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離婚の理由  作者: 大楠晴子
第2章 香苗
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底冷えの朝

 風の音が聞こえない。底のほうからしんと冷える静かな朝。

 八畳一間のアパートは、吐く息が白い。

 智哉は布団の中に入ったまま、呼び出し音を響かせる携帯電話を引き寄せる。


[はい?]

[先生?ターミナルの寺崎さん。血圧50台まで低下。レベルは三桁、レートも40台まで一度、落ちて、今は80台です。]

[当直医は?]

[来てます。早めに来てもらってもいいですか?]

[あぁ、すぐ行く]


 時計を見ると、6時半を回ったところだった。

 夜中に連絡がなかったことを喜ぶべきか。

 重い体を引きずるようにして起き上がり、身支度を整え、病院に向かう。


 こうして、呼び出されることにもすっかり慣れてしまった。

 昼夜を問わず、患者の状態は変わっていく。それは、医師の予測に反することも多々ある。


 週末の道路は空いていて、フロントガラスから見える、明け始めた暁の空は、細い雲が長く、赤く染まっている。




 病棟で、死亡宣告と診断書を書き終え、医局に向かう。


 医局のある棟の暗い廊下は、週末で朝が早いせいか、いつもにまして静かだ。

 ボサボサの頭に、眠そうに目を擦りながら歩いているのは、暁人だった。


「おう、早いな?当直か?」


 後ろから声をかけると、びくりと肩を震わせる。

「あぁ、お前か」

 いつになく声に張りがなく、振り向いたその顔の色も悪い。

「忙しいのか?へばってるじゃないか?」

「……」

 言葉少なく、うつむく暁人に智哉は、先日会った、香苗の顔が心に過る。

「暁人、どうしたんだ?何があった?家に帰ってないのか?」


「何かあったのは、智哉のほうだろう?」暁人は顔を上げずに、声を震わせて問う。


「……香苗が、お前と地元に帰るって言ってた」


「はあ?何言ってるんだ?俺じゃない、それは智哉、お前の間違いだろう?」


「いや、香苗は暁人と三人で、地元に帰ると言った」

 言葉を区切り、はっきりと言う。それは、智哉自身にも、染み渡るようだった。


「暁人……、香苗はいつだって、お前を選んでいる。それは初めからずっと、変わらない」


「違う、本当はお前が好きなんだ。お前だって、待ってたんだろう?他の女と浮気をする俺に愛想を尽かして、自分のところにくるのを待ってたんだろう?」


「待ってない。……でも、俺は香苗のことが好きだった。それは間違いない。……思い切り、フラれたから、心配するな」


「……信じられるわけがないだろう?」


「俺のことはともかく。香苗のことは信じてやれよ?お前を選んでいるんだ。暁人、お前だって、香苗が好きなんだろう?信じてやれよ?」


「香苗はきっと、智哉を選べばよかったって後悔する。俺は香苗を幸せにしてやれない」


「なんだって、そんなに自分のことを信じられないんだよ?香苗にはお前しかいないんだ」


「お前がいる……」


 智哉は携帯をポケットから取りだし、フラップをあけ、両手でしっかりと握る。

 ゆっくりと暁人の目の前に差し出し、一気に絞り込む。


 携帯は思いの外、簡単にぱきりと二つに分かれた。


「これでいいな。香苗にはお前しかいない」


 目を見開き、呆然と立ち尽くす暁人の肩をぽんと叩き、智哉は廊下を進む。


 すぐに新しい電話を買いにいかないといけないけれども、気がかりな患者もいない週末、呼び出しを気にすることなく、過ごしてもバチは当たらない。





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