ぎっくり腰になっていたら目の前で婚約破棄が始まってしまった。
「ベルマ、君に婚約破棄を言いにきた」
この国の第一王子が婚約者に対してそう言った。
その場にいるのは。
第一王子、婚約者の公爵令嬢。
王子の新しい婚約者と思われる男爵令嬢。
……そして、モブこと俺だ。
厄介な事に関わってしまった。
その時の俺はこう思ったんだ。
この腰の痛みさえなければ、とね。
◇ ◇ ◇
「このパン柔らかいな」
思わず独り言を呟いた。さすが宮廷の料理というべきだな。並べてある料理に舌鼓を打った。
「こんな美味しい料理を食べられるなら、舞踏会もいいもんだな」
王国主催の舞踏会だけど、俺はダンスより飯の方に視線が向いた。
ダンスには全く興味が湧かなかった。それよりここでしか食べられない物を食べたい。それに伯爵領は僻地にあるから、どうせ学園を卒業したら中央とは関わらない。伯爵の嫡男としての顔繋ぎも必要が無い。
そんなことよりもあのテーブルにも美味しそうなものが載ってるな、よし、食べてこよう。
その時はそう思っていた。
だが、その考え方にバチが当たったのか。
「痛たたっ……腰がっ」
腰の方に違和感が生じると、もの凄い痛みに変わって、その場から動けなくなった。
動かすとハンマーで叩かれた痛みが生じる。
駄目だ、自分じゃどうする事も出来ない。誰かに助けを求めよう。
周りに視線を動かしても近くにいるのは悪評ばかりの公爵家の一人娘の公爵令嬢しかいなかった。
────氷の残虐姫ベルマ・アントワネット。
最も関わり合いになってはいけない相手だ。
俺は、昔から相手の目をじっくり見れば感情が流れ込んできた。その能力で上の貴族に目をつけられないように立ち振る舞い、平和に学園生活を送っていた。
ベルマ嬢は黒い噂が絶えない。男爵令嬢のシルフ・レーベル嬢を目の敵にして、毒を持ったとか。
治癒魔法が使えることでも有名だが、それよりもどんな残酷な事をしても一切表情すら変えない悪魔のようだと言われている令嬢だ。
氷細工のような美貌に切れ目の目が人を寄せ付けない雰囲気を醸し出していた。
こんな女の瞳を見たらどれだけ冷酷な感情が流れ込んでくるか分からない。視線を向けないように顔を背けた。
痛みが引くまで少しこの体勢でいよう。とりあえず視線だけは合わせるな。
その状態を続けていたら、ベルマ嬢の方向から男の声が聞こえる。
「ベルマ、君に婚約破棄を言いに来た」
どこかで聞き覚えがある声だ。
思い出せない、一度だけ顔を覗いてみよう。
顔を向けると、第一王子のクリス・ルードリッヒ殿下がいた。側にはシルフ・レーベル嬢がいて、殿下がシルフ嬢の肩を抱いている。
状況はよく分からない。
だがここにいたら彼らの言い争いに巻き込まれる可能性がある。
腰の痛みが引いたらすぐに離れよう。
「何故ですか、殿下。私と婚約破棄だなんて」
「心当たりは無いか?お前がシルにやった事、忘れたとは言わさんぞ。なあ、シル?」
「あの…殿下、私は大丈夫ですから…」
「シル、隠さなくても良い、分かっているから」
目の前で国の一大事になりそうな話が始まった。
これってこんな場所で始めていいのかよ。
その空間だけ避けるように他の人たちは周りを囲うように見物をしに来た。
その輪に入りたいと思っても動くことが出来ない。
傍観者とはいえない立ち位置で話は始まってしまった。
「殿下の勘違いでは?私は心当たりは無いのですが」
ベルマ嬢はそう発言した。目をじっくり覗き込んだら相手の感情が分かる。
だが、俺は関わりたくないんだ。彼女を見ないように視線を下げた。
「嘘をつくな。私のシルに酷い言葉を投げつけたと聞くが?」
クリス殿下ってベルマ嬢と婚約していたはずじゃなかったか?
私のシルとか親しげに呼んでるけど、三角関係なのだろうか。
ここからどうなるんだろう。
よし、気になるから聞き耳を立てよう。
他人の噂話は気になるよね?
「貴族のしきたりを知らないから教えて差し上げたのです。ねえ、そこの人、貴方もそう思うでしょう?」
あれ?何故かベルマ嬢の視線が俺の方に向いてる気がする。
不思議に思って振り返ったが、近くには誰もいない。
遠巻きに見ている観衆は関わりたく無いのか誰一人として目を合わそうともしない。
もしかしてベルマ嬢が声かけた相手は俺なのか?
この場合ってどうするべきなんだ?
突然のことで思考が定まらない。
「ねえ?貴方は私に同意するでしょ?」
ベルマ嬢は念押しで聞いてきた、ここで初めて目を覗き込んだ。
その瞳には動揺と悲しみ。それと救いを求める感情。それらが入り混じっていた。
「は、はい、そう思います」
その感情を知って思わず口にしてしまった。そしたら王子が睨みつけながら口を開いた。
「そこの奴、ベルマの味方をするのか?」
「いえ、すみません。そんなつもりじゃ」
その瞳をじっくり見ると強烈な怒りが映っていた。
王子には俺を断罪することの出来るほどの権力がある。
少しはベルマ嬢に同情する気持ちもあるが、それ以上に俺の身のほうが大事だ。
「ほら、第三者がそう言っているのよ?殿下、勘違いと分かったでしょ?」
ベルマ嬢、溺れて藁をも掴みたい君の気持ちは分からなくも無いが俺を巻き込むと一緒に沈むだけだ。
心音が大きくなる。俺が王家に目をつけられたら取り潰しもありうるんだ。
伯爵家のことを思うと脚が無意識に震え出し、汗が顎から滴り落ちる。
殿下は怒りを押し殺した表情で視線をこちらに向けた。
「お前は伯爵家だったな。顔は覚えたぞ。まあいい、それだけじゃ無い。聞いたぞ、シルを階段から突き落としたらしいな。目撃者が居たらしいぞ」
どうしたらいいのか。心の中で自問自答が続く。
殿下は話を続けているが耳には入らない。
それどころじゃ無いからだ。
何がなんでもこの場を離れよう。
背を向けて逃げようとした。
だが。
『グキッ』
腰から音がした。続いてハンマーで滅多撃ちにされたような痛みが走ってきた。
すぐに口を閉じたがそれだけでは我慢が出来なかった。
「あぁ!!」
情けない声が漏れてしまった。
すると殿下は怒りを隠しきれない様子で俺に詰め寄ってきた。
「お前はなんだ?私に意見があるのか?」
「いえ、なにも」
「今、声を上げたよな?意見があるなら言え。この女を擁護する気があるのならな」
ここで対応を間違えたら伯爵家が取り潰し処分になるかも知れない。
顔が引きつり、口の中がからからに渇く。
「ねえ、これ以上はいいわ。貴方にも立場はあるでしょう?」
庇ってくれてるのは嬉しい。でも君のせいで俺はこんなに追い込まれているのだけど?
だが、その言葉は強がりだった。ベルマ嬢は無表情に見えたが、それは表面だけだ。
彼女の瞳を覗きこむと悪意はない。それどころか申し訳なさとこちらを心配するような気持ちを感じる。
耳に入っていた悪女のイメージとは違う印象だ。
人って噂だけじゃ信じてはいけないんだな。
どうにかしたい気持ちもある。しかしながら、俺は伯爵家の者だ、公爵家や王家には軽々しく意見など出来ない立場でしか無い。ちくしょう、だから関わりたくなかったんだ。
頭を使え、どうしたらいいか考えろ。
俺は活路を見出そうと周りを見回した。そしたらシルフ嬢と視線があった。
その感情は悲しみと諦め、それと罪悪感か。これは何かに使えるかも知れない。
「殿下、私に発言をお許しくださるのですか?」
「ああ、何かあるなら聞こう。だが、どうなるかは覚悟しろよ」
このままでは俺に対する殿下の印象は最悪だ。ことが終わっても無事に済まないだろう。
だが、今までの情報でなんとなく話は分かった。話さえ聞いてくれれば説得は可能かも知れない。
説得を試みてみよう。どっちみちここまで第一王子に睨まれたら父は廃嫡を免れないと判断するだろうな。
そう思うと心の中は落ち着いてきた。
俺の感情が見える目は武器だ。
それを上手く使えば、許してもらえるかも知れない。
ここからが勝負だ。
「階段から落ちたと聞きましたが、シルフ嬢もそう仰ったのですか?」
「いや、シルは優しくてな、ベルマを庇っているのだ」
なるほど、目撃者が嘘をついている可能性があるな。
「被害者が庇っているという根拠は何処にあるんですか?それに、人目のつくところで婚約破棄とは何事なんでしょうね?」
「貴様、伯爵の跡取りであろう?口答えをしてただで済むと思うのか?」
「済むと思ってませんよ。だから、命を賭して殿下をお諌め致しているのです」
口だけなら言うだけタダだしな。
俺は今までこのハッタリを使ってこの手で父を丸め込んできたんだ。
「な、何を」
その瞳に動揺が生まれた。
手応えありだ。これならいけるぞ。
「シルフ・レーベル嬢!貴方はそれでいいのですか?」
ここは大声で場の空気を持っていく方が良い。
シルフ嬢の持っている罪悪感を利用してこちら側につけなければ。
「おい、お前」
「殿下、話を聞くと約束したではないでしょうか?」
「……分かった、続けろ」
有無を言わさない。ここで引いたら負けだ。
「あの…」
「シルフ嬢、貴方はベルマ嬢のことをどう思っていらっしゃるのですか?」
揺さぶりをかけたら、瞳の中の罪悪感が大きくなった。
思ったとおりだ、罪悪感はベルマ嬢に感じているんだな。
「あの…その…」
「落ち着いてください、ゆっくりで良いですから話してくれませんか?」
「はい、あの日、たしかにベルマ嬢と階段ですれ違ったんです。だけど、自分で足を踏み外して落ちてしまって…とんだ迷惑をお掛けしました」
「だから言ってるのだ。シルはベルマを庇っていると。ベルマが突き落としたと言っている目撃者がおるのだ」
殿下は怒りながらも動揺の心もある。ならその動揺を大きくしてやる。
「殿下、その目撃者は本当に目撃をしたのですか?」
「どういうことだ?」
「その証言の信憑性ですよ。申し訳ない、ベルマ嬢。貴方のことを悪く言うつもりはないが、悪評は聞き及んでいる。貴方を嵌めようとする人が居てもおかしくない」
「………」
「殿下、もう一度聞きます。その証言は正しいと思いですか?私が望むのは再調査です。本当に真実なのか検証するべきと申し上げているのです」
「それは……」
よし、かなり動揺している。あと一押しだ。ここで俺が命懸けに見えれば、この場はひっくり返る。
ここで俺が謝罪する形を取ったら殿下も引き下がりやすいだろうな。腰の痛みがあるのにやるのは覚悟のいる行為だが、勝負に出よう。
動かすと、腰に電撃が走る、痛い。我慢が出来ない、涙が出てきた。だが、ここで辞めるわけにもいかない。声を押し殺しながら頭を下げ始める。
「痛っ……無理……我慢だ」
「お前は一体何を……何故泣いておるのだ」
痛いからに決まっているだろう?
よし、殿下の動揺が大きくなって怒りが引っ込んできたぞ。
貴族が大勢の前で頭を下げる行為はそうそう出来るもんじゃない。俺はプライドが無いからやるけど。
「命が惜しい訳ではありません、無実の罪かも知れない令嬢を見捨てることは私の矜持として許せる事ではなかったのです」
「お前は、どうしてそこまでベルマのことを……」
成り行きにきまっているだろう?同情心もあるけどね。
周囲の人々と目が合うたびに良心の呵責や憐れみといった感情が流れ込んでくる。
俺はさらに身体を倒した。もうちょっとなんだ。頭が下がり切るまで、涙が痛くて止まらない。
……ようやく俺は殿下の前に頭を下げた。そしてこう発言した。
「殿下、失礼を詫びてこの首を捧げます。悔いはありません」
どうせこのままなら碌な人生を送れない。
なら揺さぶりは大袈裟な方がいい。
これは効くだろう?
ここまでやったら経験上、許してくれる確率は高い。
心の動きが丸見えだからな。
ここでやれる事はやった、後は殿下の判断だけだ。
「お前の覚悟は分かった。この件に関してお前は不問とする。だが……」
これでも駄目なのか?
その時、シルフ嬢が大声を上げた。
「殿下、私の言うことが何故信じられないのですか?本当に誰も悪くないと言うのに、ベルマ嬢が不憫で仕方ありません!!」
シルフ嬢の目からは涙が溢れる。
その言葉で殿下は苦悶の表情を浮かべた。
……。
しばらく誰も言葉を発しなかった。
その時間が流れた後。
……殿下は苦悩の末にため息をついた。
「目撃者を信じすぎた…か。ここでこの諌めを無視すれば私は暴君になるかもしれんな」
続けて、こう言った。
「よい、この件は白紙とする。ベルマ、すまなかった。そして、証言についてベルマを不当に貶めたのかの再調査もしよう。お前の流した涙は無駄ではない。命を賭けた諌め大義であったぞ。皆、この場での一切の発言に緘口令を出す」
俺は賭けに勝った。
クリス殿下はシルフ嬢を連れてこの場を去っていった。
なんだかんだで次期国王として自分の過ちを認めることも出来たのか。なんとかなって良かった。
……だが、そんなことより今はこの腰の痛みだ、この体勢から起き上がれない。どうしよう。
「すみません、私のせいで……」
ベルマ嬢が俺のそばに来ていた。だが、腰の痛みでそれどころじゃない。
「そのことは良いんだけど……腰が痛くて……」
「えっ?大丈夫なんですか?取り敢えず治癒魔法をかけますね」
“精霊よこの者を癒やせ”
ベルマ嬢が魔法を唱えると腰の痛みが消えた。
立ち上がってみても痛みがない。助かった。
だが、痛みが消えると、綱渡りをした実感が湧いてきた。
もう二度とやらないぞ……。
「見苦しい姿をお見せしてすみません、ベルマ嬢。治癒魔法をありがとうございます」
「いえ、返しきれない恩があるので」
ベルマ嬢と視線が合った。
その瞳には疑問と感謝の感情がある。
あれだけの悪評がある人には見えないな。
良かった、なんとかなって。この人の感情からは人を攻撃するような感情は流れてこない。おそらく無実なんだろう。誤解のまま終わっていたらこの人も危なかったよな。
俺に声を掛けたのも必死に助けを求めていたんだろう。表情がここまで変わらないのはすごいけどな。
「気にしないでください。貴方の疑いが晴れてよかった」
「どうして、あなたはそこまで……」
すまない。
傍観者に徹する気だったぞ。
「貴方が助けて欲しいと願う瞳を見たからかな」
ここは良い事言っておこう。
まあ、それも嘘じゃ無いからね。
「えっそんな…」
言い淀んでしまった。少し気障すぎたかも。
それからベルマ嬢は俺に尋ねた。
「あの、申し訳ないですが、貴方のお名前は?」
えっ?今更なのか?
……ああ。
そういや、名乗ってなかったな。
「伯爵家の長男のロック・アーレンと申します。よろしくお願いします、ベルマ嬢」
これが、俺とベルマ嬢の最初の関わりだった。




