痛いね、先生?」
綾音は肩をすくめて、おどけて笑う。そして、ふうっと大きく息を吐いてにっこりと微笑む。
「なんだよ?」
「なんか、よかったなと思って。私なりに先生の幸せを祈ってたのよ?知ってた?」
「夜中にわら人形に五寸釘打ってたの間違いじゃないのか?」
「なにそれ?そこまで先生に執着ないわよ。このくそ寒い中、夜中に薄着で神社に行くようなエネルギーと時間があるわけないわ」
「そうだな。その通りだな。……平原さんのお連れの方の視線が痛いから、もう行ったほうがいいと思うけど?」さっきから、黒目がちの瞳が刺さるように智哉に向けられている。
「あぁ、うん。じゃ先生、またね」
綾音が跳ねるようにその男の元に駆け寄ると、その瞳の剣がやわらぎ、智哉に軽く頭を下げる。智哉も同じように会釈を返す。
カウンター越しにこちらの様子を窺っていた蓮子と目が合う。蓮子はフライパンを握ったまま、頬を緩めるその笑顔に、智哉の頬も緩む。
いつになくにぎやかな店内に風の音は届かない。
心を凍りつかせるような冷たい風も、時間とともにぬるくなり、木々は芽をほころばせていく。
いつの間にか、春になるように、いつの間にか終わっていた。
これにて完結となります。
お付き合いいただきましてありがとうございます。
楽しんでいただけましたか?
二万近いアクセスとなりました、感謝です。
初めから愛が足りないと、つくづく感じておりましたが、心残りがガサガサあります(-_-;)
あれもこれも気になります、ホントにため息でるくらい……。
日々、精進いたします。
ではまた、お会いできますように。




