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離婚の理由  作者: 大楠晴子
第3章 智哉
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伝えきれない想い

 風に木々が揺れるざわめきと、秒針が時を刻む音が響く部屋で、蓮子は鞄から一枚の写真を取り出す。


 あまり、写真は撮らなかった。

 撮ってもデータとしてパソコンに入力してしまうと、手元に一枚の写真として残すことはしなかった。

 これは蓮子自身が撮りとても気に入り、わざわざプリントアウトしてもらった一枚だ。

 自宅の食卓を囲む、聡と優樹菜。

 珍しくもない、何の記念日でもない、いつもの食卓。

 変えたばかりの携帯のカメラ機能を試すために撮っただけの風景。

 気取らない服に満面の笑みを浮かべた父娘。

 辛いカレーが食べれない優樹菜、甘いカレーは嫌だと言う聡。だからいつもハヤシライスだった。トマトをたっぷり入れて、具はキノコと牛肉の細切れ。優樹菜は普段はあまり食べてくれないキノコ類をハヤシライスのときはたくさん食べてくれた。エノキもエリンギもシイタケも小さめに刻んでたくさん入れた。

 誰かにもらった小さな木の匙を握って、頬や口の回りを汚しながら、一生懸命に食べていた。

『おいしいね、ママ』

 笑みを顔いっぱいに広げる優樹菜を眩しそうに見つめて微笑む聡。

 たくさん喧嘩をした、でもそれは許してくれるという確信があったからこそ。

 不満を態度に言葉にしても、聡は蓮子を拒みはしない。それは蓮子も同じ。


 ポタポタと止めどなく流れ落ち、首もとまで涙で濡れる。

 どれくらいそうしていたのか、ぼんやりと空を見つめていた。

 蓮子はふと空腹を覚え、小さなキッチンに立つ。


 ーーきちんと体調の管理をしなさい。経営者の病欠は認められません。定休日以外は必ず店を開けなさい。従業員の生活がかかってますからね。


 真喜子は厳しく正しく、優しかった。


 蓮子は簡単ながらも、バランスを考えて食事をする。手洗い、うがい、睡眠、生活のリズムを乱すことなく、人混みにはなるべくいかないようにと、店のことだけを考えて暮らした。


 食事を終え、マグカップになみなみと緑茶を注ぎ、テレビの電源を入れる。

 紅白に別れて、豪華な衣装に身を包み歌う人は、正直なところほとんど、わからない。しかし、騒がしく空々しい笑い声の響く番組にチャンネルを変えることもできない。結局、蓮子は電源を落とし、お気に入りの本を手に取る。

 パラパラとページをめくり、本の世界に身を委ねる。

 本を閉じ、次巻を探す。

 店の本棚を探すけれど、見当たらない。

 背中をすこし丸めて出ていった手にはなかったとわかっていたけれど、尋ねてみたかった。


 記憶の中のふざけた語呂合わせを思いだし、携帯の画面をタップする。

 先程の間違い電話と同じ番号だったけれど、やっぱりこの番号しか、思い当たらない。


 呼び出し音のあとに、聞き覚えのある話し方。短い声は記憶と少し違うけれど、心の奥で何かがぽっと温まるような感覚を覚える。しかし、そのあとに耳に届いた声に蓮子はあわてて、通話を終える。


 ーーどうして自分だけと思ったのだろう。どうして一人でいると思ったのだろう。


 大きくため息がこぼれた。

 蓮子は狭いユニットバスのカランを開け、お湯に体を沈めた。




 車のエンジン音が店の前で止まり、ドアを閉める音が聞こえた。

 期待が胸によぎったけれど、蓮子はそれをあわてて打ち消す。

 しかし、耳をそばだててしまう。

 ことりとも聴こえてはこない、車が走り去ることもない。

 蓮子はそっと外を伺う。月のない真っ暗な闇の中、駐車場の車の所有者がわかったとき、やっぱり心の奥がじんわりと温まる。

 店のドアの前に座り込んでいる智哉は、ガックリと項垂れていて、いつもとは雰囲気が違う。街灯の光の届かないこの場所では、それが何なのか伺い知ることができなかった。

 その理由は、智哉の温かい手を握ったときにわかった。



 智哉を支えて、店のソファーに寝かせる。智哉はぐったりと横たわり、息が荒く、頬は紅く染まっている。

「ここで寝てていいよ。……優しい女の子が看病に来てくれたの?」

「……」

「それを追い返しちゃったのか、もったいないなぁ」

「嫌だったから」

「何が?」

「誤解されたくなかった」

「誰に?」


 智哉の手が蓮子の手を取り、ぎゅっと握る。

「……なんて呼べばいいのか、……蓮子?」

「いきなり、呼び捨て?」

「ナツさん……?」

「先生に、ナツさんって呼ばれるの変な感じ。……いいよ、蓮子で」


 繋いでいた手が強く握られる、ほんの少し痛いくらいだった。耳に届いた言葉はそれよりも強く蓮子の胸を掴む。

「蓮子に誤解されたくなかった。蓮子に会いたかった」


「……先生」

 荒い息、とろんとよどむ瞳は視線が定まらないように揺れている。

「先生、熱のせいでワケわかんなくなってるんだよ、とりあえず寝てて。水分取って、保温と安静ね」


「……」


「どこにも行かないから、手を離して」


 捕まれたままの手を蓮子は引き剥がし、横たわる智哉の毛布の中に押し込んだ。




 静寂に包まれるマグノリアにどこからか除夜の鐘の音が聞こえた。

 



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