13 いつも和哉君がお世話になってます
恐れていた事態がついに訪れてしまった。俺はかつてないほどの焦りを感じていた。
「はい、お茶をどうぞ」
野上はテーブルの上にお茶が入った湯呑みを置いた。そして、当然のように俺の隣に腰掛けた。
「あ、ありがとう。野上さん」
学は戸惑いつつも、湯呑みを手に取り、中身を一口飲んだ。彼の隣にいる西村は普段が嘘のように静かだ。
「えっと、和哉」
「どうした?」
「聞きたいことがあるんだけどな」
「和哉君、貴方はまだ寝ていなくて大丈夫なの? お客さんの相手なら私がするけど」
「いや、もう限界だよ!?」
不意に大きな声を上げた西村は椅子から立ち上がった。彼女以外の席についている俺たち全員は一斉に西村へ視線を向けた。
「一体どういうこと? どうして、野上さんが菅田の家にいるの? どうして、『和哉君』なんて下の名前で呼んでいるの? もう訳わかんないよ!」
西村はうがーと叫び声を上げ、席に着いた。友達の家へお見舞いに来たら何故か学校の有名人が出迎えて、その友達とやけに親しげな様子だった。
我ながらとても情報量が多い現象だ。西村の気持ちはとてもよく分かる。
「ありがとう、沙優。俺の気持ちを代弁してくれて」
学は気遣うように西村の肩にそっと手を置いた。彼の表情も相変わらず困惑の色しか見えない。
「2人とも悪かったな。説明するから聞いてくれないか?」
「いえ、私が説明するわ。和哉君は休んでてちょうだい」
野上は俺を庇うように身を乗り出した。困惑する友人達と焦りを抱いている俺に比べて彼女は楽しそうだった。
「弟のお友達とこうして話をするなんて夢みたいだわ」
「え? 弟?」
野上の放った爆弾発言に西村は再び目を見開いた。学も俺と野上を交互に見ていた。
「弟って何? もしかして、菅田のこと?」
「ええ、そうよ」
西村の問いに野上は当たり前のように答えた。その瞬間、西村と学は雷に打たれたような顔を浮かべた。俺は頭を抱えそうになった。というか、抱えた。
「待て、野上。いきなりぶっ飛ばすな。最初から説明してくれ」
「それもそうね。じゃあ、改めてまして」
野上は居住まいを正し、学と西村を真っ直ぐに見つめた。学校で1番の美人から見つめられ、友人達は身構えていた。
「いつも和哉君がお世話になっています。姉の野上結梨です」
そう言って、野上は丁寧に頭を下げた。学と西村は虚空を見つめていた。
「最初からって、そういうことじゃねえよ!」
「あら? 姉として挨拶して欲しかったのだとばかり」
「違うわ! 経緯を話してくれって言っているんだ」
俺の言葉に野上は手を打った。
「分かったわ。あれは私が子供の頃の話なのだけれど」
「ちょっと待て。一体どこから話すつもりだ?」
「私と静香姉さんが出会った時の話よ」
「そこまで遡らなくてもいいわ! 俺との話に限定してくれ」
話が脱線しそうになる野上をフォローしながら、俺は学と西村にこれまでのことを話した。
***
「いやー、まさか菅田がそんなことになっていたなんてねー。驚きだよ」
俺の話を聞いた西村は目を丸くしていた。その彼女に比べて彼氏である学はそこまで驚いた様子を見せない。
「学は知っていたのか?」
「和哉が何か隠しているとは思っていたよ。まさか野上さんと姉弟だったなんて想像できなかったけどね」
学は苦笑しながらそう答えた。外からでは分からないが、彼なりに驚いているようだ。
「俺が何かを隠しているってどうして気付いたんだ?」
「学校にいる時、和哉はチラチラと野上さんを目で追っていたからね。何かあるんだろうなって思っていたよ」
しまったと気付いた時にはもう遅かった。学の言葉に反応したのは当事者である俺ではなく、話を聞いていた2人だった。
「田口君、今の話を詳しく聞かせてもらっていいかしら?」
「へー、菅田が野上さんを見ていたんだ。どうして? どうして?」
野上と西村は目を輝かせながら、俺と学に迫る。恐らくそれぞれ別の好奇心からくるものだろう。
「うるさいな。たまたまだって」
「それにしては1日に何回も見つめていたぞ」
俺が慌てて否定すると、学が追い討ちをかける。女子2人はますます目を輝かせた。
「和哉君ったら、そんなにお姉ちゃんのことが好きなのね」
「菅田も隅におけないじゃん」
「だから、たまたまだって言っているだろ!」
俺は思わず声を張り上げた。そんな俺の様子を見て、野上は微笑ましいそうに、バカっプル達は面白そうにしていた。風邪は治っているはずなのに、俺の体温が上がったような気がする。
「和哉君、顔が赤くなっているわよ。熱でも上がったかしら?」
「誰のせいなんだよ」
この状況に追い込んだ元凶に問いかけられ、俺はそっぽを向いた。するとそっと袖を引かれる。
「なんだよ?」
思わず隣にいる野上の方を向いてしまった。その時、彼女の手が俺の方へと伸びてきた。気付いた時には、野上の手が俺の額に当てていた。柔らかく温かい感触が額から伝わってくる。
「ちょっ!?」
「熱はないみたいね。安心したわ」
優しい笑みを浮かべた野上は俺の額から手を離した。まさか友人達の前でこんなことをされるとは思わなかった。恥ずかしさで顔が熱くなる。
「あら? でも、顔は赤いままね」
「だから、誰のせいだと思っているんだよ……」
俺は目の前に座っている学と西村の反応を窺う。2人がどんな顔で面白がっているだろうと気になったからだ。
「お前ら、どうした?」
けれど、彼らの反応は予想したものと違っていた。学は困ったような笑みを浮かべ、西村は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
「大丈夫か?」
「野上さんってさ」
「いや、何でもないよ」
西村が何か言いかけたのを学が遮った。2人は小声で何か言葉を交わしている。その内容は聞き取れなかった。
「ごめんごめん、何でもないんだよ」
西村は明るく笑ってそう言った。
「まあ、それならいいけど」
正直気になるは気になるが、学はゆっくりと首を横に振っている。彼の反応からするとあまり追及しない方がいいのだろう。
「そういえば、西村さん」
不意に野上が西村に向かって呼びかけた。呼ばれた西村は野上の方に目を向けた。
「野上さん、どうしたの?」
「一つ大切なことを聞いてもいいかしら?」
野上はとても真剣な顔をしているのだが、何故だろう、どこか既視感を覚える。そんな野上の真剣さに当てられたのか西村は肩肘を張っている。
「和哉君から聞いたのだけど、西村さんには弟さんがいるそうね」
野上の問いかけに俺はずっこけそうになった。話の先が分かったような気がした。
「そうだよ。それがどうかした?」
一方、西村は戸惑いつつも野上の疑問に頷いている。学も不思議そうに2人のやり取りを眺めている。
「そうなのね!」
西村の答えを聞いた瞬間、野上は嬉しそうに笑った。その顔は俺といる時のそれだった。
野上は手を伸ばして、西村の手を取った。
「え? え? 急にどうしたの?」
西村は困惑し続けている。学も俺に向かって視線を送っている。俺に助けを求めてもどうしようもないぞ。
「私は常々考えていたのよ」
西村の手を握ったまま野上は話し始めた。彼女以外の3人が野上に視線を集中させていた。
「和哉君に尊敬される姉になるためには何をすればいいのかって」
「え? 菅田に尊敬される……?」
西村は何を言っているのか理解できない顔をしていた。俺はその様子を見てどこか懐かしい気分になった。
「だから、西村さんに教えて欲しいの。弟から『お姉ちゃん、すごい!』と言われるようになるためにはどうすればいいのかと!」
野上は語気を強めてそう言った。それはまるで将来の進路を相談するようだった。それほどまでに真剣だった。
そんな頓珍漢なことを言われた西村は少し考え込むような顔をして、何か納得したようなものに変わった。その途端、俺の胸がざわめき始めた。
「分かったよ!」
そう言って、西村は野上の手を強く握り返した。胸の中のざわめきはどんどん大きくなっていく。
「ありがとう、西村さん! 貴女がいればとても心強いわ」
「こちらこそよろしくね! 野上さんのこと、結梨って呼んでもいい?」
「もちろんよ。私も沙優って呼ぶわね」
2人の女子はお互い肩を抱き合い、楽しそうにしていた。その光景自体微笑ましいものだが、俺の胸騒ぎは止まることを知らない。
とても厄介な2人が手を組んでしまった。そう嫌な確信があった。
「良かったな、和哉」
腕を組んで、満足気な笑みを浮かべている学のことを少し殴りたくなった。
***
「いやー、まさか菅田のお見舞いに行って、こんな楽しい気持ちになるなんて思わなかったよ!」
「それは良かったな。楽しそうで何よりだ」
学と西村が帰宅するということなので、俺は玄関まで見送りに来ていた。野上はというと、台所で片付けをしていた。一応言っておくと、彼女の強い希望によるものだ。
「和哉、良かったな。あんなに綺麗なお姉さんができて」
学はニヤニヤと爽やかに笑っていた。
「代わりたいなら、代わってやろうか」
「俺には沙優がいるからな遠慮するよ」
「ありがとう、学!」
「ああ、そうかよ」
イチャつくカップルを目の当たりにしながら、俺はこれからのことを考えていた。俺のミスとはいえ、野上との関係を知られてしまったのだ。なんとかしないといけないだろう。
「2人とも悪いんだけどさ」
学は部活で交友関係が広いし、西村だって友達がたくさんいる。だから、俺と野上の関係がどこからか漏れる恐れがあった。
「ああ、分かっている。野上さんとのことは誰にも言わないよ」
俺が何か言う前に学はそう言った。驚いた俺は彼の顔を見つめる。
「どうして分かった?」
「だって、どう見ても和哉は隠したがっていただろ。それなら、俺はお前の気持ちを尊重するよ」
「流石だね、学。あっ、もちろん私だって誰にも言うつもりはないからね」
2人は俺に笑顔を向けていた。友人達の気遣いに俺の心は温かく感じる。
「2人ともありがとうな」
「それにな」
その時、学と西村の笑顔が変わった。先程までと違った意味を感じる笑顔だ。
「こんな面白いこと他の人に知られるのは勿体無いよな」
「本当だよ! しばらくは私たちだけで楽しみたいからね!」
「お前ら、俺の感謝を返せ!」
バカっプル達に俺のツッコミが炸裂した。




