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離婚の理由  作者: 大楠晴子
第3章 智哉
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カフェマグノリア

 空には青い晴れ間が見えているが、雲が多く、勢いよく西の空に流れていく。その雲は太陽を遮り、みるみるうちに暗くなり、強まった風とともに、パラパラと雨が落ちてくる。それもすぐに止み、また、明るい日差しが降り注ぐ。



 外来もなく、予定の手術もない週末、病棟の入院患者の様子を見てから、智哉はカフェマグノリアに向かうために、病院を出て、最初の信号を右に曲がる。


 仕事を終えて車に乗るたびに、後部座席の毛布が目につく。やはり、落ち着かない。なるべく早く返しに行きたかったが、思うように仕事が終わらない。


 住宅街を抜けて、公園を東に入る。

 昼を過ぎて間もないせいか、駐車場は何台か車が停まっている。

 アイアンの門扉には『open』の小さな看板がかけられている。奥に進み、飴色のドアに手をかけ、ゆっくりと押すと、思いの外軽く、ドアは開いた。


 チリリン

 と優しいベルの音が響く。


 白い漆喰の壁、黒い梁の横たわる吹き抜けの天井。正面には薪ストーブ、所々に置かれたグリーン、温かな空気が漂い、ふんわりと芳しいコーヒーの香り。左手に、テーブル席が並び、右手にカウンター席、カウンター席の奥にはキッチンが見える。


 予想より込み合った店内は、食事中の客の話し声、食器の触れる音、調理の音、さまざまな音が響き、活気のあるなかにも、どこかまったりとした穏やかな空気が流れているのは、南側の大きな窓から、たっぷりと日差しが入り、とても明るいからだろうか。

「いらっしゃいませ〜」


 レジで客を見送った50代くらいの丸顔の女性が、智哉をカウンター席に案内する。


 ホールにはもう一人、20代くらいの女性が両手に皿を持ち、背筋を伸ばしてきびきびとたち働く。

 二人は白いシャツに黒いパンツ、膝頭まである焦げ茶のエプロンをキリリと結んでいる。その二人の姿は店内の雰囲気にすっきりと馴染んでいる。


 智哉はカウンター席に座り、メニューに目を通す。

 水とおしぼりを持ってきた、若い女性は、細く尖った顎をくいと持ち上げ、問う。

「ご注文はお決まりですか?」

 コーヒーをオーダーする。


「サワさん、ブレンドひとつお願いします」

 サワさんと呼ばれた女性は、ふっくらと丸い顔をにこりと緩ませて

「はーい」とキッチンに入っていく。


 キッチンには、もう一人、白いシャツをきて、頭にバンダナを巻いた女性。

 キッチンとカウンターの間には、細々としたものが積まれており、中の様子を詳細にうかがい知ることはできないけれど、30才くらいの女性がフライパンの前にをいる。


 ……いったい誰に毛布をかえせ返せばいいのだろうか?


 ため息交じりに運ばれてきたコーヒーに口を付ける。


 苦味の中にほのかな酸味、コクがあり濃厚な味わい。

 甘いケーキとよく合いそうだ。


 周りを見渡すと、客のほとんどが女性でデザートを注文している。

 大振りな皿にバランスよく盛り付けられたケーキが幾度となく運ばれていく。




 ドアのベルが心地よく響き、若い男性客が入ってくる。


「こんちわー」

 明るく笑いかけて挨拶する様子とそれににこやかに応える店員の姿から、彼が常連であることを示している。


「ねえっ、ミツルさん、来週の土曜日って臨時休業?」

 汚れた皿を手にしたまま、ミツルさんと呼ばれた店員は足を止めることなく、視線を向けて頷く。

「だって、ナツさん、いないから」

「え?なんで?」

「……法事って」

「あっ、旦那さんの……」

「じいさんの三回忌なんだって、それで休業」

「ふうん、大変だね」

「何にする?いつものでいい?」

「今日はチーズケーキにする」

「了解」


 狭い店内の隣で交わされた会話は、嫌でも耳に入ってくる。

 来週の土曜日は臨時休業。キッチンにいるのはナツさんで既婚者。常連客の注文はいつもはチーズケーキではない。


 智哉は毛布を返す相手は、

 消去法で決まった。

 若いホールスタッフは除外。いかにもアルバイト。

 キッチンのスタッフは既婚者。夜には自宅に帰るだろう。

 丸顔の店員に話しかけるタイミングを見つけることができないまま、コーヒーを飲み干した。


 レジの前に立つと、手が離せないらしい丸顔の店員に代わってキッチンから出てきた。その人はバンダナを巻いた頭を上げて、智哉をちらりと見る。


「450円です」


 キャッシュトレイに手を伸ばし、おつりを財布をしまう。


「ありがとうございます。またどうぞ」


 ご馳走さまと改めて店員に目を向けると、智哉の視線は真っ直ぐにぶつかり、その顔をとらえる。

 店員は、にこりと口元を緩ませたけれど、一瞬にして、ぱきりと固まり、アーモンド型の目を真ん丸にしている。


「ひぇっ!」


「……ひぇっ?」

 あり得ない反応を智哉は受け入れられない。

 明らかに怯えたような、怖がるような、その表情に少したじろく。

 智哉は自分の顔が他人を驚かせた記憶はない。


 真っ直ぐに智哉に向けられている瞳にも、すっきりとした鼻梁にも、ぽってりと小さな唇にも見覚えはなく、どこかで会ったことがある顔ではない。

 けれども、仕事柄、自分は認知していなくても、相手は自分を認知していることが多々ある。

 智哉はにこりと微笑み、会釈をして立ち去った。


 結局、毛布を返すことができないまま店を後にする。

「……出直すか」

 優しいベルが智哉を見送るように響いていた。



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