舞台裏の脇役たち─教師の場合─
これはとある世界のとある場所、とある学園の日常である。
「ちょっと聞いてよ昼行灯!」
悲鳴じみた大げさな声をあげて、赤毛の女が、ガン! と缶ビールの底をちゃぶ台に打ちつけた。泡と飛沫がちゃぶ台にこぼれる。
昼行灯。学内でそう呼ばれていることは知っているし、自分の──有り体に言ってしまえば、少々だらけた勤務態度を振り返れば、そんなあだ名に反発することもできない。
といっても、
「そこはせめて『先生』をつけてくれや、ミズミ先生」
「えーでも『昼行灯先生』って、なーんかおかしくないすかー?」
こちらも缶ビール片手にへらへら笑っているのは、一昨年赴任したばかりのスダラだ。金髪碧眼で若い優男ときたら、まだ尻に蒙古斑をくっつけたようなぴよぴよした生徒たちに──特に女子生徒たちに、人気があるのもうなずける。
「つか、昼行灯で否定しないんすねー先生心広いすねー。んで、ミズミ先生はどしたんすかー?」
間延びしたその口調はなんとかならんのか、とひっそり眉をしかめてから、なんともならんな、と自己完結した。なにせ相手は酔っぱらいであり、しかもスダラは酒に弱い。缶ビールの2本目を開けた現時点で、すでに顔が真っ赤になっている。とはいえ笑い上戸で限界がくるとすこんと眠る、というか落ちるタイプなので、酔っぱらいの性質としては悪いほうではない。
対してミズミはその時々の体調や気分によって酒の回りかたが変わる。しかもこいつは絡み酒だ。どうやら愚痴を溜め込んでいたらしい今日は、ずいぶん回るのが早いようだった。
「生徒に! 生徒に! 『オバサン』って言われたー!」
うわあん、と泣き伏したミズミに、うっひゃー、とスダラが妙な声をだした。
「生徒ってほんっと容赦ないっすよねー」
「容赦ないじゃないわよ否定しなさいよフォローしなさいよ気が利かないわね女子に『王子先生』とか呼ばれてるくせに! あたしまだ26よ! 21のあんたとは5つしか違わな……え……5つも違うの……嘘だああ四捨五入したら三十路なんて嘘だああ昼行灯の仲間入りなんて嘘だああ」
「いやいや俺も、言われたことありますよー。ちょっと生徒に注意したら『うるせえんだよオッサン!』ってー。あれグサッときますよねー。俺はまだ若いつもりだけど、生徒からみればオッサンなんだなーみたいな」
そんなことを言いながらも、普段女子生徒に取り巻かれて『王子先生』と崇められているスダラはまったく気にしていないのだろう。自分の発言にけらけらと笑っているのが証拠だ。その頬に、「笑いごとじゃないわよ!」とミズミのパンチが入った。おお、こりゃまたいい拳だ。
「ま、生徒から見りゃあ、教師なんてどれもオッサンオバサンだろうよ」
言いながら、俺はちゃぶ台のうえの灰皿を引き寄せる。
「お前らだって、ガキの頃は教師なんざ新任だろうとなんだろうとオッサンオバサンだと思ってただろ?」
「そういう問題じゃないわよおおお!!」
スダラは殴り飛ばされて倒れたまま、なにがツボに入ったのか笑い転げている。ミズミは目を据わらせて立ち上がり、だん! とちゃぶ台に片足を乗せた。
「あたしは! まだ若い!」
「はいはい」
「あたしは! イケてるお姉さん!」
「はいはい」
「あたしは! 坊主どもの憧れの女性教師!」
「はいはい」
100円ライターに火をともして、紫煙を深く吸い込む。
「昼行灯は! 確かにオッサンだけども!」
「そうだなあ」
「あたしは! 断じてオバサンなんかじゃない!」
「そうだなあ」
ぷはー、と煙を吐き出して、茶色くすすけた壁紙を眺めた。
スダラは笑いが限界を越えたのか、ひくひくとしゃくりあげて苦しそうだ。
ミズミはちゃぶ台に片足を乗せたまま、「目指せ、アンチエイジング!」などと気勢をあげている。
……うむ、カオスだ。そして通常営業だ。
それにしても、これでもミズミも往年には一世を風靡したことがあるのになあ、というか女を気取りたいのならば、まず万年ジャージ着用なのをどうにかするべきじゃないのか、などとぼんやり思っていると、
──ピー
部屋にしつらえられた通信機が鳴った。
酔いと笑いはどこへいった、と聞きたくなるほどすばやくスダラが立ち上がり、通信ボタンを押す。そして「こちら宿直室……うん、うん、わかった、ありがとう」と応答したあと、こちらを振り返った。
「生徒からの通報です。第3校庭にて決闘が発生。2科と3科の生徒らしいです」
「2科と3科……またあいつら。ほんと仲悪いわよね」
ちゃぶ台から足をおろしていたミズミも、すっかり酔いが覚めた顔をしている。そろって窓から外を見ると、校舎越しにも、第3校庭でなんらかの戦闘が行われているのはわかった。エフェクトが派手すぎる。これだから2科と3科の生徒どもは。
ミズミは真面目な表情で、おごそかに告げた。
「最初は、グー」
「おーうおうガキども、許可のない戦闘は校則違反だぞー」
えっちらおっちら辿り着いた第3校庭には、派手なクレーターができていた。飛び散る業火、そして色とりどりのメルヘンチックな魔法。
声をかけながら見やると、第3校庭ではふたつの人影が、めまぐるしく空を飛んだり地上を動き回っているのがわかった。
片方は、なんというか「しゃらんらー」とかそんな感じの効果音をあてたくなるようなひらひらした衣装を身にまとった女子生徒。
片方は、なんというか「しゃきーん」とかそんな感じの効果音を当てたくなるような装甲を身にまとった男子生徒。
「はーいはい注目、つうかストップだ。《学園風紀術式展開:捕縛》」
俺が学園に張り巡らされた風紀術式を起動するとともに、空を飛んでいた女子生徒が落ちる。地を蹴ろうとしていた男子生徒がこける。
「げっ……昼行灯!」
「邪魔しないでくださいまし!」
「はいはい、いまなら警告で済ませてやるぞ。まだやるってんなら懲罰がつくからな」
左手に仕込んだ学園風紀術式デバイスを見せつけるようにひらひら振ると、男子生徒は「チッ!」と舌打ちして、女子生徒は「フンッ!」とそっぽを向いた。……いやまあなんというか、態度悪いなあ、こいつら。
しかし、とりあえず戦闘意識は失せたようだ。俺は《捕縛》を解いた。それからぱんぱんと手を叩く。
「ただちに変身解除!」
男子生徒と女子生徒は、お互いいちど視線を合わせてから「チッ!」「フンッ!」とそっぽをむいて、のろのろと起き上がった。そして、男子生徒はまばゆい光とともに、女子生徒はリボンが絡み合うようなエフェクトとともに、変身を解除する。
というか。
「まーたおまえらか、変身部2科ホマレ・アガタと変身部3科ミゾノミ・リアーヌ」
完全に常習犯だ。こいつらの授業など受け持ってもいないのに、すっかり名前を覚えてしまった。呆れてため息をつくと、ふたりが俺にくってかかってくる。
「だってこいつが!」
「だってこのおバカが!」
「言い訳はいらん。おまえら2科と3科でトップなんだろ。問題行動はいい加減にしとけ、俺が宿直のときは特にな」
最後の言葉は言うべきではなかった。が、つるっと出てしまったものは仕方がない。
「……だからあなたは昼行灯なんですわ」
つんとミゾノミがそっぽを向いた。金髪の縦ロールがたわんと揺れて、引っ張ったら面白そうだなあ、とどうでもいい感想が生まれた。
「こいつがつっかかってくるからいけないんす」
ぶすくれながらホマレがミゾノミを指差す。ミゾノミのまなじりが吊り上がった。
「ひとを指差さないでくださいまし!」
「そのお嬢様キャラわざとらしいんだよ!」
「はいはい、やめやめ」
そのままつかみ合いになりそうなふたりの間に割って入る。
「そんで? 今回の発端はなんだったんだ?」
「だからこいつが!」
「こいつだなんて呼ばないでくださいまし!」
「うるせえ縦ロール!」
「わたくしの髪型にケチをつける気ですのこの脳味噌筋肉!」
「誰が脳筋だ、こちとら正義の変身ヒーローだっての!」
「力押ししかできない変身ヒーローなんて魔法少女に敵うわけがありませんわよ!」
「はいはいわかったからもうやめろ、やめやめ」
睨み合い、というかメンチの切り合いに入ったふたりを引きはがす。
なるほど、こんな感じでまた売り言葉に買い言葉が高じた結果、「決闘だ!」となったのだろう。
自分の能力に自信を持つ。
自分の能力に誇りを持つ。
それはこの学園が掲げる心得に沿うところではあるが、だからといって私闘を許していい理由にはならない。
「お前らが戦うのはあくまでも敵だ。わかりやすく言や悪だな。そんで、変身ヒーローは悪か? 魔法少女は悪か? 正義の味方にとって敵なのか?」
投げ出すように言うと、ふたりは「それは……」とわかりやすくうつむいた。
熱くなれるところも、素直な部分も、こいつらは十分な資質を持っている。
「おまえらは立派な主人公になれるんだからよ。こんなとこで主人公同士、いがみあってなんになるよ?」
俺らしくないなあ、などと思いつつも、ついつい諌めるような言葉を重ねてしまった。頭にのぼっていた血はすっかりさがったのだろう、いまやすっかり悄然としたふたりの生徒は、「はい……」と小さな返事をくれた。
「そんじゃ、寮に返って寝ろ。今回の件はあれだ、なかったことにしといてやるから」
おもに、報告するのが面倒くさいという理由で。
しかしなにかしら感銘をうけたのか、ホマレは「ありがとうございます!」と勢いよく頭を下げて、ミゾノミも「以後は気をつけますわ」と殊勝なことを言ってくれた。
そして寮へと戻っていく──しかし不自然なほどに離れている──ふたりの背中を見送ってから、俺は証拠隠滅をすることにした。
第3校庭にできたクレーターの前で、学園風紀術式デバイスを起動する。
「《学園風紀術式展開:修復》」
時間を巻き戻したかのようにみるみる塞がっていくクレーターをみながら、ああ、煙草が吸いてえなあ、と思った。
これはとある世界のとある場所。
とある学園──『主人公養成学園』で、昼行灯と呼ばれる教師の日常である。