12 弟の危機に駆けつけるのがお姉ちゃんだから
「最悪だ……」
月曜日の朝、ベッドで横になった俺はそうひとりごちついた。頭は痛いし、全身がだるい。それに真冬だというのに体は熱い気がする。高校生になって初めて俺は風邪を引いた。
昨日の日曜日、学や西村とともに西村の弟に贈る誕生日プレゼントを買いに行っていた。それ自体は難なく終わり、家に帰ったところまでは良かった。ただその後の行動が問題だったのだろう。
「やっぱり夜更かししたのが良くなかったかあ」
昨日の行動を思い返して反省する。風呂を出た俺は、自分の部屋で趣味である手芸を延々とやっていた。日付が変わってもまだ続けていた。髪も乾かさず、暖房もつけずにだ。
「寝るか」
両親は仕事で出掛けており、家は俺1人だ。いくら風邪とはいえ、高校生にもなって家に1人でいるのは別に寂しくない。
けれど、何もできず、ただベッドに横になっているだけというのはとても暇である。
***
「……ううん」
目を開けた俺はベッドから起き上がった。よく寝たお陰か朝よりは体が軽い。俺はスマホを起動して、時間を確認する。
「マジかよ。そんなに寝ていたのか」
時刻は既に夕方近くになっていた。この時間ならもう学校も終わっているはずだ。
そして、スマホの画面にはSNSアプリからメッセージが届いたことの通知が表示されていた。
友人たちからは俺の体調を気遣う内容が届いていた。特に学と西村からはお見舞いに行くというメッセージが来ていた。もしかしたら、俺が体調を崩したのは日曜日に俺を連れ回したのが原因だと2人は勘違いしているかもしれない。
「実際は俺の自業自得なんだけどな」
俺は自嘲しつつも、メッセージを返す。風邪を引いた理由を話すのは学と西村が来た時に説明すればいいだろう。
「野上にも心配かけているな」
姉を名乗る同級生からも俺を心配するメッセージが届いていた。俺の体調を尋ねる内容や体を休めて欲しいというものが誰よりも早く、そして、長く書かれている。まるで家族から心配されているようでくすぐったい気持ちになる。
『学校が終わったらお見舞いに行くから大人しく待っていてね』
野上から届いたメッセージに俺は「了解」とだけ返事をした。いくら俺が断ろうとしたところで、彼女は絶対に来るという確信があった。
俺はスマホを置いて、再びベッドに潜った。あともう少ししたら野上も家に到着するだろう。その瞬間、俺の体に寒気が走った。風邪とは違う別の何かである。
「何かとんでもないミスを犯しているような」
ぼんやりとした頭で考えてみたが、答えは出てこなかった。
***
玄関のチャイムが耳に届いて、俺は目を覚ました。
「来たな」
来客の気配を察知した俺はベッドから起き上がった。体はだいぶ良くなった。ほとんど風邪も治っているだろう。
俺は部屋を出て、玄関へと向かった。玄関のドアを開けると、思った通りのベージュ色の髪の彼女がいた。
「元気そうで良かったわ」
ビニール袋と鞄を抱えた野上はホッとしたような顔をしていた。その顔を見れば、彼女がどれだけ俺を心配していたか分かった。
「悪いな。学校帰りに来てもらって」
「気にしないで。弟の危機に駆けつけるのがお姉ちゃんだから」
そう言った野上はとてもとても嬉しそうだった。また弟(俺)に良いところを見せようと張り切っているのだろう。
「まあ、上がってくれ」
「ええ、お邪魔します。和哉君は昼ご飯を食べたかしら?」
「そういえば何も食べていないな」
ずっと寝ていたため、ご飯を食べる時間はなかった。そう自覚した途端、お腹が空いてきた。
「それじゃあ、何か作るわね」
「おう。って、野上が作ってくれるのか?」
俺が疑問を投げかけると、彼女は心底不思議そうな顔をした。そして、得意げな笑みを浮かべた。
「もちろんよ。弟の世話を焼くのが姉としての責務だからね」
「そんな責任と義務は聞いたことがないが」
「和哉君は部屋で待っていてちょうだい。作ったら、持っていくわ」
俺に返事をしつつ、野上はテキパキとした動きで料理の準備をしていた。俺の家の台所には一度しか足を踏み入れていないはずなのに、その動きには迷いがない。
「分かった。後はお願いするよ」
「ええ。任せてちょうだい」
俺の家で同級生が料理をする姿を不思議に思いながら、俺は2階へと上がっていった。
漫画を読んで待っていると、部屋のドアをノックする音がした。ちなみに、手芸道具は野上に見つからないように部屋のクローゼットに隠してある。
「両手が塞がっているから、開けてくれないかしら?」
「ああ、いいぞ」
俺はドアまで近付いて、開けた。
「お待たせ、和哉君」
野上は両手でお盆を持っていた。お盆の上には土鍋が置いてあった。
「こんなのウチにあったんだな」
「ええ。ちょうど良いのがあったから使ってみたの」
野上はテーブルの上にお盆を置いて、土鍋の蓋を開けた。開けた途端、白い湯気といい匂いが部屋中にたちのぼる。
土鍋の中身は卵粥だった。黄色がかったお粥の上には細かく刻んだ青ネギが散らしてあった。
「和哉君、ベッドに腰掛けてくれる?」
野上は再びお盆を手に取った。
「ああ」
俺は言われた通り、ベッドに座った。そして、野上からお盆を受け取ろうと腕を伸ばした。
けれど、彼女の取った行動は俺の想像と違った。俺にお盆を渡そうとせず、自分も俺の隣に腰掛けた。お盆は膝の上に載せた。
「の、野上?」
「ちょっと待っててね」
俺の困惑を他所に野上は一緒に持ってきた木製のレンゲを手に取って、土鍋の卵粥を掬う。
「はい、あーん」
「ちょっと待ってくれ!」
俺は目の前の状況に混乱していた。野上は俺に向かってレンゲを差し出していた。どう見ても俺に食べさせようとしている。
「どうしたのかしら? 早く食べないと冷めちゃうわよ」
「1人で食べられるからレンゲをくれないか?」
「ダメよ。病人が無理をしちゃいけないわ」
「そう言われても」
ただでさえ高校生にもなって人に食べさせてもらうのは恥ずかしいのだ。ましてやそれが学校で1番美人の野上からとなれば、もはや恥ずかしいどころではない。
「遠慮はいらないわ。お姉ちゃんに任せて」
当の野上は姉の責務とやらを果たすことに夢中だった。かけらも意識していないようだ。
「はい、あーん」
「おい、まだ食べるとは言ってないぞ」
「はい、あーん」
俺の抗議に野上は微塵も動じていなかった。これは俺が食べるまで終わらないようだ。俺は腹を括った。
「あ、あーん」
俺が口を開けると同時に、野上はレンゲを俺の口へと運んだ。その瞬間、俺の口の中いっぱいに優しい風味が広がった。
「どうかしら?」
「美味しい」
俺は顔が熱くなるを感じながらそう答えた。程よい塩味が効いていて、それでいて病人でも食べやすい優しい味だ。
「そう言ってくれて嬉しいわ。まだまだあるわよ」
嬉しそうな野上は間髪入れずに食べさせようとしてくる。俺としてはますます体温が上がってしまいそうだ。
「あのな、野上」
「どうしたの?」
目の前にいる自称姉の同級生は真っ直ぐに俺を見つめてきた。こうして目が合うと俺は何も言えなくなってしまう。
「あっ、そういうことね」
俺が何も言わないでいるのを何か勘違いしたのか野上は納得したような顔をした。もう一度レンゲで卵粥を掬うと、それに息を吹きかけた。そして、俺に向かってレンゲを差し出した。
「ほら、これで熱くないわ」
どうやら彼女は俺が猫舌だと思い込んでいるようだ。一応言っておくと、俺は猫舌ではない。
「食べないのかしら?」
野上は心配そうな顔で俺を見ていた。わざわざお見舞いに来てくれる彼女にそうした顔をされるのは心苦しく感じる。
「食べるよ」
俺はそう返事をすると、大きく口を開けた。もうどうにでもなれという気持ちだ。
「ふふ、たくさん食べてね」
野上は楽しそうに笑うと、俺の口の中にレンゲを入れた。その後、土鍋の中身が無くなるまで、俺は野上に食べさせてもらった。風邪がぶり返したと感じるほど顔が熱かった。
***
「ご馳走様。美味しかった」
「お粗末様。全部食べてくれたのね」
野上は空になった土鍋を見て、満足そうにしていた。ご満悦のようで何よりだ。
「体調はどうかしら?」
「朝に比べたらだいぶ良くなったぞ。これなら明日は学校に行けそうだ」
俺の言葉に野上は真剣な表情になった。
「油断は禁物よ。今日は暖かくして早く寝なさい」
「はいはい、分かっているよ」
彼女には俺がどうして風邪を引いたのか伝えてある。というか、問い詰められた。俺は宿題をやっていない子供のような気持ちで野上に白杖した。
「本当に気をつけてね。他にも色々買ってきたから使ってちょうだい」
野上はビニール袋から冷えピタや風邪薬、マスクを出して、テーブルの上に並べた。
「何から何まで悪いな。お金はまた今度払うよ」
「気にしなくていいわ。私が好きでやったことなのだから」
野上は胸に手のひらを当てて、誇らしそうにしていた。
「そうは言われても俺は申し訳ない気持ちでいっぱいなんだ」
「あら、それだったお願いしたいことがあるのだけれど」
野上は悪戯っ子のような笑みを浮かべた。彼女に何をお願いされるのか尋ねようとした時だった。
再び家のチャイムが鳴った。俺と野上は顔を見合わせる。
「どなたかしら?」
「俺が出てくるよ」
「体は大丈夫なの?」
「まあなんとかなるさ」
野上に断りを入れて、俺は玄関へと向かう。両親がチャイムを鳴らすわけがないから、お客さんだろう。一体誰だろうと思いながら、俺は玄関のドアを開けた。
「お邪魔します! 菅田、元気?」
「よお、昨日ぶりだな」
玄関に現れたのはつい昨日会ったばかりの西村と学だった。
「おお、来たのか」
「って、何そのリアクション。メッセージ送ったじゃん」
西村の言葉に俺は数時間前に見たメッセージを思い出した。そんなことを考えていると、2人はホッとした顔を浮かべていた。
「昨日は買い物に付き合わせちゃってごめんね。風邪を引いたのはそのせいだよね?」
「沙優も俺も反省していてな。だから、こうして和哉の顔を見に来たわけだ」
「ああ、そのことなんだけどな」
俺は西村と学に風邪を引いた経緯を説明した。決して2人のせいで体調を崩したわけではないことを知って欲しかったからだ。
「なーんだ、そうだったんだ! 心配して損したよ」
「おい」
西村は申し訳なさそうな感じから一変して、いつもの人懐こい笑顔に戻っていた。
「でも、今は元気そうで良かったよ。そういえば、ご飯とかは食べたのか?」
「ああ、それなら」
学の問いかけに答えようとした瞬間だった。俺は致命的なミスを犯したことに気がついた。どうして、気づかなかったのだろう。
このままではまずい。早くしないと鉢合わせてしまう。
「なあ、お前ら」
「和哉君? 時間がかかっているようだけれど、大丈夫かしら?」
その声を聞いた瞬間、俺は足元から崩れ落ちそうになった。後ろをゆっくりと振り返ると、ベージュ色の彼女が立っていた。
「え? 野上さん? どうして和哉の家にいるんだ?」
「それに、今『和哉君』って言わなかった?」
学と西村は驚きのあまり目を見開いていた。2人からすると、俺の家に野上がいるのはあり得ないことだろう。それに対して野上はというと。
「あら? 田口君に西村さんね。いらっしゃい」
まるで弟の友達が遊びに来た時の姉のように優しい笑みを浮かべていた。




