3 デートじゃないわ。弟との買い物よ
よく晴れた土曜日の昼下がり、俺はショッピングモールに来ていた。もちろん目的もなく、ブラブラしているわけではない。俺には待ち人がいた。
「待ったかしら?」
スマホから顔を上げると、私服姿の野上がいた。制服以外の野上と会うのは初めてで、新鮮な気分だ。
「いや、今来たところだ」
「そう。じゃあ、行きましょう」
まるで恋人みたいなやり取りを交わした後、俺と野上は並んで歩き出した。
「静香姉さんたちの新築祝いを買いましょうか」
今日は英作さんと静香さんの2人に贈るプレゼントを買いに来たのだった。
***
野上と連絡先を交換した次の日から、俺の予想通り、何も起こらなかった。相変わらず学校で彼女と話すことも無かったし、野上から何も連絡は来なかった。俺からも連絡を取ることはない。
これからもきっとこのままに違いない。その考えが覆ったのは金曜日の夜だった。
風呂から出て、自分の部屋で雑誌を読んでいたところ、突如スマホからの通知音が鳴った。スマホの画面にはSNSアプリの通知が表示されており、それは野上からだった。
『明日は空いているかしら?』
そのメッセージを見た瞬間、俺の中で嫌な予感が顔を出した。現実逃避に雑誌へと目線を戻したが、意識はスマホに集中してしまっている。
俺はスマホを手に取り、SNSアプリを立ち上げる。野上に『忙しいから空いていない』と送ろうとした。
その時新たに野上からメッセージが届いた。
『とても大切な話なのだけれど』
散々迷った挙句、『空いているぞ』と返信した。
***
そして、土曜日の今日、俺と野上はショッピングモールに来ていた。返信を受け取った野上は俺を買い物に誘ったのだった。
「買うものは決まっているのか?」
「ええ、大体の候補はあるのだけれど、和哉君の意見も聞きたくて」
野上は俺にスマホの画面を見せてきた。画面にはどこかのショッピングサイトをスクショしたものが表示されていた。
「タオルに食器、電気ケトルやコーヒーメーカー、お菓子の詰め合わせ。色々あるな」
「流石に全部を贈るのは金額的に難しいから、1つに絞りたいのだけれど」
野上は俺に視線を送ってきた。俺としては新築祝いなんて何を贈ればいいのかさっぱり分からない。けれど、そんなことを言っては役立たずが過ぎる。せっかく野上が誘ってくれたのだ。せめて何か役に立つことがしたい。
「予算はどれくらいなんだ? 言っておくけど、俺はそんなにお金を持っていないぞ」
出かける前、母さんに英作さんたちへ贈るプレゼントを買いに行くと伝えた。そうしたら、いくらかお小遣いをくれた。
「私もよ。お母さんからお金をもらったけれど、あまり高いものを買うのもどうかと思うの」
どうやら予算的には高すぎないものを1つ買うしかないようだ。その1つをどれにするか決めないといけない。
「とりあえず、野上が選んだものが売っているお店に行こうぜ。実物を見れば良いものか分かるだろうし」
「そうしましょうか」
俺と野上は一旦の目的のお店を決めて、そちらに向かった。
結論から言うと、プレゼントは決まっていない。実物を手に取っても、どれも良いものに見えるし、良くないものにも見える。
モールを歩き回った俺たちは、適当なベンチに座り、休憩することにした。
「プレゼントを決めるのは中々難しいな」
「確かにそうね」
「それに、野上はともかく、俺は英作さんのことをよく知らないからな」
プレゼントの基本は贈る相手が喜びそうなものを選ぶことだ。けれど、英作さんは俺にとってあまり知らない相手だ。だから、何を贈ればいいのか分からない。
どうすればいいのか迷っていると、不意に野上は立ち上がった。
「それじゃあ、プレゼントのことは一旦置いといて、普通に買い物を楽しみましょう」
「それでいいのか?」
「ええ、行き詰まったら、気持ちを切り替えるのも大事よ」
そう言って、野上は俺に手を差し伸べた。
「行きましょう。せっかくの和哉君との買い物だからね」
「まるでデートみたいな言い方だな」
「デート? 何を言っているのかしら?」
野上は俺に向かって笑いかけた。
「デートじゃないわ。弟との買い物よ」
その笑顔は子供のように無邪気なものだった。俺もベンチから立ち上がる。
「お姉ちゃんの手を取ってくれないの?」
「それは勘弁してくれ」
俺と野上は歩き出した。もちろん手は繋いでいない。
***
その後、プレゼントのことは一旦忘れて、俺と野上は自分たちの買い物を楽しんだ。服を見に行ったり、本屋に行ったりした。
買い物している時の野上はとても楽しそうで、目線をキョロキョロさせて、ありとあらゆるもの全てを目にしないと気が済まないようだった。
俺と野上はとある雑貨屋に入った。雑貨屋は生活用品をはじめとした小物類が色々とあった。俺と野上は別れて、それぞれで店内を回った。
「ねえ、和哉君」
「どうした?」
すぐさま俺は見ていた商品から目を離し、後ろを振り返った。振り返った先には野上がいた。
「ちょっとこっちに来てもらえるかしら?」
「分かった」
野上に連れられ、俺は店内を歩いた。着いた先は、風呂場で使う品が置いてある棚だ。その棚の前で、野上は立ち止まる。
「プレゼントはこれなんてどう?」
彼女が指差したのは、手のひらに乗るぐらいの小さな玉だった。色とりどりの玉が箱に収められている。
「何だこれ?」
「バスボムよ。浴槽に入れて使うのよ」
「へえ、そういうのがあるのか」
俺はバスボムとやらを眺めた。見た目は可愛らしいし、実用的なものだ。
「これを入れると香りがするの。静香姉さんはお風呂が好きだからいいと思ったの」
「なるほどな。いいんじゃないか」
金額を見たところ、予算の範囲内だった。プレゼントにぴったりだ。
「これにするわ」
野上はバスボムが10個入った箱へ手を伸ばそうとした。その前に俺がその箱を持った。
「俺が持つよ」
「いいの? 大して重くないけれど」
「プレゼントを選んだのは野上だろ。これぐらいは任せてくれ」
「分かったわ。ありがとう」
俺は野上から箱を受け取った。2人でレジへと向かった。
***
「無事にプレゼントを買えてよかったな」
「ええ、そうね」
雑貨屋を出た俺と野上はモールの中にある喫茶店にいた。俺たちのいるテーブルの下には、荷物置きのカゴがあり、その中には先程購入した雑貨屋の紙袋がある。
「和哉君、今日は買い物に付き合ってくれてありがとうね。貴方のお陰で良いプレゼントを買えたわ」
「それは大袈裟だ。俺は何もしていない」
実際にバスボムを見つけたのは野上だし、決めたのも彼女だ。俺は付き添いをしただけに過ぎない。
「それでも1人だけだったら諦めていたかもしれないわ。だから、ありがとうね」
野上は俺を真っ直ぐに見つめて微笑んだ。陽だまりを思わせるような優しい笑顔だった。俺はその眩しさに視線を逸らした。
「時に和哉君」
不意に野上の固い声が耳に届いた。顔を正面に戻すと、彼女の探るような視線と目が合った。
「貴方はいつもブラックコーヒーを飲んでいるのかしら?」
野上は俺の目の前に置いてあるカップ、正確にはそのカップの中の黒い液体を見つめていた。
「ああ、そうだな。コーヒーを飲む時は大体そうだ」
俺は甘いものがあまり得意ではなく、家で飲む時もブラックが常だ。
「そう。そうなのね……」
野上はそう呟くと、視線を落とした。心なしか元気がなさそうに見える。
「どうした? 何かあったのか?」
俺の言葉に彼女の目は鋭くなった。美人からそんな目で見られて、俺は恐怖的な意味で心臓がドキッとした。
「な、何だよ?」
「悔しいのよ。私と和哉君の差が」
「俺との差?」
俺の問いかけに答える代わりに、野上は目の前にあるものに視線を注いだ。そこにはミックスジュースが入ったグラスが置いてあった。
「弟の貴方がブラックコーヒーを飲んでいる一方で、姉の私が飲んでいるのはジュースなのよ。これだと私が子供みたいじゃない」
「俺にそんなことを言われても」
どうやら野上は俺がブラックコーヒーを飲んでいることを気にしているらしい。それが彼女の変なスイッチを押してしまったようだ。
「そんなの気にしなくても、好きなものを飲めばいいんじゃないか」
「いえ、これは姉の沽券に関わることよ」
確かに俺の友達でもブラックコーヒーが飲める=大人だというやつもいる。そんな考えをクラスの中で大人びている野上も持っているとは思わなかった。
「私、決めたわ」
そう言って、野上は顔を上げた。彼女はかつてないほど真剣な顔つきをしていた。
「和哉君に負けないよう今日からコーヒーに挑戦するわ」
「お、おう。頑張れ」
野上の突然の宣言に俺はただ戸惑うことしかできなかった。
***
まさか野上にあんな一面があるなんて。俺はトイレから喫茶店に戻る道すがらそんなことを考えていた。
クラスの中ではいつも冷静で余裕がありそうに見える彼女から考えられない姿だった。野上の新しい一面を発見した気分だ。
俺は再び店内へと入った。トイレは店の外にあったため、一度喫茶店を出ていたのだった。
「ん?」
席に戻ろうとした俺は違和感を覚えた。野上がいるテーブルに3人の人間が座っていたからだ。
俺と野上は2人で喫茶店に入ったはずだから、今テーブルにいるのは彼女1人のはずだ。3人もいるのはおかしい。
「ですから、私は1人じゃないので」
「え〜、本当? でも、暇そうだからいいんじゃん」
「そうそう。せっかくだし、俺たちと遊ぼうぜ」
野上とテーブルを挟んで座っていたのは俺よりも年上の男性2人組だった。男性2人は軽薄な笑みを彼女に向けていた。
どうやら俺が席を離れているうちに、野上がナンパされてしまったようだ。




