キラー・スマイルと、ケサラン・トレーラン
一、対・大ダコ強盗
キラー・スマイルは金髪碧眼でかわいい丸顔をした、素直ないい青年である。あまりに素直すぎて、バカと言われて避けられることも多い。その常軌を逸した愚かさで、近親憎悪を超えた怒りを買って田舎から追い出され、ここアマリカ合衆国西海岸にある大都市、ニョロヨークへ来た彼は、さてどうしたもんかと裏路地で肩かけバッグを下ろして、きょろきょろした。くすんで白が夕焼け色になったしわだらけの半そでシャツに、薄汚れたジーンズとスニーカーは、多種多様な人種とワケありのるつぼである、この街では珍しくない格好だから、そう目立たない。
とくに目的もなく、することもなく、ただでかい都市だからと来てみただけで、この自由の国アマリカにはきわめて適した人材かもしれないが、自由すぎるのも考えものだろう。カバンには、塩がぎっしり詰まったビンが何本も突っ込んである。もし食うに困ったときに、勝手にそのへんの木の枝や草にふりかけて食うためだった。腹こわしそうだが、前述のように素直すぎるので、そこまで細かいことは考えていなかった。
キラーがキョロっていると、さっそくこの街の名物である強盗が近づいた。ただでさえ、このニョロヨークは犯罪都市と言われて治安がすこぶる悪く、このように人通りが少ない場所では出てあたりまえで、ここの住人は特に避けている通りであった。彼よりさらに小汚いジャンパーをはおり、黒いニット帽にタラコ唇の、その若い男は、無言で彼に右手でナイフを向け、左手で上にゆっくり数回手招いた。もちろん「金だしな」のジェスチャーである。
だがキラーは素直なので、その姿を見たまんまに解釈した。
彼は驚がくした。
「足が! た、タコの足があああっ!」
目を見開き、大口あいて叫ぶイケメン。
「なっ、なんという形にいいいっ?!」
むろん、なんのこったか分からないので強盗はきょとんとしたが、キラーは、彼のタラコ唇を見て「これはタコだ」と直感したのである。そして「へえ、こんな陸の上にもいるんだなぁ。さすがはニョロヨーク」と一度は感心したものの、その足を見た瞬間、驚いたのである。
左足の先はタコのくせに吸盤もなく、短いつめのついたパワーショベルのシャベルになっていて、上向きにパクパク動いている。こっちを向いた右足の先には、やはりタコなのにひとつの吸盤もないばかりか、なんとしかめっ面をした魔女の顔がついており、その真ん中には、刃物のようにとんでもなくとがった鼻がそびえていたのである。
むろん、これらは手まねやナイフを見間違えたものであることは言うまでもない。魔女の顔というのは、ナイフを握る指の形が、老婆の顔のしわやまぶたに見えたのだが、ふつうならこの仕草を見たからって、そんなワケワカなことは連想しないだろうし、じっさいキラーも、この状態の人を見て、いつもそう思うわけではない。
ただ、ある一点の事実が、彼の判断を決定的にしたのだ。それは相手の唇がタラコで、タコチュウの口に「見えてしまった」ことである。そのせいで彼の脳は、強盗が、街中に突如あわられた巨大なタコである、と判断してしまったのである。
それだけなら、まだいい(よかねえか)。その手の仕草が、彼の思考にさらなる誤解を与えた。ナイフを握る右手は魔女の顔、上に手招く左手はパワーショベルのシャベル、というふうに、たとえ百歩ゆずって相手が本当にタコだったとして、それでも自然界ではといていありえない「キメラ状態」に陥ってしまっている、という壮大な勘違いに陥ったのである。
「た、大変だ! ちょっと待ってね、ワサビ持ってるから!」と、あわててカバンを探るキラーに、強盗はイラついて叫んだ。
「てめえ、さっきからなに言ってんだ?! とっとと金だせってんだよ!」
しかし、彼が飛び道具でも出すと思い、強盗はあわててナイフをかざし、切りかかった。こうなりゃ仕方ない。大人しく出すなら奪って逃げる気だったが、もう刺して、とるもんいただいてズラかるだけだ。こいつがモタモタしてんのがわりい。
だが、とびかかられる直前、キラーはカバンから出したビンを向け、フタがはずれて、中から白い粉がわっと飛び出した。顔面にもろに塩をぶっかけられた強盗は、「ぎゃあああ!! 目がいてえええ!!」と後ろに飛びのき、そこへ走ってきた車にはねられて、虚空を数メートルぽーんと飛ぶと、向かいのビル壁にぶちあたり、ずるずると落ちた。
車は逃げ、キラーはきょとんとした顔でビンをしまった。見れば壁際の強盗はうつぶせで、車体に当てられた腰のジーパンが破れて尻がむきだしになり、縦に加えて横にも新たな裂け目ができていて、かなり流血していた。
彼は不思議そうに見ながら言った。
「どうしたんだろう。あ、刺身だから、これでいいのか」
彼はさっき、なんらかの原因で触手の先がシャベルと魔女になってしまったこの哀れな大ダコを、なんとかしてやろうとして、「そうだ、タコといえば寿司だから、ワサビつけてやれば、なんとかなるかもしれない」と思い、とっさの判断で、塩のビンを取り出したのである。あいにくワサビはなかったが、塩でも似たようなもんだろう、と代用したのだった。
歩きだしながら、キラーは「ワサビも持ってくればよかったなぁ」と思った。じっさい、そのへんの雑草や木につけて食うのに、塩ばっかじゃ飽きるだろうが、出発前にそこまで思いつかなかった。
(まだまだ僕は甘いな)
傾きはじめた午後の白い太陽に向かって、彼は反省するのだった。
カンカンカーン。
この勝負、キラーのKO勝ち。
二、対・ボクシング・トレーナー
「おい、ちょっと待ってくれ!」
後ろから声をかけられ、振り向けば、彼と同じくらいの歳に見える青年がいた。下は紺のスラックスにスニーカーという、キラーと同じラフな格好だが、上はカラフルなチェックのシャツで決めて、おしゃれな感じだった。顔だちは整っているが、童顔で可愛いキラーとちがい、目は鋭く、口元はきりりとしまり、野生的である。それでいて髪は顎の下まで垂らしたロンゲなので、そのたたずまいはどこか浮世離れした戦士というか、中世の騎士を思わせる気品すら感じさせた。
だがそのクールさも、今の彼の心情ではやや剥げ落ち、感動と興奮に目が子供のように輝いている。
「なに? お漏らしでもしたの?」
キラーが聞くと、中世の騎士は義憤で切腹せんばかりに、自分を指して怒った。
「これがお漏らしした顔かっ! そうじゃない、見たぞ、今のすんげえパンチ!」と拳を突き出す。
「チンパン? 猿が欲しいの? 僕、来たばっかで動物園しらないんだ。でも商売道具だから、売ってくんないと思うよー」
「チンパンじゃねえ、パンチだ、パンチ!」
「あいにくポケットにはパフェしか入ってないから、それで勘弁してください」
「飲み物じゃねえ! てか、パフェなんかポッケに入るわけないだろ!」
いろいろ言うと、アホは決意のように眉をひそめた。
「わかった、そこまでフルーツパンチを隠し持ってると疑うなら、飛び跳ねよう。みかんやワインがポケットの中でジャラジャラ鳴ったら、君にパンチを差し出す」
「恐喝してんじゃねえ! てか、みかんやワインがジャラジャラ鳴るかっ!」
しかしアホが数回ジャンプすると、ジーパンの中からジャラジャラと音がした。悔しそうに目をつぶる。
「くっそう、僕の負けだ。わかった、大人しく出すものは出そう」
「だから、恐喝じゃないって言ってるだろ!」
だが、アホはポケットから高いグラスに入ったフルーツパンチをにゅるりと出した。ワインの中にカットされたみかんやパインが浸けられていて、じつにうまそうである。
受け取って、げんなりする騎士。
「ど、どうやって入ってたんだ、これ……」
「なんだよ、もう金目のものはないぞ」とアホ。「強盗なら、さっさとうちに帰れよ。母ちゃんが腹ばいで、白い腹ぶよぶよさせて待ってるぞ」
「女王アリかっ! そうじゃねえ、さっきお前、強盗を殴ったろ?」
「失礼な。君を殴った覚えはないぞ。言いがかりはやめたまえ」
「俺じゃねえ! ほら、さっき……
あ、あいつだ、あいつ!」
後ろを指差すと、壁際にのびているさっきの強盗がいた。
「あの強盗を一撃でのしたじゃねえか!」
「ええっ?」
困惑するキラー。
「ああ、あれは足の先がシャベルや魔女になる奇病にかかった、かわいそうなタコだよ。だからとりあえず、刺身にしてあげたんだ」
「なんだ寿司が好きなのか」
とたんに顔をほころばせる男。
「優勝すれば、刺身なんか俺がたらふく食わしてやるぞ」
「いや、べつに寿司が好きなわけじゃないんだ」
しかし田舎にいたころ、すし屋の板前のヨシローだけが、どんなにアホをやっても最後までキラーをかばってくれたので、寿司に思いいれがあったのは確かである。だが、とくに好きなわけではなかった。
とにかく、この男がなにか大きな勘違いをしていることだけは確かである。
じつは彼は、さっきキラーがビンから塩を強盗の顔に飛ばしたとき、ちょうど真後ろにいて背中しか見えていなかったので、てっきり彼が強盗をパンチで撃退したと思い込んだのだった。そして、塩のあまりのしょっぱさに後ろに飛んだ強盗は、車にはね飛ばされて向かいのビル壁に激突したわけだが、それもキラーがアッパーを食らわして、空中高く放り上げたように見えてしまったのである。それが本当なら、確かに稀有な殺人的パンチ力である。
「強盗のくせに大ダコを自分呼ばわりとか、下手な言い訳するのよくないよ?」とキラー。
「おおそうだ、自己紹介が遅れた。俺はこういうもんだ」
そう言って渡した名刺には、「パサラン・マグナム ボクシング・トレーナー」とあった。
「ケサラン?」
「パサランだ、パサラン!」
キラーは田舎にいたころ、日本人の友達からケサラン・パサランというUMAの話を聞いていた。これは小さな毛玉みたいな生物で、ツチノコやネッシーと同じく正体が今も不明であるが、パサランはそういう話にうといだけでなく、日本のこともよく知らないので、そんなのと間違われても意味が分からなかった。
落ち着くと、パサランは再び興奮モードに入り、鼻息むんむんで、目の前のいいカモ――じゃない、金の卵にまくしたてた。卵ったって彼の勘違いなので、かえるかどうかは未知数である。だが、相手は稀有に稀有が三十稀有乗したほどの稀有すぎるアホだ。この場合、殻の中ですでにだし巻き卵になっている可能性が高い。
「さっきのお前の殺人パンチ! あれほどのパワーを備えた選手はそうはいねえ!」と息巻くパサラン。「なああんた、俺とボクシングやらないか?!」
「ええー?」
嫌そうな顔になるキラー。
「ボクシングって、殴りあうやつでしょ? やだよ、痛そうだもん」
「いや、お前を殴れるような奴は、今のところいないって、たぶん」
「ふーん、殴られないなら、いいけど」と真顔になる。「でも、ちょっとでも、指先で顔をつんつんでもされたら、ただちに現役を引退するからね」
もうプロになった気分かよ。それでいて、つんつんだけでただちに引退とか、どんだけ気が弱いんだよ。
などと思ったが、口に出すのはやめた。パサランにすれば、とにかくこの男をボクサーにしさえすれば、それでよかったのである。
彼は咳払いして言った。
「とにかく、俺がお前を鍛えて、プロのボクサーにしてやるよ。お前なら世界最強の男になれる。なぁに、俺がついてるから、心配すんな」
「うーん、あんた、だれ?」
「名刺に書いてあるだろ! 俺はトレーナーだ!」
言ったとたん、バカはいきなり彼の前髪をつかんでぐいと腰まで引き寄せ、なんと口に己のチ〇コを突っ込もうとするではないか。あわてて両手で押しのける。
「うわあーっ! いきなりなにすんだっ!」
「だって君、トレーナーだって言うから着ようかと思って……」
しゃあしゃあ言うアホに怒るパサラン。
「お前はいつも服をチ〇コから着るのかっ!」
たしかに、ふつう服はパンツから履くから正しいっちゃ正しいが、上半身にはおるシャツや上着までチ〇コから履くやつは、きわめて珍しいと言わざるをえない。
だが、バカは真顔で「パンツ?」とポケットから履いていたブリーフを引き出してよこすので、ぺしっと地にはたいた。
数々の不祥事に頭きたパサランは、これはマジでかからにゃいかん、と覚悟をきめた。相手の両こぶしを両手で包み、ド真剣な目で見つめながら、告白のように言う。
「率直に言う。俺は、お前の右腕に惚れた!」
「ええええ――っ?!」
驚がくし、いきなり手をつかんで走り出すキラー。
「な、なんだいきなり?!」
「いいから来て!」
カンカンカーン。
この勝負、キラーも頑張ったが、パサランの勘違いボケもそうとうなので、判定によりドロー(引き分け)。
ちなみに、この小説は作者である闇之一夜が一人で書いているので、ジャッジもそいつである(あたりまえだ。ほかにいたら怖い)。
三、対・新郎新婦
着いたところは近くの教会で、敷地には着飾った人たちが、がやがやと集まっていた。キラーはパサランの手を引いたまま、裏口から突入した。そこは待合室で、今まさに結婚式をあげる直前の新郎新婦がいた。
「な、なんだ君たちは?!」
目を丸くする新郎を尻目に、キラーは「どりゃあああ――!」と花嫁のスカートに手を弾丸のごとく突っ込み、ケツをパンチした。女は「ぎょはあーっ!」と叫んで吹っ飛び、襟首からスポーン! と下着姿で飛び出して、彼の右腕にまっ白な花嫁衣裳だけが巻きついて残った。
嫁はあわてて逃げ出し、「きさま何をするっ!」と怒った旦那の腰に、今度はパサランの左腕を突っ込ませて猛烈にパンチさせた。タキシードの黒ズボンと上着とワイシャツがスポーン! と脱げ、「うんぎゃあーっ!」と白パンツ一丁で飛び出した彼は、やはりあわてて逃げた。
キラーと同じように左腕に新郎の衣装が残ったまま、意味がわからないでいると、バカはひもで縛って自分の右腕に花嫁衣裳を着せ、パサランの左腕にも同じく新郎の黒いタキシードを着せた。自分の花嫁姿の右腕に、彼の新郎姿の左腕を並べて、ハンカチを目にあてて涙ぐむ。
「うっうっ、まさかお前が結婚できるとは思わなかった。お父さんは嬉しいぞ。
……さあ君もやって!」
「はあ? なにをだよ」
「だから、君も泣いて『うっうっ、こんなに立派になって、父は返す言葉もない』とか、なんとか言うんだよ。でなきゃ、僕の右腕と結婚できないぜ?」
「ちょっと待てええええ――!」
叫んで、やっと流れをとめる気になるパサラン。
「俺はたしかに『お前の右腕にほれた』とは言ったが、こういうことじゃねえんだよ!」
「えっ、左腕は嫌? しょうがないな」と相手の腕からタキシードを取り、今度は上から頭にすぽっとはめた。
「も、もがあああ――!」
顔がふさがって息ができず、ダミ声でうめくパサラン。だがバカは気にもせず、「相手が腕なのに、顔が結婚したがるなんて変わってるね。まあ、僕は気にしないから安心して!」とウィンクあんどサムアップ。
「ほうらへえっふってんはほ(そうじゃねえっつってんだろ)!」
必死に言って服を頭から取ろうとしたが、バカはニコニコしながら、「だいじょうぶ、これ見て」と自分の右手首を見せた。手首に黒マジックで、丸や線のゆがんだ目鼻が、いい加減に描いてある。
「君の顔にも目と鼻の先があるから、これでお似合いだね」
「うるせえバカ!」
わめいて、やっと顔からタキシードをとって床に叩きつけるが、うるせえバカは静かに笑うバカり。
「さあ、あとは式をあげて、レフリーが二人に誓いの言葉を言わせるだけだ」
「それは牧師だろうが! プロレスじゃねえんだよ!」
「あ、そうか、プロレスは新婚初夜にホテルでするんだよね」と、照れくさそうに頭をかく。「教会で式をあげるときに、親や親戚の前でセックスするバカはいない」
「バカはお前だっ!」
そのとき式場の方から、いつまでも新郎新婦が来ない、どないしたんや、みたいな客のガヤガヤ声が聞こえてきて、ますます怒った。
「どうすんだ、こんな騒ぎにしやがって!」
ふつうなら、ここまでバカと分かれば即座に縁を切って逃げるところだが、パサランはちがった。それほどまでに、このキラーという男のボクサーとしての才能の芽に期待していたのである。悲惨としか言いようがない。
「とにかく逃げるんだ! このままじゃ捕まるぞ!」
「えー」と眉を寄せて困惑。「出会ったばかりでナンだけど、君を置いて行けないよ」
「俺も一緒に逃げるに決まってるだろ! 俺だけ残る意味がねえんだよ!」
「ごめん、誤解してたよ」
急にすまなそうにうつむくアリョーシ。
「てっきり、君がひとりで式をあげて、ひとりで夫婦になる気かと思ったよ。ひとりだけずるい、とか君をねたんじゃった。僕って悪いやつだよね……」
「そんな変態、ねたむんじゃねえ! とにかく行くぞ!」
「ええっ、君だけで行くの?!」と驚がく。「僕だけ残る意味がないのに、ひどいよ」
「うるせえ! 来い!」と、子供を脇にかかえて運ぶみたいに腰を抱き、強引に走り出す。驚いてもがくバカ。
「わあ、変態に誘拐されるー! たすけてー!」
「だまれ、変態!」
往来では、下着一丁でうろついていた新郎新婦が警察に捕まっていた。「結婚式をあげるはずだったのに、服を取られたんです!」とか、いくら説明しても警官は「あー分かってる、みんなそう言うんだ」とメモを取るばかり。
この街の治安では、こういうのは珍しくない。どうせ麻薬でラリって、往来でヤッてたんだろう、と気楽に思っていた。
一方、教会の人たちは、つまんないからとっくに帰っていた。
カンカンカーン。
この勝負、新郎新婦のほうは、ただ下着姿で外をうろうろしただけなので、ほとんど笑えなくてお話にならない。よってキラーのKO勝ち。
四、対・鬼の料理長、カインドハート(第一ラウンド)
ボクシングでチャンプになるには、まずはジムで練習しなくてはならない。そう言うが早いが、いきなり近くの公園のジャングルジムに登って、ゴリラのようにウホウホはじめたキラーを引き出すのに、パサランは、ジャングルジムからあわてて降りた子供の持っていたバナナを奪って彼をおびき寄せる、という非道をせねばならなかった。
「なんでゴリラの真似なんか――あっ待て、言わなくても分かる!」
道で問い詰めようとしたパサランは、はたと黙った。まだ会って数時間もたっていないのに、相手の行動原理をつかめはじめていた。
「どうせ、ジャングルだからって猛獣の真似すりゃいいと思ったんだろ」
「そう! すごい、よくわかるねえ!」と嬉しそうに笑うキラー。「この完全に終わった理解力は、君も僕に劣らぬすさまじいバカと言わざるをえない」
「うるせえ! あそこはジムはジムでも、子供の遊び場だ!」
だがパサランが指差して怒鳴っても、バカの興味は、もうよそに移っていた。
塀の壁に貼られたそのポスターには、グローブをつけてこっちに構えているボクサーの絵が描かれ、その上に黒の太字で「ボクシングジム、バルボア・スターで、君もチャンピオンを目指そう! 新人ボクサー募集!」と書かれている。
「ほら、ここで募集してるよ」
「おー、ほんとだ! よし、ここで修行して、二人で天下を目指そうぜ!」
だがやる気満々でファイティングポーズするパサランに対し、キラーはかなりさめた目で言った。
「二人でって、君はなにすんの?」
「えっ? そりゃ、お前を一人前にするためにトレーニングするに決まってるだろ」
「だって、このジムにはもうトレーナーいるから、君は必要ないんじゃないの?」
「うっ、そ、それは……!」
痛いところをつかれ、あせるパサラン。
じつは昨日、所長と喧嘩して所属のジムを追い出され、途方にくれていたところに、この金の卵と出会ったのだが、そのことを言うわけにはいかなかった。
「さっき聞きたかったんだけど」とキラー。「君、トレーナーなのに、なんでジムがないの?」
「そ、それはだな……」
急いで思考をめぐらせる。
「そ、、そうだ、俺は流れのトレーナーで、とくに所属のジムはないんだ! さすらいの一匹狼ってわけさ」と、いきなり赤い薔薇をくわえて目がキラーン。一匹狼の解釈が何かおかしい。
「うわぁ、なんかカッコいいねー」
バカが騙されてほっとしたパサランだったが、バカもバカなりに鋭かった。
「でもそしたら、このジムに入ると、君は用なし、ってことになるよ?」
「いや、そこに俺も所属するから、大丈夫だ! そうそう、そうやってジムを渡り歩いてるんだ俺!」
「ほんとー?」とジト目。
「ほんと、ほんと。なんせ俺は、一匹狼だからな!」と薔薇くわえて目がキラーン。
「わぁ、カッコいー!」
「ふふん、まあな」と腕組みで笑う。
「さすがはケサラン・トレーラン」
「パサランだ! てかトレーナーだろ。なんだよ、トレーランって」
「あ、ケサラン・パサランと間違えた。まあ似たようなもんだし、いいでしょ」
「まるで似てねえし」
しかし彼らは目的地に向かいながら、もうナイスな思い違いをしていた。ポスターの貼ってある塀の裏に三ツ星レストランがあったのだが、二人はそこがジムだと勘違いしたのである。
キラーはまだ分かるが、まともなはずのパサランも、一緒にいることでバカが移りつつあるのか、「建物の塀にポスターがあるから、そこがそのジムである」という短絡的解釈に、うっすら疑問を持つ程度で、「まぁいいか」と納得してしまった。
これが表の、立派なガラス張りの自動ドアになっている入り口から入ろうとしたなら、軒下にペンキで書かれた店名のしゃれたロゴや、脇のショウウィンドウに置いてある様々な豪華料理の見本から、「どう見ても、ここは客がものを食う店だ」とすぐに分かったろう。
だが不幸なことに、塀に貼ってあるポスターのそばに、ゴジラが足の爪で刺したようなでかい裂け目があって、裏口から入れるようになっており、二人はそこから店内に入り込んでしまったのだった。
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いきなり厨房であった。
両脇にシンクや長々した調理台の並ぶ銀一色のせまい通路をきょろきょろし、後ろを行くパサランも、さすがに不安になった。
「おいここ、料理屋かなんかじゃないのか?」
前に囁いたが、先頭のキラーはニコニコと「外にボクシングのポスターがあったんだから、ここで間違いないよー」と言うばかり。
これで誰か従業員でもいれば追い出されて終わりだったろうが、(この店にとって)とてつもなく不幸なことに、まだ夕方の開店には三十分以上も早く、誰も出勤していなかった。
いや正確には一人、一番乗りの社員が奥の更衣室にいた。
このレストランの中年のコック、ジャック・カインドハートである。
味と礼儀に凄まじく厳しい彼は、長年「鬼の料理長」の異名で呼ばれ、ここで働く大勢の部下たちに等しく怖がられていた。はげ頭でいかつい顔つきの、鷲のように眼光鋭いカインドハートは、コックの例に漏れず、軍人を思わせるがっしりした体格だった。
背が高くやや猫背の彼は、これも鷲で悪いが、いつもフックのような鷲鼻を部下に向け、突き出た顎を小刻みに動かしては、的確な指示を出すのだった。客が来ない開店前は常に怒鳴りまくるから声はつぶれてハスキー、いかずちのごときわめきが店の隅々にまで通り、厨房はさながら原始人の暴れ狂う洞窟の様相を呈する。おたまの裏などでコツンと痛い程度に殴られることもあり、部下のコックたちには恐怖の時間である。
だが、開店したからって気は抜けない。見回る料理になんらかの落ち度を見つけようものなら、背にくっ付かれ、目の前の料理を指されて、肩越しにドスのききすぎた声で「おめえ、なにやってんだ……」と不気味に囁かれて、半泣きになるのである。そして作り直してもまたダメなら、「おめえ、あとで休憩室に来な……」となる。
この休憩室行きが、二度目で首である。だからコックの入れ替わりは、ほかのどの店よりも激しい。コックたちは、料理長の目にかなうために必死で働く。
そんな恐ろしい銀ぴかの魔窟に、パサランたちが入り込んだわけである。
カインドハート料理長が白衣に着替え、ここの長を示す長い筒状の白帽をかぶって調理場に出ると、通路に見慣れぬ二人の男がいる。バイトは使わないから正社員のはずだが、あまりに首が多いので、いちいち憶えていなかった。
新人と決めつけ、彼は二人に近寄った。
「おう、二番手とは早いじゃねえか、感心だ」
口元を吊り上げてニヤけて言い、メニューをずらりと書いた紙を渡した。
「おら、今夜のぶんだ。仕込みは済んでっから、準備だけしとけ」
そして二人をじろじろ見て付け加える。
「まずは着替えてきな。五分だぞ」
彼がてのひらをあげて言い捨て、くるりと背を向けて去ると、キラーはもらったメモを見て眉をひそめた。
「なんたらポトフに、なんちゃらシチューのうんたら風? ケサラン、これって普通の練習メニューなの?」
パサランはひったくってまじまじと読み、たちまち顔色が変わった。
「レストランのメニューだぞ、これ! やっぱここは厨房だ! やべえ、とっととずらかろう!」
だが、アホはそう簡単にはいかない。
「なんだ、やっぱりメニューか」と安堵して笑う。「じゃ、これにしたがってトレーニングしよう。えーと、グローブとかサンドバッグはどこ?」
などと見回すアホにキレかかる相方。
「ポトフやシチューにどう従うんだよ! ここはジムじゃねえ、レストラ――あっこら、聞いてんのかっ!」
相棒のありがたいお言葉を聞きもせず、壁にかかっている銀ぴかのおたまやフライ返しを取って、しげしげ見るキラー。
「へえ、変わったグローブだねえ」
「まじめにそんなセリフ言うんじゃねえ! さっさと戻して、ここを出るんだ!」
「またぁ、自分がこんな高級なの使ったことないからって、そうひがまなくても」と、おたまを見入る。「しかし、いいグローブだねえ。これで人を殴っても、ビクともしそうにない」
「そんなもんで殴るのはコントだけだっ!」
いくらキレられても気にもしないキラー。なんせ彼はとてつもなく、バカの領域に達するほどに素直なので、おたまがひとたびグローブに見えるや、完全にそうだと思いこんでしまう、という特異体質なのである。
「でも手首のとこが細いのが、ちょっとなぁ」と長い柄を見る。「対戦相手が、こういうのをはめて殴ってきたら、簡単に折れそうだ」
そう言って、壁ぎわの洗いもの立てに何枚かさしてある、まな板を指す。さらにキレるパサラン。
「そんなもん、はめる奴はいねえんだよ!」
そこへ、運悪く鬼が戻ってきた。二人を見るや、ただちに顔をしかめ、調理台を指さして怒鳴る。
「なんだ、準備の『じゅ』の字もしてねえうえに、着替えてもいねえのか!」
「すみません、さっそくやります」
バカは謝ると、二つのおたまを両手に持ち、いきなりシュッシュと交互に突き出しはじめた。そして、おたまのアタマ(ヨーヨー、韻踏んでるぜベイベエ)で、なんといきなりカインドハート料理長の右頬を、思いっきりぶん殴ったではないか。
バキイイッ!
「ぐはああっ!」
当然、よろけるおっさん。
「てっ、てめえ、なにすんだっ!」
あわてて白帽をなおし、目ん玉とび出て驚くおっさんに、「あっ、そうですよねえ」と頭をかいて苦笑するキラー。パサランは隣でションベンちびりかけるほどビビっている。
「やっぱり、こっちのほうが丈夫でいいですよね」
などと、バカは今度は壁ぎわの洗いもの立てのまな板を二枚取り、それぞれの上にあいている指入れの穴に指を入れて両手に持つと、二刀流でまな板を振り回して、角で料理長の顎を思いっきり直撃した。
ガッツーン!
「ふんぎゃああ――!」
叫んでひっくり返り、完全にぶちキレて起き上がったその目は、怒りで列車の停止信号のごとく、赤くらんらんと輝いている。
「そうかてめえ、やろうってんだな! おーし、相手になってやる!」
超慌てで両手を振って弁解せんとするカワイソーな相方。
「ち、ちがうんです! これはその、誤解というか――そうだ、こいつ病気なんです、すいません!」とバカを指さす。まぁ、ある種の病気なのは間違いなかろう。「すぐつれて帰りま――」
彼は止まった。その病人は、引き出しから恐ろしい物体を出して、自転車のLEDライトのごとく目をキラキラ輝かせていたのだ。それは二本のぶっとい出刃包丁であった。
「おおー! こんなにいいグローブがあったとは! 隠すなんて人が悪いねえー」
あんまりな展開に、目が飛び出そうになるパサラン。
「バカ、そりゃグローブじゃねえ! 包丁だ!」
「うーん、この鋭さ! かなりの殺人パンチが出せそうだ!」
「殺人パンチじゃなくて、ただの殺人じゃねえか! やめろ!」
しかしバカは二つの刃物を両手で持つと、そのままただなんも考えずに、いきなり料理長にとびかかった。
「きええええ――!!」
白目むいて奇声を発して、二つの出刃包丁を振り上げて突っ込んでいく人殺し。これにはカインドハートもビビったが、さすがは刃物を使ってウン十年のベテラン、あわてて自分も壁に下がっていた包丁を二本取り、対戦した。
出刃包丁の二刀流同士の、壮絶な戦いが始まった。鋭い銀の刃がぶつかる音が厨房というリングに響く。
キンッ! キンッ!
キキ、キンッ!
「さすがはプロのトレーナー! 鋭いパンチしてるな!」
笑いながら二本の立てた包丁を突きまくる危ないバカ相手に、必死に刃を振って戦うカワイソウな料理長。
「やめろってめえ! 気は確かか、コンチキショー!」
キンッ! キンッ、コンッ!
これだけ派手に金属音がしているのに、今はグローブで殴りあっているだけで、じつは凶器で殺しあっているなどとは夢にも思わない、このキラーさんの特殊な大脳を、ニューヨーク大学医学部あたりは、研究する価値が多少はあるだろう。
ついにおさえきれなくなったカインドハートは、包丁を捨てて背を向け、「た、たすけてくれええ――!」と通路を逃げたが、キラーはどこまでも追ってきた。
「待てえええ!! ボクシングしろおおお――!!」
逆手に持った包丁を振りあげ、白目むいて口から泡を飛ばして絶叫しながら追ってくる。その名のとおり殺人鬼である。
もちろん逃げる料理長には、相手の言っている意味は分からない。やってることが、まったくなにもボクシングじゃないからだ。分かる奴は本人とパサランしかいないだろうが、本人もわかっていないかもしれない。
カインドハートは更衣室に逃げこみ、中から鍵をかけた。すんでのところで閉められ、木製の扉の表面を、白目むいて理性のかけらもなく、「死ねえええ!! 死ねえええ!!」と刃で縦横に大きく何度も切りつけまくるキラー。
体当たりでもするならともかく、そんなことであくはずもないのだが、すでに練習モードに入っている熱い新人ボクサーには、わずかの気の迷いもないのだった。やってることは、ただの危ない奴だが。
カインドハートは奥行きが一メートルもないせまい部屋の壁に張りつき、外から切りつけられる扉の表面から、何度も刃先がズンズンとつき出すたびに、「ぎゃあああ――!! 人殺し――!!」と泣き叫ぶのだった。鬼の目にも涙である。
しかし、楽しい練習時間はいつまでも続かなかった。出勤してきた社員がこの有様にビビり、スマホを出した。あわてたパサランの妨害にもかかわらず、警察が呼ばれ、どこからかサイレンの音が聞こえてきた……。
カンカンカーン。
この試合、第四ラウンドは、キラー10点、カインドハートは頑張って戦ったが、あまり笑えないので8点。
(豆知識)
片方の点数が6より下がると、レフェリー(作者)が試合を止めるため、それ以上の点差が開くことはない。
ちなみに、ふつうのボクシングの試合では、片方がダメージを食らうにつれて点が下がっていくので、それがあまりに大きすぎた場合に、レフェリーがストップをかけるのだが、この小説では、片方があまりにも笑えなかったときなので、そうなると、作品が途中で終わってしまいます。
そうならないよう、なんとか毎回大バカヤロウな対戦相手を出すよう努めますので、今後とも、よろしくお願いいたします(礼)。
五、対・鬼の料理長、カインドハート&狂えるマッポ軍団(第二ラウンド)
「今日はなんて日だ、ったく!」
ジョン巡査はハンドルを握りながら愚痴った。
「昼は往来でヤリまくるヤク中カップル、夜はレストランで包丁もった通り魔だと? 世の中、狂ってる!」
「まぁ、そう言うな」
隣で相棒のパンチ巡査が、銃を手入れしながら言った。
「久々の凶悪事件だ。腕が鳴るぜ」
ジョンは嬉しそうな相方を横目で見て、あきれたように言った。
「あんまり見せびらかすなよ。まったく、銃を三つも四つも所持してんのは、お前くらいだぞ」
「わかってるって」と、いくつもの銃をまとめてケースにしまい、シートに置く。
痩せ型のジョンとちがい、太目でぽっちゃりのこのパンチは、その名に似合わず、殴るよりも撃つほうがめっぽう好きだった。
パトカーは数種のネオンに彩られた夜の街を抜け、三叉路の中央にある三ツ星レストラン「フルメタル・ジャンバラヤ」の前に着いた。
が、無線を聞いていたパンチが言った。
「犯人は地下駐車場に逃げたらしい。そっちへ周ろう」
「客として来たかったもんだな」
パトカーが店脇のスロープを降りると、広々したスペースに車が点々と停まっているのが見えた。しかし彼らは停めても降りれなかった。二人して乗ったまま、ただ、あ然と見つめるしかなかったからだ。
パトカーの十数メートル先を横切ったのは、明らかにここの有名なシェフ、ジャック・カインドハートであったが、一瞬目を疑うほどの容貌をしていた。しかし上からの白い明かりで顔がはっきり見えたから、間違いない。ジョンもパンチも、数日前にテレビでここの店の特集を見て、彼の顔をじっくり拝んだばかりだったのである。
というわけで知っていたにもかかわらず、やはり二人は目を疑った。こすることも忘れ、といって驚きに見開くこともなく、揃って時間が止まったように、ただ生気のない瞳で、横切るそれを呆然と見送った。
なんとなれば、カインドハートは一糸まとわぬ素っ裸だったのである。
彼はパトカーを見るや、天の助けとボンネットを叩いてわめいた。
「助けてくれ! あぶねえ奴に襲われてんだ!」
「えーと、それでしたら……」
パンチが「今、見てます」と続けようとしたので、ジョンが口を押さえた。
相手の反応が鈍いので、さらに慌てるカインドハート。
「殺される! なにやってんだ、おまわりだろ! 早く逮捕してくれ!」
「ええ、もちろんしますが……」
パンチが「まずパトカーに両手をついて、両足を開け」と続けようとして、またジョンが口を押さえた。仕方なく、今度は彼が尋問することにした。
窓から顔を出すと、裸の料理長――って、題名みたいだな――は、そのままセックスしそうな勢いで飛びついた。
「顔に抱きつかないで!
……えーと、二、三うかがいます。まず、あなたは、ここの料理長のカインドハートさんですね?」
「んなもん見りゃ分かんだろ!」
「チンポ見て分かるのは、寝たことある奴だけだぜ」
「パンチ、やめろ!
……で、ミスター・カインドハート、いったいどういうわけで、そのような格好に?」
「おう、じつはな、包丁もった奴に服を全部切られてな」
「ええっ、大丈夫なんですか?!」
「さいわい怪我はねえ、たぶん」
「すげえテクニックだな」と感心するパンチ。「そいつの職業はなんだ? 公儀介錯人か?」
「なんだ、そりゃ」とジョン。
「江戸時代の日本で、切腹した侍の首をはねてやっていた役人だ。首をはねて楽にしてやることを、介錯というんだ。乳母車にちょんまげの子供を乗せてないと、勤まらなかったらしいぞ」
昔みたスプラッタ時代劇「子連れ狼」の記憶が、あやふやのまま甦っていた。
「それで、どうやって介錯するんだよ! もう黙ってろ!」
「よくわからんが、映画だと確か、乳母車からミサイルや手裏剣が飛んで、切腹した侍を殺してたと思う」
「首はねるんじゃねえのかよ! てか、今はそんな話じゃねえ!」
「そうだ、早く助けてくれ――」
言いかけた料理長の顔色が変わった。ジョンの瞳の隅に、人類の根源的恐怖を見たのである。
「き、来たあああ――!」と近くの車の陰に隠れる。
現れた二刀流の包丁をかまえた剣士は、トロそうな弛緩した顔の若い男であった。
「コーチ!」
地下駐車場じゅうに声を響かせ、きょろきょろする。
「僕の才能にビビるのは分かりますが、逃げないで練習に付き合ってください! このパンチなら、来週にもチャンプ間違いなしです! やったー!」
叫んで包丁を振り上げてギラつかせる。が、目の前のパトカーから降りてきたそれに気づくと、さすがに好奇の目を向けた。
「よし、そこまでだ」
銃を突きつけるジョン。
「大人しく凶器を捨てて、パトカーに両手をつけ。逆らうと、ためにならんぞ」
「凶器? なんのこと?」ときょとんとするキラー。
「冗談のつもりか? そのお手手に持ってるもんに決まってるだろ!」
「このグローブのこと?」とギラつく刃を見つめる。
「ぐ、グローブ?」
さすがにジョンも驚いたが、それがいけなかった。そのわずかな隙に、現代に甦った公儀介錯人は、いきなりジョンに飛びかかって包丁をすいすい振り回した。「うわああー!」と銃を撃ったがてんでの方にあたり、落としてかがんだ彼は、ほんの一秒で料理長とまったく同じ姿になっていた。
「うわー、なんじゃこりゃー!」
フリチンでたまげる彼を見て、不謹慎だが笑ってしまうパンチ。前を隠して、その薄情な相棒に怒鳴るジョン。
「こいつ、殺してくれ!」
「ああ、そうはいかんが――」と彼も外に出て、銃をかまえる。「相棒に恥をかかせたお礼はさせてもらうぞ」おめえ笑ってたろ。
が、彼もあわてて周りを見回すことになった。
「ややっ、あの野郎、どこ行った?!」
「素早い奴だ、気をつけろ」
が、ジョンの忠告もあまり役に立たなかった。パトカーの中から出てきたキラーは、ちょうど来たパサランに、嬉しそうにあるものを見せて言った。
「すごいよこれ、車の中にあったんだけど」と二丁の拳銃をそれぞれの手に持って、かかげる。「さっき見たら、この部分を押すと(と引き金を触る)、先っぽからすごく長いパンチが出る仕組みらしいよ。ムチャクチャ遠くの奴も殴れるなんて、今のグローブってすごいね! やったー!」
「バカ、それもグローブじゃねえ! 銃だ!」
当然、目をむいてあわてるパサラン。
「あぶねえなんてもんじゃねえ! しかも警察のじゃねえか! すぐに返せ!」
「えーやだー」
膨れるバカ。
「こんないいグローブを使える機会なんて滅多にないよ。それに僕だって、卑怯な手は使いたくない。ほかにもいっぱいあるから、はーい」
などと二人に何丁か銃を放ると、パトカーの後ろに身を隠して、二人をガンガン銃撃しだした。あわてて向かいの車に隠れ、応戦する警官たち。地下でやかましく銃撃戦が始まり、パサランは床にふせて頭を抱えた。
「おおー、すごいパンチだ!」と撃ちながら、はしゃぐバカ。「あんな遠い車の窓ガラスを割ったよ! 海賊王になった気分だ! いやっほー!」
「黙れ、ド既知街!」と撃つジョン。「あいつもしや、手をここまで伸ばして殴ってるつもりなのか?! 完全にイカれてる!」
だが隣で撃つパンチは、ただ悔しそうに歯噛みするだけだった。
「ちくしょうあの野郎、俺の銃を……!」
二人は、これでも数々の修羅場を乗り越えてきた叩き上げの巡査のはずなのだが、ライトを割られフロントを割られ、肩にかすってあわてて車体の裏に身を隠す醜態となり、ジョンは「おいパンチ!」と隣の相棒に怒鳴るはめに。
「あいつプロだ! やばいぞ、応援を頼もう!」
「応援だぁ?」と完全にキレているパンチが虎のごとく吠えた。「んなもんいるかぁ! 俺のコルトを! マグナムを! ざけやがって! 俺がこの場で殺す!」
そして腕を出して狙い撃ちするので、舌打ちする相棒。
「バカ、落ち着け! 相手は軍人か元スワットかもしれん! 殺されるぞ!」
「上等じゃねえか! やってみろってんだ!」
ガキーン! ガキーン!
凄まじい高音をたてて銃撃が続き、一方その反対側でも、「バカに対して眉をよせて困るマトモ劇場」が展開されていた。
「もういい加減に自首してくれ! たのむ!」
涙目で懇願するパサランを尻目に、楽しくスパーリングを続けていたキラーであったが、ふと銃を見つめた。
「あれ? おかしいな、パンチが出ないぞ?」
「弾切れだよ! もう降参しろ!」
「うーん、まぃったなぁ」
普通に困るバカに、ここぞチャンスとばかりに、まくしたてる相棒。
「そ、そうだ、たかが練習なんだから、しつこくやるこたぁない! ここでいったん小休止しようぜ、な、な?」
「そうはいかないよ、日々の鍛錬こそが大事なんだから」と真剣に言うバカ。「練習をおろそかにしたら、勝利への道が閉ざされる。
でもグローブが使えないのはまずいな……あ、そうだ」
きょろきょろした彼は、あるものを見つけた。
それを見てパサランが、「もう付きあいきれねえ!」と逃げ出すのに、一秒もかからなかった。
銃撃がやんだので、二人の巡査は警戒しながらパトカーから出て、向かいの車に近づいた。パンチもやっと冷静さを取り戻していた。
しかし銃撃戦でほとんど半壊した車には誰もおらず、逃げたかと周りを見たとたん、二人の目はまたも驚がくに、まんまるく見ひらかれた。
二台の赤い乗用車が並んでこっちに突っ込んでくるのだが、そのあいだに人が曲芸のようにぶら下がっており、左右それぞれの窓に腕を突っ込んでハンドルを握り、二台の車を動かしているのだ。おそらく向かって右の車が日本車で右ハンドルだから、こういう芸当ができるのだろう。
この、壁際に並んでいた二台は、不用心なことにどちらもキーを付けっぱなしだったので、キラーは難なく中に入ってエンジンをかけ、アクセルにそのへんにあったレンガを置いて自分のベルトで縛り、二台目はパサランのベルトを無理やり引き抜いて、同じようにアクセルを縛り、踏みっぱなしにして発進したのである。だからズボンはずり落ち、今二台の車のあいだで両足をひろげてぶら下がる股間は白ブリーフ一丁、というとてつもなく恥ずかしい姿になっていた。
それが凄まじく嬉しそうにニコニコしながら、二人の警官に突っ込んでくるのである。驚かないほうがおかしい。
「見て、見てええー!」
太陽のような満面の笑みで叫ぶキラー。
「ほら、こんなにでっかくて、ゴッついグローブ見つけちゃったー!」
すぐに意味がわかり、ジョンは目を丸くして怒鳴った。
「バカ、そりゃグローブじゃねえ! やめろ! こっちくんなあああ――!!」
銃を撃つ間もなく二人が隠れた廃車へ、思いっきり突入するバカ。
「いくぞ、殺人パーンチ!!」と、両腕の先で操る車体を、前後に何度も振っては、「手首に力を入れ、交互にパンチを繰り出して、打つべし! 打つべし!」と大昔のボクサー漫画のように叫びながら、目先の車体にガッツンガッツン叩きつけまくる。つぶれる前面、衝撃で壁まで押されていく廃車の裏で、ビビりまくる二人。
「ぎゃあああ――!」
「たすけて――!」
だがそのときだった。結局見捨てて逃げられず、戻ってきたパサランの後ろから、とつじょ、それが躍り出た。度重なる恐怖でついに頭がイカれきった、全裸のジャック・カインドハートである。
「いいぞおお、素晴らしいパンチだああー!」
イッちゃった目で両腕を高らかにあげて手をたたき、叫ぶ。
「お前こそチャンピオンだああ! 史上最強のボクサーだああ!」
キラーの「両手につけている」車が、どっちも赤だったため、一瞬グローブっぽく見えたのが、彼の運のつきだった。見たとたん、その脳神経はプツンと切れ、相手が目の前で本当に巨大なグローブをつけてパンチを繰り出していると思い込んでしまったのである。
完全にパッパラパーになり、嬉しそうに裸踊りするかわいそうな料理長。その後ろでパサランは、やっぱり逃げりゃよかった、と後悔するのだった。
ジョンとパンチは、あわや壁に激突というすんでのところでそれぞれが左右に飛び出して脱出、命だけは救われた。
こんなキチに付き合ってられるか! と這う這うのていで逃げ、あとに残ったのは今回の惨事の元凶ふたりと、タコ踊りする料理長だった。
だが彼はふと、「おおそうだ、この吉報をみんなに知らせなくては!」と、全裸のまま店に戻った。すでにひらいていた店内で客の悲鳴があがり、駆けつけた警官に捕まったのは言うまでもない。
カンカンカーン。
この勝負、毎回勝つのが誰か分かってきたんで、結果はもう書かない。
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「いやぁ、いい練習になったなぁ」
顔を健康的にテカテカさせて上機嫌に笑うバカと、どっと疲れきった石膏のような蒼白い顔で、うんざりと彼を見つめる相方だけが、あとに残った。
彼は黙って背を向け、立ち去ろうとした。けげんになって「どうしたの」と声をかけても無反応に行こうとするので、追いかけて肩に手をかけると、パサランは強引に振り払い、きっとにらみ返し、恨みがましく言った。
「『どうしたの』だぁ? へえ、いいご身分だな! ここまでやっといて、まだそんなことを抜かすとは! こんなひっでえ完全なパッパルーとは、もうやっていけん! お別れだ!」
「うーん、たしかに人のグローブを勝手に使ったのは悪かったよ。でも、これは――」
「ま、まだグローブとか言ってやがんのか……!」
怒りでわなわなと震えるパサラン。
正義の念が、とつじょわいた。
(ここまで迷惑な奴がいていいのか)(そうだ、こいつは悪だ)(このような無邪気で危険きわまる悪の存在を、この世の中に許してはならない……!)
彼は呼吸を整えると、ことのほか落ち着いた口調で、さとすように言った。
「キラー・スマイル。お前は、ただいるだけで犯罪だ。存在自体が反社会といっていい」
すると相手は彼の下半身を指した。パサランもベルトがないのでズボンがずり落ちて、やっぱり下は白ブリーフ一丁。変質者である。
これには頭くる相方。
「お前のせいだろうが! ったく、なんで俺と出会う前に、なんかやらかして豚箱に入らなかったんだ……」
うんざりするパサランに、キラーはすまなそうな顔になった。
「ごめん、早くチャンプになろうとあせりすぎた僕が悪かったんだ。
でも、わかってほしい」
急に真剣に言うので、思わず聞き入るパサラン。
「僕は素直すぎるから、見たもので何かを連想したら、もう、まるっきりそうとしか思えなくなる異常体質なんだ。はた迷惑なのは重々承知さ。こんな自分が楽しくて大好きだけど、そのせいで君が困るのは、すごく悲しい」
「……」
「ケ――いやパサラン、君に迷惑かけようなんて全然思わなかった。むしろ喜んでほしかった。はやく強くなって、チャンピオンベルトをもらいたかった。最強トレーラ……いやトレーナーのパサランと、最強ボクサーの僕、キラー・スマイルが、一緒に栄光への道を駆け上がる。それが僕の夢なんだ」
「キラー……」
とてもいい場面のようだが、双方、下は白パンツ一丁である。
だがパサランは、相手に完全に悪気がなく、自分のために頑張ろうとしていたと知り、怒りが急速に冷めた。いや悪気がないからもっと悪いのだが、それでも彼はこの「素敵笑顔パー」のことを、完全に嫌いにはなれなかった。
はあ、と溜め息をつき、苦笑いする。
「わかったよ、でもこういうのは、もうなしにしてくれ」
「本当? ありがとう!」
大喜びでハグすると、パサランは「こらっ、俺たちパンツじゃねえか!」と照れた。たしかにパンツ同士では、なんかセンシティブなことをしているように見える。
離れると、キラーは壁に突っ込んで大破している車を見て、しみじみと言った。
「今だって、これが巨大な赤いグローブに見えてるんだけど、どこかで実は車だとわかっているかもしれない。でなきゃエンジンをかけたり、ハンドルを握ったりは、できなかったと思うんだ」
とたんに驚くパサラン。
「おい待て、エンジンとかハンドルとか、ちゃんと車だと分かってるじゃねえか!」
「うん、でも僕、ぼさーっとしてるからぁ」
照れくさそうに笑って頭をかく。
「たぶん車だと思い出す前に、うっかりグローブとして手にはめて殴っちゃったと思うんだよね。困ったもんだ」
「困るのはこっちだわあああ――!」
キレて追い回すパサラン。満面の笑みを浮かべて逃げ回るキラー。街道をどこまでも走る二人を、黄色い月がいつまでも優しく照らすのであった。って文学か。(終)




