10 私は気にしないわ
初めてそれを見た感動は今でも色褪せない。子供の頃、テレビで見た裁縫上手の主婦の特集だった。
女の人が手を動かすと、魔法のように糸からマフラーが作られていく。俺はその光景をじっと眺めていた。
やがてテレビから目を離した俺は後ろを振り返って、母さんにこう言った。
「これ、やってみたい」
その後、両親から手芸に使う道具セットを買ってもらい、俺は手芸の世界にのめり込んでいった。幸い俺は手先が器用な方だった。本や雑誌、テレビで勉強しながら、少しずつ上達していった。
初めて俺が作ったマフラーを両親にプレゼントしたところ、2人はとても喜んでくれた。喜ぶ顔が見たくて俺はますます手芸にのめり込んでいった。
小学校の家庭科の授業でのことだ。その授業は手芸で簡単な小物を作るという内容だった。
すっかり手芸に熱中していた俺は、パッパッとコースターを作った。家に持ち帰ったら、母さんにあげよう。そう考えていた時である。
「菅田君、上手だね!」
同じクラスの女子は俺の作ったものを見て、目を輝かせていた。その女子を皮切りに、続々とクラスのみんなが俺の席に集まってきた。
その中に当時クラスの中心人物だった男子がいた。彼は俺の作品を見て、一言こう言った。
「和哉って、こういうの作るのが好きなんだな。似合わねえ!」
その男子自体は俺を傷つけるつもりはなく、率直に感想を述べただけだったのだろう。現に俺と彼は一緒に遊ぶぐらい仲が良かった。
けれど、俺の心には彼が放った言葉が棘のように突き刺さった。
似合っていない。下手くそだとか俺の腕や作品を悪く言われたわけではない。それなのにどうしてかその一言がずっと俺の胸の内に残っていた。
それ以来人前で手芸をやることは無くなった。家でも自分の部屋以外でしないようにしている。
もちろん手芸は続けている。雑誌やインターネットの動画を見て勉強しているし、完成したものは両親に贈ったりもしている。
けれど、俺が手芸をやっていることは家族以外誰にも言っていない。
他の人からすると、特段気にしないし、どうでもいい話だと思うかもしれない。
『似合わねえ!』
もし、誰かに教えて、またあの言葉を言われたら、今度こそ俺は手芸をやめてしまうかもしれない。それが怖かった。恐れていた。想像するだけで背筋が凍った。
だから、これからも家族以外に言うつもりはない。そう心に決めている。
「野上なら、なんていうんだろうな」
自分の部屋で作りかけのニット帽を進めていた時だった。俺は無意識に言葉にしていた。
「俺は何を言っているんだ……」
思わず自嘲が漏れた。最近予期せぬ形で距離が縮まった姉を名乗る同級生が頭の中に浮かんだ。
想像の中の野上は、優しく微笑んでいた。学校で見せる笑顔ではなく、子供みたいに無邪気に笑っていた。俺と2人でいる時の彼女だった。
『私は気にしないわ』
突然頭の中の野上はそう呟いた。彼女は優しく温かく見守るような目で俺を見つめていた。
「何を想像しているんだよ」
俺はかぶりをふった。そうしたら、自称姉の同級生は、俺の頭の中からいなくなった。
「はあ……」
気づけばため息を吐いていた。都合の良い想像、もとい妄想をした自分に対して呆れていた。あまつさえ、想像上とはいえ野上に何を言わせているのか。
けれど。彼女なら、俺に対して姉として接してきてくれる野上なら、俺の趣味を知った時、何を言うのだろうか。その考えが頭から消えなかった。
***
翌日、授業が終わり、学校から駅に向かった歩いていた。しかし、その途中、教科書を忘れていたことに気づいた。そのせいで、教科書を取りに学校まで戻る羽目になった。
人気のない校舎の中を歩く。教室に入ると、1人の女子がいた。
「和哉君?」
「野上か? どうしてここに?」
「それは私のセリフよ」
俺の言葉に野上はクスッと笑った。
「俺は教科書を取りに来たんだ。野上はどうしたんだ?」
「ちょっと用事があってね」
野上は言いにくそうにそう答えた。そういえば、ここの教室に来る途中に上級生の男子とすれ違ったような……。俺は考えるのをやめた。
「和哉君の机はここよね?」
野上は俺の机の上にそっと腰掛けた。俺に弁当を渡すため、彼女は俺の机の位置を把握している。
俺は机に近づいて、机の中を探った。
「あった、あった」
「ちゃんと教科書を持ち帰っているのね。勉強熱心で偉いわ」
野上は俺の肩をポンポンと叩いた。頭を撫でられるよりはまだいいが、それでも女子に体を触れられるとドキッとする。
「そんなじゃない。ただテストの成績が悪いと親がうるさくてな」
中学生の頃、手芸に熱中し過ぎて、勉強を疎かになったことがある。その時、両親と成績に支障が出ない程度で手芸をやるようにと言われたのだ。もちろん野上にそんなことは言えないが。
「良かったら、私が勉強を教えてあげようかしら?」
野上は期待を込めた表情で俺を見ていた。大方お姉ちゃんぶるチャンスだと思っているのだろうか。
「大丈夫だ。この前のテストも問題なかったからな」
手芸に集中できるよう俺は勉強もしっかりやっている。その結果、苦手科目はなく、両親を満足させる成績をキープしている。
「そう。それなら安心だわ」
「そう思うならもう少し嬉しそうな顔をしろよ。どう見ても残念がっているだろ」
「別に勉強を教える口実にまた和哉君の家に行けるなんてこれっぽちも思っていないわ」
「どうして、そんなに俺の家に行きたがるんだよ?」
俺がそう問いかけると、急に彼女は神妙な顔つきに変わった。
「私、最近気づいたことがあるの」
「何だよ?」
「私は貴方のことを何も知らないのよ」
とても真面目な顔で野上はそう言った。
「それがどうした?」
「だって、私は和哉君のお姉ちゃんなのよ。弟のことを何一つ知らないなんて姉失格だと言わざるを得ないわ」
「いや、言わざるを得るだろう」
一体、野上の中で姉とはどういう存在なのだろう。
「だから、知りたかったのよ。和哉君がどう生まれ育って、どういう食べ物が好きで、どんな趣味があるのか知りたいの」
それを聞いた瞬間に俺は固まってしまった。彼女は俺のことを知りたがる。そうなると、いつか知ってしまうだろう。俺が手芸をしていることに。その予感はあった。
「野上は……」
「どうしたの?」
俺は口から出てきそうになった言葉を必死に飲み込んだ。昨夜のことがあったせいで、思わず野上に聞きそうになってしまった。
「和哉君?」
俺が続きを言わないのを気になったのか、野上は俺の顔を覗き込んだ。その顔は明らかに俺を心配していた。
野上なら言ってもいいのだろうか。彼女なら昨夜俺が頭の中で思い描いた通りの言葉を俺に言ってくれるだろうか。俺の中でそんな期待が芽生え始めていた。
「いや、何でもない。気にしないでくれ」
「そう。分かったわ」
俺の明らかに何かあったであろう様子にも関わらず、野上は何も言ってこなかった。
「それじゃあ、帰りましょうか」
「ああ。って、一緒に帰るつもりか?」
俺の問いかけに野上は心底不思議そうな顔をしていた。
「もちろんよ。また一緒に帰ろうと約束したじゃない」
野上の言葉に俺は記憶を辿った。……確かに言っていた。俺は無意識の内だったけど。
「そうだったな」
「そうよ。行きましょう」
俺と野上は並んで歩き出した。まあ、この時間なら、人もほとんどいないから、安心だろう。
駅までの道すがら、野上と色々な話をした。学校であったことや友達のこと、休みの日のことなどだ。もちろん俺の趣味のことは一切口にしていない。
「ねえ、和哉君」
話題の切れ間にふと野上は俺を呼びかけた。
「いつでもお姉ちゃんを頼っていいからね」
そう自信満々に俺に告げた。恐らく先程学校で俺と話している時、何かしらを察したのだろう。俺に何か隠し事があるのだと。
けれど、彼女が心配するほど大したことではない。俺自身の問題だからだ。それでも野上の言葉を聞いて、俺の心は軽くなった。




