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プロローグ 化け物と呼ばれた少女

やる気スイッチの代わりに厨二スイッチを押されてしまった作者です。

コピースキルに比べて更新はゆっくりになりそうですが、よろしくお願いします。

 人はやがて死に、死者は蘇らない。

 今を遡ること六百年前、その絶対の理に逆らった哀しき愚者が居た。

 愚者の名は真祖の悪魔。

 彼の者は永遠の生命を求め、それを手にした――世界の破滅と引き換えに。




 黄昏に染まる街。

 ほのかに夜の冷たさを帯びた風が、家々の合間に広がる路地をすり抜け、怠けていた風見鶏を回す。仕事を終えた人々は家路を急ぎ、外套の端を翻しながら歩いてゆく。街に聳える無数の摩天楼。その影は長く伸び、大通りや広場以外はすでに薄闇に埋もれていた。時刻は午後六時、昼と夜の交わる薄明である。


「よし、最後の一回だ!」


 街の裏手に広がる小さな空き地。路地が集まってできたようなその場所に、何人かの子どもが集まっていた。上は大人を思わせるがっしりとした筋肉質の少年から、下はおむつが取れたばかりぐらいに思える少女まで。実に幅広い年齢層の子どもが、その場には居た。彼らはいずれも目を輝かせて、日が暮れないうちにできるだけ遊ぼうと夢中になって騒いでいる。


 広場の端に積まれた空樽。一つにつき1トンもの酒が入る大樽は、大人が二人肩車をしたほどの高さの山をなしていた。それに寄りかかりながら、中央で騒ぐ子どもたちを眩しげな眼で眺める少女が居た。銀色の艶やかな髪を風に靡かせ、安酒の香りに頬を顰める彼女の顔は、端正ながらもどこか物憂げに見える。青い双眸は湿り気を帯びていて、わずかながらも潤んでいた。


「ねえ、あの子は仲間に入れないの?」


 栗色の髪をした一番年下の少女が、銀髪の少女の存在に気付いた。彼女は少女のもたれている空樽の山の方へと、おっかなびっくりながらも歩み寄っていく。だがその行く手を、すぐさま年長の少年が阻んだ。


「駄目だ! 化け物がうつるぞ!」


「化け物? あのお姉ちゃん、化け物なの?」


「違う! そんなことない!」


 少女が声を上げた。ガラスを打ち鳴らしたような、よく澄んだ高音の声だった。しかしその声を耳にした途端、子どもたちは眉をしかめる。その眼には憎悪にすら似た侮蔑が浮かんでいた。


「騙されるな! 見てろ……」


 地面に転がっていた煉瓦の破片。親指より一回り大きいほどのそれを、少年はがっしりと握りしめた。栗色の髪の少女は、思わずあっと声を上げるが、時すでに遅し。少年は握った手を振り上げ、力一杯それを銀髪の少女へと投げつける。


 煉瓦の破片が風を切る。ビョウ、と鈍い音が響いた。

 赤い礫は防ぐ間もなく頬を穿ち、石器の如き鋭利な断面が肌を割る。深く裂けた肉。舞う血潮。少女の美しい顔に、ザクロを割ったかのごとく鮮やかな傷がたちまち出来上がった。その様子に、栗色の髪の少女は血の気を失う。彼女は絞り出すような声で「お兄ちゃん……」と少年を呼んだが、彼はそんな彼女を手で制した。


「痛い……何するのよ……」


「お前が化け物だってわからせるには、これが一番早いじゃないか」


「だから、私は化け物なんかじゃない!!」


 そう言うとすぐ、少女の傷口から白い蒸気のようなものが上がった。彼女はすぐに傷口を手で押さえ、子どもたちの方から顔を逸らせる。しかし少年は、彼女を押さえると強引に自分たちの方へと振り向かせ、傷口を抑える手も引き剥がしてしまう。


「よーく見ておけ! これがこいつの正体だ!!」


「ヤダ、やめて!! 嫌、嫌ァ!!!!」


 傷口が怪しげに蠢いていた。

 血管がのたうち回り、肉が躍っている。やがて切れた筋肉の繊維が絡まり合うようにして再び結びつき、元の状態へと再生された。その上を氷が張るようにして皮膚が覆っていき、少女の頬は何事もなかったかのような美しい状態へと回帰する。


 その間、わずかに十秒ほど。栗色の髪の少女は、一連の動きを瞬き一つせずにじっと見つめていた。そしてそれが終わると同時に一言――


「……化け物」


「クゥッ!!」


 少年の手を振りほどき、少女は駆けだした。眼から大粒の涙を散らしながら、細い路地へと一目散に走って行く。その華奢な背中に、少年たちは次々と罵声を浴びせかけた。


「もう二度と来るなよ!」


「お前が居ると迷惑なんだよ、化け物!」


「そうだ化け物、ここは俺たちの場所なんだ!!」


 響く罵声と嘲笑。

 今はただ、少女はそれに耐えることしかできなかった――。




 街を流れる古い運河。その入り組んだ流れの脇に、小さな薬屋があった。背の高いアパルトマンに挟まれるようにして建つ、緑の壁と青いスレート屋根が特徴の一軒家。決して立派とはいえないが、古い趣のあるこの家こそが、銀髪の少女ことカヤの家であった。


 家へと続く小さな橋。その袂にある洗濯場で、カヤは持っていたハンカチを濡らすと顔を丹念に拭いた。顔に涙の痕が残っていたら、病弱な母にまた負担を掛けてしまう。カヤは母の前ではいつも元気な女の子を演じていた。それが母のためであると、彼女は信じていたのだ。


「よし!」


 軽く頬を叩いて、気合を入れ直す。今日も元気に家へと帰るための、彼女なりの儀式だ。それを済ませると、カヤは先ほどまでと打って変わって、羽が生えたような足取りで家のドアをくぐる。ドアに付けられている鈴がシャリンと涼しげな音を立てた。


「ただいま!」


 眼を細め、ニッと頬を上げる。その動きには一切の澱みがなく、非常に洗練されていた。彼女は独特の臭気のある店の空気をかき分けて、一番奥の安楽椅子へと向かう。背もたれに身体を預け、身体を揺らしていた母ルチは、彼女の訪れに顔をほころばせた。


「おかえり、今日はどうだった?」


「楽しかった! 今日はみんなでかくれんぼをしたんだけど、一番最後まで見つからなかったよ!」


「そう、それは良かったわね。あら、髪が少し……」


 右耳のあたりで、髪が何本か不自然に千切れていた。ルチがよくよく眼を凝らしてみると、赤い砂のようなものが髪に付着している。異変を感じた彼女の眼が、にわかに細まった。するとカヤは慌てて、その部分が見えないように顔を逸らす。


「隠れるときに、慌てて転んじゃった。大丈夫、怪我ならすぐ治ったから」


「ならいいのだけど……」


「それより母さん、お医者様は何だって?」


 今日は月に一度、医者が往診に来る日であった。しかしその言葉をカヤが口にした途端、ルチの表情が曇る。青い瞳が愁いを帯び、顔がわずかにうつむけになる。


「母さん……?」


「ああ、なんでもないわよ。もうそろそろ、よくなるって」


 ルチはそう言うと、取ってつけたように不自然な笑みを浮かべた。だがその不自然さを、カヤはあえて無視する。悲観的なことなど考えたくはなかった。いや、考えられなかった。それをやってしまったら、彼女の繊細な心は――壊れてしまうから。元気な女の子という仮面が、一気に剥がれてしまうから。


「へえ、そうなんだ。良かった」


「あと一カ月もしたら、大丈夫だって。これで薬屋の不養生ともお別れね。店もちゃんと開けられるようになるわ」


「そうなったら、一杯お手伝いするね」


「頼むわ。しっかり働いてよ」


「もちろん!」


 カヤは拳を握り、力強く頷いた。ルチは優しげに眼を細めると、微笑む。数年前まであんなに小さかった娘が、ずいぶんと逞しくなったものだと彼女は実感する。


「じゃあ、さっそく夕食の支度をお願いできる?」


「任せて、材料はある?」


「カレズがあるわ」


「それならムニエルね。とびっきり美味しいのを作るわ!」


 カレズというのは近くの港町でよく水揚げされる白身魚だ。潰れたような平たい姿が特徴で、その身は淡白ながらもほのかな甘みがあってとてもおいしい。バターをたっぷりつけてムニエルにすれば、誰が造ってもまず間違いのない一品だ。カヤは自らの料理で母が喜ぶ場面を想像すると、ステップを踏むような足取りで厨房へと向かう。


 一人残されたルチ。彼女は懐から小さな瓶を取り出すと、それを見つめて大きなため息をついた。瓶の中に詰まっているのは白い小さな錠剤。今日、医者からもらった薬である。薬と言っても、彼女の病を治療するためのものではない。ただ全身を襲う激痛を取り除き、仮初の癒しをもたらすだけの薬だ。医者はまだ希望を捨ててはいけないと言っていたが、この薬を処方されている時点で余命幾ばくもないだろう――薬屋であるルチにはそれがわかってしまっていた。


「ゴホッ……!」


 背中を中心として広がる、炎に包まれたかのような激しい痛み。いつの間にか薬が切れてしまっていたようだ。ルチは震える手で瓶のふたを開くと、薬を三錠ばかり取り出して煽る。苦味の塊のようなそれが舌の上で溶けると、身体が麻痺するようにして痛みが取れて行った。ルチはやれやれと息をつくと、再び背もたれに身体を預ける。


「せめてあと半年……」


 半年経つと、カヤが十歳の誕生日を迎える。この国では十歳というのは一つの大きな区切りだ。学校へ入学するのも十歳であるし、商家へ奉公に出るのも十歳である。薬屋の娘であるカヤは生活自体にはそれほど大きな変化はないだろうが、それでも十歳というのは特別な意味を持つ年齢だ。親として、せめて娘が十歳になるのをみたい。それがルチの最後の願いであった――。




 あれから約半年後、カヤが十歳の誕生日を迎える二日前の夜。

 ルチはその執念もむなしく――息を引き取った。

 翌朝になってカヤが彼女の部屋へとやってきた頃には、その身体はすっかり冷え切っていて、柔らかかったはずの手足も巌のように硬くなっていた。カヤはその凍てつく手を握ると、眦が裂けんばかりに眼を見開く。


「母さん……どうして……」


 横たわる母の死顔は凄惨な美しさを湛えていた。苦痛も何もなく安らかに死ぬことができたようで、その表情は穏やか。元々色白だった肌からは血の気が完全に抜けて、処女雪のような白さとなっている。それによって整った顔の造形が際立ち、普段に倍して美しく見えた。


 ――こんなに美しいのに、死んでるなんて。


 カヤが浮かべたのは、笑いの表情であった。怒りでも悲しみでもなく、運命を自嘲する仄暗い笑みが彼女の表情として現れたのだ。一体、母や自分が何をしたと言うのか。蒼い瞳から涙をあふれさせながら、彼女はただただ嗤い続ける。幼い心はとうに張り裂けて、中にあったものは全て外に零れてしまっていた。怒り、悲しみ、母との美しい思い出――全てが混然一体となり、彼女の薄い胸を震わせる。


「嫌だ、嫌だ……!」


 ベッドに顔を埋め、ひたすらに泣き始めるカヤ。

 それから何時間、彼女は泣いていただろうか。彼女が泣き疲れて顔を上げる頃には、あたりはすっかり夕闇に包まれていた。窓の外、遠く西の空で輝く夕焼けが赤く腫れた眼によく染みる。紅い、紅すぎる夕焼けだった。


「葬儀をしなきゃ……」


 死人が出たらすぐに地区の教会へ報告し、四十八時間以内に葬儀をすること。

 もしそれが何らかの事情できない場合は、死者の身体を布などで包み、その上から呪符を貼り込めて厳重に封印すること。

 それはこの世界において守らねばならない絶対のルールだ。もし破れば、恐るべき災厄がその身に降りかかることとなる。そのことをカヤも母から何度も何度も繰り返し聞かされて、熟知していた。だがここで、ふと思う。


「母さん、私が十歳になるのを楽しみにしてた……」


 もし、カヤがこの後すぐに教会へと報告に行けば、今夜にでも葬儀が出されるであろう。腰のすっかり曲がってしまった神父様が抑揚のない声で『鎮魂詩』を読み上げ、それが終わると同時に母の身体は地下深くへと葬られる。葬儀が始まると同時に、死者は棺の中へと入れられ、その蓋は二度と開けられることはない。ゆえに葬儀を始めてしまえば、母に自分の姿を見せることはもう二度と叶わなくなってしまう。


 とっさに、カヤは時計へと視線を走らせた。自分が十歳になるまで、あと三十四時間。もし母が今日の零時以降に死亡したのであれば、どうにか四十八時間のタイムリミットに間に合う。常人ではとてもやらない、分の悪すぎる賭け。しかし今のカヤは、どうしてもそれに賭けてみたくなった。


「神様、どうか私にご加護を……!」


 日頃は決して口にはしない信仰の言葉。それを呟いたカヤは、床に膝を屈し、ただ神へと祈りをささげたのであった――。




 それから一日半、カヤはルチの死を隠し通した。

 もともとルチは病で臥せっていたため、店はほぼ開店休業状態。死体が発し始めた微かな腐臭も、軒先に並べられた生薬の持つ独特の香りが打ち消してしまう。ルチの死を隠すことは、数日であればカヤにとって非常に簡単なことであった。


 そうして迎えた、カヤにとって九歳最後となる夜。彼女はクローゼットの底からドレスを引っ張り出し、盛大に着飾っていた。純白のドレスが彼女の白い肌と相まって、その魅力を存分に引き立てている。母にとって、これが最後となる自身の晴れ姿。せめて美しいものを見せてやりたい――彼女一流の親孝行であった。


 古びた柱時計がゴーンと鈍い音を奏でる。

 さあ、時間だ。カヤは階段を上ると、すぐ突き当たりにあるドアへと手を掛ける。古びて金色となった鉄製のノブが、今日はやけに回りが悪い気がした。しかし彼女は、そんなことお構いなしに一息にドアを開けてしまう。すると――


「母さん……!」


 ベッドの上で横たわっているはずのルチが、起き上がっていた。ベッドに対して身体を横にして、床に足をつけたその姿は、今にも立ち上がるかのようだ。カヤの脳裏を「奇蹟」の二文字がよぎる。母さんは、母さんは生きていたのだ――! カヤは両手を広げ、母の胸に飛び込んだ。


「良かった、良かった……!!」


「ニゲ……テ……」


 母の口が、何事か言葉を発した。しかし、胸に顔を埋めて泣きじゃくっていたカヤは、それをはっきりと聞き取ることができない。


「うぐッ……ぐッ……何か言った?」


「二……ゲテ……」


「わかんないよ…………あがッ!!!!」


 脇腹を電撃に撃たれたかの如き激痛が走った。驚いて視線を下げると、ルチの腕がカヤの腹を貫いていた――。


 人が死んで、何もしないまま四十八時間が経過すると死者は理性なき死人ノーライフとして蘇る。

 この呪われた世界において『必然』の事象が発生した瞬間であった。

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