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離婚の理由  作者: 大楠晴子
第1章 愛梨
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作るのは二人分の夕食

 8階建て南病棟のエレベーターは三基。タイミングが悪いと長々とホールにたたずむことになる。愛梨は深夜勤務を終え、まぶたや肩、足にいつもより強く感じる重力に耐えて、なかなかとまらないエレベーターを待っていた。

 一緒に勤務をしたスタッフはとうに帰っていた。ひとりぽつんとエレベーターを待つ愛梨の耳に、外科病棟を白衣を翻して歩く、看護師たちの声が聞こえる。

 エレベーターの扉が開く。外は今日も冷たい風が吹き付けているらしく、厚いコートを着こんだ人が降りてくる。その後ろから、少し背中を丸めて、ゆっくりと降りてくる、智哉を目にしたとたんに、口元が緩む。


 長身の智哉に膝丈の白衣が映える、愛梨とは違う肩のライン、腕はがっしりと太い。細いフレームの眼鏡の奥の目は穏やかで、薄い唇は真っ直ぐに結ばれている。

 愛梨の視線に気が付いた智哉は「お疲れ様」と、ほんの少し立ち止まって、微笑む。

 その姿に、愛梨は胸が温かくなる。夜勤明けのヘトヘトも吹き飛んでしまい、今から何でも出来そうな気すらする。

 小さく手をあげて、病棟に向かう大きな背中をじっと見つめる。走り寄って、大きな背中にぎゅっと抱きつきたくなる。動き出しそうな足の衝動を抑え、エレベーターに乗った。





『ご飯、作って待ってます』


 愛梨は買い物に出かけ、かごを片手に持っていたけれど、カートと取り替えた。

 二人分の買い物はいつもより多く、持てないほど重くはないけれど、カートを押したかった。

 誰かのために買い物をして、誰かのために食事の支度をして、誰かのために部屋で待つ。その事実に愛梨は頬を緩ませる。自然と足が弾み、耳についた歌が口からこぼれでる。


 挽き肉をボウルに入れてこねる。冷たい挽き肉は手の熱をすぐにとってしまい、指先がかじかんでくる。指の間からぬるりと出てくる肉は少しずつ、なめらかになってくる。塩コショウをして、玉子、牛乳にひたしたパン粉を加えて更にこねる。みじん切りにして、炒めて、十分に冷ました玉ねぎも加えてこねる。

 中の空気を抜くように丸く形を整え、お皿に並べて置いておく、智哉が来てから焼いて、出来立てを食べてもらおう。

 付け合わせのサラダは、レタスとプチトマト。スープは玉ねぎとベーコン。

 3合炊きの小さな炊飯器は蒸気を上げている。


 時間はもうすぐ19時、愛梨は、そわそわと落ち着かない。智哉がこの部屋にやってくるのは初めてではないし、食事を作るのも初めてではないのだけれど、彼がここに来るまで、なぜか不安なのだ。本当に来てくれるのかと、疑ってしまうのだ。


 携帯がメールの着信を知らせる。


『今から病院出るよ』


 もうすぐここにくる。愛梨は跳ねるようにキッチンに向かい、フライパンに火を着けた。


 インターフォンが鳴る。

 愛梨はあわてて、ドアに駆け寄る。

「お疲れ様」

「うん」

 微笑む智哉にぎゅうとしがみつく。愛梨の不安は小さくなる。


 愛梨の部屋は8畳ワンルーム、窓際にベッド、チェスト、その前に小さなローテーブルを置けば、部屋はいっぱいになる。クローゼットに入りきらない洋服と鞄は、部屋のすみに固めて置いてある。そのせいで、さらに部屋が狭く感じる。


 そんな愛梨の部屋に迷い混んだように、智哉の姿は少し、落ち着かないように見える。愛梨自身でさえも違和感を感じてしまう。

「智さんが、私の部屋にいるの、まだ見慣れないからかな、変な感じがする」

「愛梨の部屋は、ピンクとか、オレンジが多いから、余計に似合わないのか?」

「うーん、なんだか信じられない感じ?」

「信じられない?」

「うん、夢みたい」

 愛梨の言葉に、智哉は微笑む。


 少しパサついてしまったハンバーグを智哉は「美味しいよ」と口に運ぶ。

 二人で囲む食卓に愛梨はやっぱり、ほんの少し違和感を覚える。けれども、時間が解決すると信じている。


 食べ終わった食器を片付け、振り返ると、智哉はうつらうつらと船を漕いでいる。

「智さん?風邪引いちゃうよ?」

「……あぁ」閉じていた目をしばたたかせている。

「お疲れだね?最近忙しいもんね」

「愛梨こそ、今日帰るの遅かったじゃないか?」

「……うん、また叱られちゃった。朝方、ターミナルの長井さんが亡くなって……。私、辛くて、また泣いちゃって……。師長さんに他の患者さんに迷惑がかかるでしょって、気持ちのコントロールが出来るようになりなさいって。そんなの私が一番出来るようになりたいって思ってるのに……」鼻の奥がツンとしたと思ったときには、ポタリと涙が頬を伝った。ぽんと乗せられた大きな手が温かい。智哉の胸の中で愛梨は涙が止まるまで泣いた。


「……愛梨は患者さんが亡くなると泣いてしまうね」智哉の静かな声が響く。

「だって、可哀想で……」思うだけで止まったはずの涙で視界が滲む。

「可哀想か……」

「智さんは?辛くないの?馴れてしまった?」智哉の胸の中に顔を埋めているせいで、表情は伺えない愛梨は智哉が冷笑をうかべていることに気が付かなかった。

「……辛くないことはないかな。でも、痛みや呼吸苦で、つらそうな姿をみてるほうが、辛いことがあるよ」

「そうなの?」

「何もしてあげられないのは、やっぱり辛い。人は必ず、死ぬんだよ。誰でも必ずね。苦しむ期間は短くてもいいのかと、思うこともあるよ」

「え……」

「もちろん、出来る限りのことをしてるよ」

「絶対に少しでも長く生きてるほうがいいよ。智さんは、患者さんのこといっつも一生懸命考えてるし。それに、辛くても、やっぱり家族と過ごす時間とか、大事だと思う」

「愛梨らしいな」

 智哉の胸の中は温かく、そこへ降りてくる声は甘く愛梨の耳に染み込む。

 愛梨は不思議でならない、智哉の胸の中はこんなにも居心地がいいにも関わらず、これを手放した人がいること。

 その理由は一体何だろうか。全く見当がつかない。


 

ハンバーグって、

なぜか時々、やたらとパサつく(´д`|||)


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