第一話【おかしな二人の夢】
「じゃあ次。吉岡勇樹くん」
「はい」
「きみの将来の夢はなに?」
「…………」
「ん? どうしたの?」
「ニートです」
瞬間、弾けたように爆笑が沸き起こった。
男子クラスメイトが、勇樹を見て嘲笑する。対して女子のほうは、まるで腫れ物にでも触れるかのように、冷めた視線を送ってくる。
面倒くせーな。勇樹はボサボサの髪を掻きむしった。
一瞬目をぱちくりさせた担任が、細々とした声で訊ねてくる。
「……吉岡くん、私は将来の夢を訊いてるんだけど」
「ニートです」
「馬鹿いわないでください。きみは将来社会に貢献するために――」
「あーはいはい、わかりまチたから」
噛んでしまった。笑い声がどっと音量を増す。隣の席の野球部が、くくくっと肩を揺らしている。
担任はひとつため息をついた。
「……もういいです。――じゃあ次は佐藤順平くん、きみの将来は……」
勇樹は小さく舌打ちしたあと、椅子に腰を降ろす。
すると、
「おらよ」
隣の野球部――岡本剛が乱暴にシャーペンを投げてきた。が、うまく机に着地せず、床に落下する。勇樹は緩慢な動作でそれを拾うと、岡本が威嚇するような顔で言った。
「明日は数学の授業だな。面白いことやってみろ。そしたらノート返してやる」
ノートをひらひらと見せびらかしてくる岡本。二学期の期末テスト直前に盗まれ、それ以後もずっと盗まれたままのものである。もちろん、期末テストの結果は最悪だった。
「ん……」
返事とも息ともつかない声を発し、勇樹はシャーペンを振ってみる。が、例のごとく芯は奪われていた。顔をうつむかせ、新しく買ったシャーペンの芯を入れる。
クスクスクス。
周りの嘲笑を無視し、勇樹は机に顔をつける。いわゆる『寝るフリ』である。だが別に寝るつもりはないし、周りにもそれは気づかれているだろうが、いまの痛い視線を回避するには伏せるしかないのである。
午前十一時。宮坂高校、二年三組。
冬休みが終わり、三学期初めての学校。もちろん午前の授業――というか朝会やらホームルームだが――が終われば即帰宅だ。
勇樹もはやく帰れることを期待して登校した。
が、運の悪いことに、担任が意味不明なことを始めてしまった。『クラスメイトの夢』を訊いていくというホームルームである。
くだらない。来なきゃよかった。
勇樹は腕のなかで目を閉じた。
クラスメイトのほとんどは、『公務員になる』とか『安定企業に就く』とか、安定した夢を発表している。とりわけ公務員は絶大な人気を誇っているようだ。『野球選手』だの『漫画家』だの、大きな夢を掲げた人間はひとりとしていない。当たり前であるが。
ガツン! と、突然、椅子に衝撃が走った。
振り返るまでもない。後ろ柔道部の仕業に違いなかった。振り向けば面倒事に絡まれるだけだと判断し、無視を決め込む。
そう。自分は内面も外面もダメ人間。だから不良どもの『遊び』の格好の的だ。
身長は百八十あるが、体重は四十五しかない、いわゆる木偶の坊。髪もボサボサ。成績もくそったれ。
こんな人間には、ニートこそがふさわしい。
昔は犬に関わる仕事に就くのが夢だった。だが、もはやそれすらも面倒だ。
こっそりと、胸ポケットから親指サイズの小写真を取り出す。抱えた腕のなかでそれをしっと見つめる。犬の『ポッチ』の写真……
そのとき、一際高くなった先生の声が響いた。
「――じゃあ次、彩坂真由さん」
彩坂真由。
心臓が跳ねた。
しばらく逡巡してから、勇樹はゆっくりと顔をあげる。ちょうど、彩坂が起立しようとしているところだった――のだが。
「あっ!」
席を立つ寸前、彩坂の肘に当たった消しゴムがコトっと落ちた。
すぐに野球部――岡本剛が立ち上がった。そして他のクラスメイトと競うように消しゴムを拾う。無駄のない動きで彩坂に渡す。所要時間、わずか三秒。
「あ、ありがとう」
礼を言われた岡本は、デレデレと顔を赤らめた。
うわ。きめえ。
呆れる勇樹だが、男として、岡本の気持ちはわからないでもなかった。彩坂真由にはたしかに、男の視線を釘付けにするオーラがある。
さらさらと清潔な髪が、背中の真ん中まで伸びている。目も丸っこくてかわいらしい。体型はスリム。白くて綺麗な腕、すらりと伸びる足。陳腐な表現で恐縮だが、まさに『モデル』と見紛うほどの外見をしている。
勇樹とはなにもかも違う。クラスだけでなく、学校全体で彩坂の名を知らない者はいない。
その美貌は言わずもがな、成績が良く、性格にも嫌味がない。女子からの人気もあり、男女問わず大勢の『彩坂ファン』が存在する。
ふと周囲を見渡せば、クラスメイト全員が彩坂を見つめている。が、彩坂の人気はそれだけに留まらなかった。
「真由ちゃん頑張れー!!」
「俺と一緒に公務員になろーぜー!!」
廊下からそんな歓声が聞こえてきた。見れば、廊下を歩く生徒たち――他クラスはもう下校している――が二年三組の前に立ち止まり、ぎゃあぎゃあ騒いでいる。
「もう、うるさいわね!」
憤慨した担任が、乱暴に教室のドアを閉める。声量が幾分か小さくなったところで、担任は話を再開した。
「で。彩坂さん。あなたの夢は?」
「はい。えっと……その……」
「ん? どうしたの?」
「あ、はいっ」
彩坂は決心したように目を開ける。次の発言を聞き逃すまいと、騒がしかった教室が一瞬にして押し黙る。
だが――彩坂の発した言葉は、とうてい信じられるものではなかった。
「日本の腐ったペット業界を徹底的に潰したい! それが私の夢です!」
瞬間、さっきとは別の意味で教室内が変化した。
さっきまでは、ひとりひとりの夢が暴露されるたびに歓声が沸いていた。だが、いまは違う。誰も彼もが口を閉ざしている。声を発する者はひとりとしていない。むろん、勇樹も呆気に取られていた。
担任はまたしても目をパチクリさせた。
「あ、彩坂さん……それ、どういうこと?」
「あたし、いまのペット業界が嫌いなんです。ドッグフード製造会社も、獣医師もブリーダーも、飼い主も、みんなダメダメなんです、だから日本を救うんです!」
「…………」
担任が返答しないでいると、彩坂は慌てたように指を噛んだ。
「あ、私、やっぱりケーキ屋さんになるのが夢です! あのふわふわとした食感と甘さの絶妙なコラボレーションが……」
「もういいから、やめてちょうだい……」
*
「――さてクイズのお時間です。いま一階のトイレででっかいうんこをしたのは誰でしょう?」
正午。
ホームルームが終了し、輝いた顔で、クラスメイトたちが部活や自宅に向かう。
勇樹も真っ先に帰ろうとしたのだが、それより先に、クラスメイトの高橋健に声をかけられてしまった。クラス内で唯一の『友人』である。
勇樹はスクールバッグを持ちあげ、健に背を向けた。
「じゃあな」
「おぅい! ちょい待てよ!」
健がとんでもないスピードで勇樹の前に回りこむ。
「無反応は超悲しいぜ無反応は! さあ勇樹、クイズの答えを言いたまえ! いま一階のトイレででっかいうんこをしたのは誰?」
「…………」
「正解はオレだ! どうだ、わかんなかったろ。かっかっか!!」
健は唾を飛ばして笑い転げるが――
岡本に「うるせえ!」と怒鳴られ、
「しぃません!」
と馬鹿みたいに謝る。それを見て、勇樹は頭痛を感じた。
理解不能で頭のおかしい変人。それが彼だ。ゆえにクラスでも孤立していて、必然的に『底辺組』とされる二人が友人となった。
のだが。
正直、勇樹はうんざりしている。たしかに自分も底辺だが、かといってこんな奴に関わりたくもない。
ちらと視線を転がす。
彩坂真由が、席に座ってバッグのなかを整理していた。そのまわりには、クラス内でも活発な男子生徒が六人。なかには他クラスの生徒もいて、彩坂と和やかに談笑している。
その彩坂が一瞬こちらを見た気がして――
勇樹は慌てて、視線をそらす。危ないところだった。
「うんこ食べたい」「うんこになりたい」という健のくだらない話をスルーしながら、昇降口に向かう。そのままため息をつき、校門を出て、大通りに向かった。