8 流石私の弟ね
爽やかな土曜日の昼下がり、俺は家でのんびりしていた。
朝好きな時間に起きて、日がな好きなことに没頭できることは素晴らしいことだ。この時間がいつまでも続いて欲しいと願わずにはいられない。
ピンポーン。俺の願いは玄関のチャイムによって虚しく破られてた。作業していた手を止め、手早く片付けを済ませると、玄関へと向かった。
玄関のドアを開けると、予想通りの人物が立っていた。
「こんにちは、和哉君」
野上は俺に向けて笑顔を浮かべていた。彼女は全身で楽しみだと表現していた。
「本当に来たのか」
「ええ、昨日の夜に連絡したじゃない。お邪魔します」
野上は俺の家のドアをくぐった。土曜日の今日、野上は我が家に来ていた。それもある目的のためである。
「じゃあ、早速だけど昼ごはんを作りましょうか」
***
初めて野上と一緒に下校した時、彼女から料理を教わるという約束を交わせられ、いや、交わした。
その約束を果たすべく、野上は俺の家に訪れたというわけだ。
「綺麗に片付いているわね」
野上は我が家のリビングに足を踏み入れると、辺りをキョロキョロ見回した。
「まあ、掃除したからな」
昨日の夜に野上から連絡があったため、今日の午前中、家を掃除していた。念の為俺の部屋も掃除をし、大事なものはクローゼットにしまい込んだ。
「和哉君のご両親に挨拶をしたかったのだけれど、残念ね」
野上が言ったように、母さんと父さんは仕事で出掛けている。そのことは昨日の夜の時点で彼女に伝えてある。
俺としては野上が母さんたちに何を言うのか考えただけでもハラハラする。だから、今日、両親が家にいないと知った時はホッとした。
「台所はどこなの?」
「こっちだ」
俺は野上を連れて、我が家の台所へと向かった。
「準備はできたかしら?」
野上は長い髪を後ろに一纏めにした。家から持ってきたというエプロンを身につける。やる気満々で何よりだ。
「ああ、いいぞ。それで何を作るんだ?」
同じくエプロンを着せられた俺が問いかける。俺が着ているのも野上が持ってきたものだ。何故彼女の家でそんなにエプロンがあるのか知らない。
「そうね、冷蔵庫を見てもいい?」
「いいぞ」
俺の了承を取ると、野上は冷蔵庫を開けた。彼女は無言でじっと冷蔵庫の中を見つめている。
ちなみに、今朝母さんには家で料理をすると伝えており、冷蔵庫の中は好きに使っていいと聞いている。
「あら?」
「どうした?」
野上の隣から俺も冷蔵庫の中を覗き込む。すると彼女は手を伸ばし、何かを取り出した。それは丸く白い薄いものが何枚も入った袋だ。
「餃子の皮だ。前に母さんが買ったみたいだな」
袋は未開封だ。恐らく買ったはいいが、そのまま使うのを忘れて放置していたのだろう。
「これを使いましょう」
野上は袋を手にしたままそう宣言した。
「餃子か。俺は作ったことがないぞ」
「それほど難しくはないから大丈夫よ。お姉ちゃんが教えるわ」
野上は自信たっぷりにそう答えた。俺は教えられる身なので、特に反対意見はない。こうして、料理のメニューが決まった。
野上の指示で冷蔵庫から他の食材も取り出す。豚のひき肉やキャベツ、ニラを取り出す。
「まずはキャベツとニラをみじん切りにします」
野上は料理番組の先生になったような喋り方をしていた。案外形から入るタイプのようだ。
「和哉君、包丁の持ち方は分かる?」
「それぐらい知っているよ」
俺は包丁やまな板を用意した。キャベツをまな板の上にのせる。
「最初は私がやるわね。包丁はこうやって持つの」
俺の目の前で野上は包丁を手に持った。
「みじん切りはこうやって」
トントンと小気味いいリズムに乗せられてキャベツはどんどん細かくなっていく。とても慣れている手つきだ。
「はい、次は貴方がやってみて」
野上は包丁を一旦置いた。今度は俺が手に持つ。
「この持ち方でいいか?」
「ええ、問題ないわ。それじゃあ、キャベツを切ってみて」
俺は先程の野上の見様見真似でキャベツに包丁を入れた。隣にいる自称姉に見られながら切っていく。
「ふむ。持ち方は問題ないけど、姿勢がよくないわ。もう少しこう背筋を伸ばして」
野上がそう言うと、俺の背中に柔らかい感触があった。どうやら野上が俺の背中に手を当てているようだ。女子に触れられて、思わず心臓がドキッとする。
「わ、分かった。この姿勢か」
「ええ、そうよ。肩も上がりすぎよ。少し力を抜いた方がいいわね」
野上は俺の両肩をトントンと叩いた。背中よりもよりダイレクトに女子の手が感じられる。心臓の鼓動が早くなった気がする。
「分かったって。今から切るから、離れてくれないか」
「分かったわ」
野上は俺から距離を取った。あれ以上俺の体に触れ続けていたら、心臓がどうにかなってしまう。
その後、野上に教えられながら、俺はキャベツとニラを切り終えた。
「次はどうするんだ?」
「餃子の皮を包む中身、つまり餡を作るわ」
野上は透明なボウルを用意した。ボウルの中に先程切った野菜とひき肉、調味料を入れた。
「よく混ぜ合わせるようにかき混ぜてね」
「分かった」
俺は気合いを入れて、ボウルの中に手を突っ込んだ。冷たく柔らかい感触が手のひら全体に伝わる。
野上がいいと言うまで、ボウルの中身をかき混ぜる。ひき肉の温度に当てられたのか、徐々に手が冷たくなっていく。
「もう大丈夫よ。お疲れ様」
「や、やっとか」
野上の言葉に俺はボウルから手を離した。冷たすぎたのか手の感覚はほとんど感じられない。
「次がいよいよ料理のメインよ」
「この餡を餃子の皮に包むんだな」
「そう。その通りよ」
野上はよくできましたというような顔をしていた。何だか小学校の先生に褒められた気分だ。
「ここからはリビングのテーブルでやりましょう」
俺と野上は材料を一通り持って、キッチンからリビングへと移動した。
テーブルの上に必要なものを置き、俺たちは席に着いた。
「まずは皮の上に餡を載せます」
野上は餃子の皮を一枚取り出して、広げると、その上に先程作った餡を載せた。
「で、こうやってヒダを作りながら包むの」
野上は丁寧な手つきで餡を餃子の皮で包み込んだ。そうすると、お馴染みの餃子の形になった。
「分かったかしら? 分からなかったら、お姉ちゃんがもう一度やって見せてあげるわ」
「多分大丈夫だ」
「え?」
俺は餃子の皮を手に取ると、先程野上と同じ動きをした。出来上がった餃子と彼女が作ったものを用意してあったトレイに並べた。
「どうだ? 野上が作ったのとあまり変わらないと思うけど」
俺のパッと見の印象を語ると、野上は料理番組の審査員のような目つきで2つの餃子を見比べていた。
「確かに私のとほとんど同じね」
「そうか。うまくいってよかった」
俺がホッとしていると、目の前にいる彼女は探るように俺を見つめていた。
「貴方は前にも餃子を作った事があるのかしら?」
「ないと思うぞ」
記憶を探ってみたけれど、餃子を包んだ覚えはない。今日が正真正銘初めてだ。
「初めてにしては中々上手ね。和哉君は手先が器用のようね」
「ま、まあ、たまたまだろ」
「いえ、私の想像以上よ。流石私の弟ね」
「……褒めてくれるなら、もう少し嬉しそうな顔をしてくれよ」
口では俺の出来栄えを喜んでいるようだが、実際の彼女は不満そうに口先を尖らせていた。何故そんな反応をしているのか分からない。
「だって、餃子が上手く包めない和哉君に手取り足取り教えてたかったのよ。弟から『お姉ちゃん、すごい!』と言われたかった」
「お前の頭の中の俺は何歳なんだ?」
期待外れの顔をしている野上に対して俺はただ困惑するしかなかった。
「こうなったらどっちが餃子を多く作れるか勝負よ」
「どうしてそうなったんだ?」
「このままじゃ終われないもの。弟から尊敬される姉になりたいわ」
野上のやる気は満ち満ちていた。どうやら彼女の中で姉とは弟から尊敬される存在らしい。
「こんな勝負しなくても野上は十分すごいと思うぞ」
その大人びて整った容姿はもちろんだが、クラスメイトから慕われていることなど野上の良いところは色々ある。だから、別に気にしなくてもいいぞと伝えたかったのだが、俺の判断は間違えてしまったらしい。
「あら、私のどういうところがすごいのかしら? お姉ちゃんに教えてくれない?」
野上は顔を輝かせて、俺のことをじっと見つめる。
「ほら、色々なところだ」
「もっと具体的に教えて欲しいわね。和哉君が考えるお姉ちゃんの良いところを。できればエピソードも添えてくれると助かるわ」
「いや、要求しすぎだろ!?」
流石に面と向かってクラスメイト(自称姉)を褒めるのは俺の心臓がもたない。
「ならば、こうしましょう。どちらがより多く餃子を作れるか勝負よ」
「おい、ちょっと待て」
「私が勝ったら和哉君は私の良いところを挙げる。和哉君が勝ったら私が貴方の良いところを挙げるわ」
「俺は勝っても負けても何の得にもならないんだが!?」
勝負をやめさせるために説得するつもりが、結局勝負することになってしまった。
「さて、始めるわよ。よーい、スタート!」
「だから、待ってくれ! まだ俺は勝負を受けるなんて言ってないぞ!」
俺の言葉を聞かず、野上は物凄いスピードで餃子を作り続けていた。俺は反論するのを諦めて、餃子に向き合った。
***
勝負の結果はというと、もちろん野上の圧勝に終わった。元々料理上手でやる気満々の彼女に対して料理初心者でさらにモチベーションが低い俺とは勝負になるわけがなかった。
「さて、聞かせてちょうだい」
野上はワクワクした気持ちが隠しきれていない様子だ。大好物を前にした子供の如くである。
「それよりも先に餃子を焼かないか?」
俺と野上によって作られた餃子はトレイに並べてられていた。野上の頑張りによって多くの餃子が作られた。
「それもそうね。まずは料理を完成させないとね。そして、食べ終わったら、ゆっくり聞きましょうか」
野上は面白がるような笑みを浮かべた。どうやら俺は逃れられない定めらしい。
俺と野上はキッチンへと戻った。いよいよ最後の仕上げである餃子を焼いていく。
「ここまでくれば難しいことはないわ。まずはフライパンに油を引いて、餃子を並べてちょうだい」
野上の指示通り、俺はフライパンに油を垂らし、その上に餃子を置いていく。流石に全部いっぺんに焼けないため、数回に分けて焼く感じだ。
「並べたら火をつけて、蓋をするの」
「蓋だな。分かった。次はどうするんだ?」
「このまま焼き色がつくまで待つわ」
「そうなのか」
俺は拍子抜けした。ただ待っていればいいだけとは思わなかった。
「焼き色がついたらどうするんだ?」
「蓋を開けてフライパンに水を入れるの。それでまた蓋をして水分が無くなったら完成よ」
「本当に焼くだけなんだな」
「ええ、簡単でしょ」
野上は嬉しそうに笑った。料理初心者の俺がこれほどあっさり餃子を作れたのはひとえに彼女のお陰に違いない。
「野上、ありがとうな。本当に助かった」
だから、俺は素直に感謝を伝えた。そもそも野上は貴重な休日を割いてまで俺に料理を教えにきたのだ。姉ということは置いといてもお礼を言いたかった。
「別に気にしなくてもいいわ。姉として弟を手助けするのは当然よ。それに」
「それに?」
俺が先を促すと、野上は目を輝かせた。
「ご飯の後は和哉君が私を褒めてくれるからね」
そう言って、彼女は期待の籠った顔で俺を見ていた。どうやら俺がこの自称姉から逃れる術はないようだ。




