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離婚の理由  作者: 大楠晴子
第2章 香苗
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風花の舞う午後

 風に舞うように、雪がチラチラと降る。雲の隙間から差し込む日に照らされている。


 強い風にはためくマフラーをしっかりと首に巻き直し、香苗は歩みを早める。


 言わせなかった言葉を、今日はしっかりと受け止めなくてはならない。



 智哉と待ち合わせたレストランは、昼時を過ぎて人気も疎らになっていた。

 エントランスで予約の名前を告げると、まだ智哉は来ていなかった。

 中庭の見渡せるテーブル席に、一人座り、窓からの景色を眺めていた。

 細い枝をすっきりと伸ばす樹が中庭の中央に植えられている。ほとんど落ちてしまった赤く染まった葉は、びゅっと強く吹き付ける風に一枚、飛ばされていく。


「香苗」

 大きな背中を丸めるようにして、こちらに向かって歩いてくる。


「智哉、ごめん、急に呼び出して」

「香苗の呼び出しが、急じゃないことなんてないからな」

「ふふ、そうね」

 オーダーを済ませ、立ち去るウェイターの背筋を伸ばした後ろ姿を見送る。


 香苗は何を話せばいいのか、わからなかった。

 言葉を見つけられないまま、静かに運ばれてくる食事に向かう。


「なんだよ、改まって話があるって?」

「うーん、何て言っていいのかわからなくて」

 智哉は、ゆったりとカトラリーを扱う。その指先は、美しく優雅で、香苗はいつも感心していた。

 智哉が正しく躾られたことが今の香苗にはわかる。

「智哉の実家って、関西だったよね?どんな感じなの?」

「あ?なんだよ、急に。普通だよ。サラリーマン家庭の、普通の家さ」

「きちんとしてる感じね」

「なんだよ、きちんとって」

「大事に育てられましたって感じ?」

 智哉は鼻で笑う。

「何を言い出んだよ、そんなことを言うために、わざわざ呼び出したわけじゃないだろう?」


 メガネの奥の黒い瞳が真っ直ぐに香苗に向けられる。

 知り合ってから10年以上、この瞳に自分が映っていると思ってきた。

 もう、逃げて甘えているわけにはいかない。


「ねぇ、好きって言ってよ」


「気でも触れたか?何を言ってるのか、わかってんのか?」


「わかってる。言って。智哉」


 笑っていた智哉から、表情が消える。言葉を発することなく、じっと見つめる智哉の視線を真っ直ぐに受け止め、もう一度繰り返す。


「好きって言って……」


 智哉は、ふうっと大きく息を吐き、目を閉じている。ゆっくりと目を開けて、困ったように笑い、言葉を綴る。


「香苗、ずっと前から、暁人と付き合う前から、俺はお前が好きだ。何度もあきらめて、忘れて、どうでもいいと思っても、やっぱり、思い出すのも、会いたくなるのも、香苗なんだ。幸せに、笑っててくれれば、それでいいと思っている。でも、泣いていないか、心配になるんだ。……お前の子供なら、それでいい。俺を選ばないか?」


 一言一言、香苗の心に染みるように発せられる言葉。長い間、わかっていて受け取らなかった思いは、重く温かく、心地いい。


 けれども、断たねばならない。


「ありがとう。私も智哉がとても大切。とても大事。あなたの幸せを私も心から願っているの。私が甘えていることで、あなたの幸せを壊すことになるなんて、わかってなかった。ううん、わからないフリをしてたの。あなたという、選択肢を残して、逃げ道を残してたのよ。それは結局、あなたはもちろん、暁人をも傷つけてしまった。本当にごめんなさい。私は智哉を選ぶことはないわ」

 涙を流す権利がないとわかってる。けれども、涙は頬を伝う。


 智哉は微笑みを浮かべたまま、香苗の言葉を受けとる。

「わかってたさ。お前は、俺を選ばない。だから、泣くな。俺が忘れなれなかっただけなんだ。忘れた、済んだことだと、思ったつもりでも、いつだって心に引っかかて、昇華出来なかったのは、俺の責任だ。香苗が気に病むことじゃない」


「昇華出来なかったのは、私が言わせなかったからよ。私が甘えていたの、その想いに気づかないフリをしてたの」


「泣くな」


「ありがとう。あなたがいたから今があるわ。感謝しきれない」


「……香苗」


「地元、帰るわ。海と山しかなくて、他には何にもないところだけど、経験の浅い産婦人科医でもいいって言う職場もあるし、美結のことを助けてくれる親もいるから」


「暁人は……、一緒に行くのか?」


「うん。三人で行くわ。やり直しよ、私たち」


「そうか……、よかった」


「私、自分でも不思議でしかたないの、どうして暁人がいいいんだろ?だって、智哉のほうがずっといい人で。私、幸せになれると思うのに」


「俺もそう思う」メガネの奥の瞳が優しく細められる。


 携帯電話の呼び出し音が聞こえ、智哉はポケットから、折り畳み式の携帯電話を取りだす。


[はい?……あぁ、わかった。すぐに行く]


「呼び出し?」


「術後の患者だ。もう、行く」


「私、最後まで食べるから。じゃあね。……その携帯、古すぎだし」


「不自由ないから。じゃまたな」


 立ち去る智哉の背中を、香苗はじっと見つめる。

 大きな背中を丸めるようにして歩く姿が見えなくなるまで、ずっとみていた。

 一度も振り返ることなく、智哉は行った。


 香苗は、嘘をついた。

 智哉をいつまで、騙すことができるのだろうか。






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