全方位自爆型嫁いびり
嫁いびりしないほうがいいのに……
雲一つない青空がきれいな三月上旬、ある日の午後二時
姑・鈴子にとって、この時間は聖域であるはずだった。嫁の霞は仕事で夕方まで戻らない。その隙に鈴子は以前から温めていた作戦を実行に移していた。
隣町から密かに調達してきた、たっぷり雄花を湛えた杉の木を片手に、彼女は庭で獲物の前に立っていた。
獲物とは、物干し竿に揺れる嫁の布団である。布団叩きがちょっと特別製なだけで。
ドンッ! バンッ! ザシュ!
「ほら、春の、息吹よ! たんと、お上がり、なさいな!」
鈴子は自身も花粉症であることなど忘れたかのように、狂人のごとく杉の木を振り回す。しばらく続けているうちに、自分に向かって舞い戻る黄色い粉塵によって、鼻の奥が焼け付くように熱くなる。
涙が溢れ、鼻水が堰を切ったように流れ出したが、何よりも体を支配するのは圧倒的な優越感だった。
その時である。
「ただいま戻りましたぁ♪」
背後から響いた、見せかけだけは明るく優しい声。だがその声の主を知っている鈴子の動きがピタリと止まった。
(……まずいっ)
心臓が口から飛び出しそうになった。なぜ、あの子が今ここにいるのか。予定では帰宅まであと四時間はあったのに。今の自分の手には現行犯の証拠である杉の木が握られ、あたりは言い逃れできないほど真っ黄色に染まっている。
だが、鈴子はただの一般女性ではない。歴戦のマダムだ。瞬時に表情を優雅に取り繕い、涙で霞む目を無理やり見開いて振り返り、口を開いた。
「きゃあ!薄汚いネズミ! ……って、あ~らごめんなさぁい! 霞さんじゃないのぉ~! 名前と同じで存在感も一緒に霞んでいるのねぇ~!」
鼻水を垂らし、真っ赤な目で叫ぶ鈴子の姿は、マダムというよりは、山から下りてきたばかりのバケモノのようだった。
霞は、シルクのスカーフで口元を覆いながら、冷酷な光を宿した瞳で姑を射抜いた。
「まぁ~。お義母様、わざわざありがとうございますぅ。そんなに顔を汚らしくしてまで、家政婦の真似事をしてくださるなんて。お顔も頭も、本当に面白い人なんですからぁ~」
霞の視線が、鈴子の真っ赤に腫れ上がった鼻の頭を射抜く。
(このババア、私を花粉症で悶絶させるために、自分まで顔面崩壊させて……。滑稽を通り越して哀れね。夜はチューハイじゃなくてビール、いえ、ウイスキーにしようかしら)
鈴子は焦りを隠すように、持っていた杉の木を地面にゆっくりと置いた。
「あらあら~。育ちどころか性格も悪いんだから! 霞さんが好きな針葉樹の香りをつけてあげているだけじゃない! トイレどころか家中にぷんぷんぷんぷん! 鼻が曲がるほど芳香剤を置いてるでしょう! 自分が掃除できなくてくっさい臭いを誤魔化すために置いてるのを、私は知ってるのよぉ?」
霞は一瞬、心臓が跳ね上がるのを感じた。昨夜、鈴子の寝室に嫌がらせで数本ほど蒔いたヒノキの芳香剤を、うっかりミスでトイレにも設置した件を突かれたからだ。
だが、霞は「洗練された失笑」で即座に上書きする。
「あらあ、お義母様。トイレの香りが強すぎるとおっしゃるの? それは、お義母様が持ち込む|『お歳と生活習慣の入り混じった伝統の香り』《加齢臭》があまりに強固だから、芳香剤の方が必死に戦っている証拠ですわ。ご自分の風格を見直されてはいかがかしら?」
その言葉に鈴子は充血した目をカッと見開いた。口元は穏やかな微笑みを保ちつつも、眼もとには隠し切れない怒りがにじみ出ている。
「お義母様ぁ? そんなに苦しそうにして、どうなさったのかしら。……あ、そういえば私、よく効く花粉症のお薬、職場に置いてきちゃいましたわ。本当は今すぐ差し上げたいのですけれど、私、マジで今から二日間の出張に行きますの」
鈴子の顔が、今日一番の引きつりを見せた。
「新幹線の時間がありますから、これにて失礼しますわね。あ、夫には一週間も前から伝えておきましたけれど……。お義母様、もしかして和仁さんから……。そう、わたしの夫!から何も教えてもらえなかったんですねぇ。親子仲に少し隙間風でも吹いているのかしら?」
鈴子は、鼻水を「ズズッ!」と豪快にすすり上げ、フンと鼻を鳴らした。
「……あの子は頭がいいから。いなくても同じような人のことを、わざわざ私の貴重な時間に割り込んでまで伝える必要がないと思ったみたいねぇ。ゴミの収集日をいちいち報告しないのと同じことよ」
同時刻・自宅の室内にて
明るい部屋の中、一人の男が食卓に座りながら顔を伏せ、息を潜めていた。鈴子の愛息子であり、霞の夫である和仁だ。
(……聞こえない。俺は今、マダガスカルの密林にいる。そう、ここは日本じゃなかったんだ)
和仁はテーブルに肘を乗せ、眼もとで手を組んで現実逃避していた。
外の応酬の原因は母なのは知ってるし、なんなら昼前に母が杉の木をもってきたときは『何事!?』と思った。
まさかこんなことになるとは思いもよらなかったのだ。
顔を上げて、妻が勝手に母のふるさと納税で購入したヒノキのテーブルを眺めた。
二人の猛毒に当てられすぎた結果、どちらの肩を持つことも、どちらを諫めることもない。彼はただ、仏のような微笑を浮かべ、嵐が過ぎ去るのを待つだけだ。
――フッ、面白れぇ女性陣だな
場所は戻り、外の庭
「まぁ、お義母様ったら、負け惜しみまで伝統的で素敵だこと! でも本当に心配してますのよ?だっていざというときの処分相談が大変だもの。……お寺さんに、とかね?」
「それはライン越えでしてよ霞さん!! その発言についてはしっかりと息子に伝えさせてもらいますからね!」
怒り狂う鈴子だが、彼女も似たようなことをしているので、普段から和仁は悟りの顔で聞き流している。
「あーはっは!それではお義母様、さようなら! 帰宅したときに、お義母様が花粉に埋もれて腐葉土になっていないことを祈っておりますわ!」
その瞬間突風が庭の空気をかき回すように吹き荒れ、その軌跡を黄色い粉塵が彩っていく。
「「は、は、ぶしゅ、ぶしゅ、ぶしゅんんんんんっ!!」」
二人は同時に、連続で巨大なくしゃみを放ち、同時にもつれ合うように地面に倒れ込んだ。
霞はそのまま這うようにして、門のそばに置いていたキャリーケースを掴む。鈴子は霞のスカーフを奪い取って豪快に鼻をかみながら、去りゆく嫁の背中に呪詛を投げかけた。
「……今日も、へ、へ、平和ねぇ、か、霞さん」
「ええ、ほ、本当に。私たちがこんなに、な、仲良しだなんて、夫も安心するわねぇ、お・義・母・様!」
霞は別れ際、ボロボロの顔のまま穏やかな笑顔で別れるも、鈴子が見えなくなったタイミングで唾を吐き捨て、即座に憎々し気な表情でその場を離れた。
霞が去った後、庭に残されたのは、真っ黄色に染まった布団と、顔が涙と鼻水と怒りでぐしゅぐしゅになった老婆・鈴子だけだった。
そして夜、丑三つ時
鈴子は、霞の布団を展示品として野ざらしにするつもりだった。だが、風に乗って家中に侵入してくる杉花粉の暴力に、彼女の粘膜は限界を迎えたのだ。
「……おのれ霞! なんて忌々しい女なのかしら……。あんな毒物をいつまでも置いておけるもんですか!」
怒りに震えた鈴子は深夜、霞の布団を、ついでに目に入った霞の嫁入り道具と共に、ゴミ集積所へと叩き込んだ。
そして二日後。出張から戻った霞は自分の布団と私物が消え失せているのを察すると、訓練された軍人のような動作で二階へ上がり、和仁の静止を(物理的に)撥ね除けて、鈴子の寝室の扉を蹴破った。
「あらぁ、どうしたの?そんなイノシシみたいに鼻息荒くしちゃって。ブーブーブーブー。あなたのおなかにぴったりね」
「フ、フフ……。お義母様がワタクシの私物をお片付けなさったようなので、私もお片付けしてあげようと思っただけですのよ?……重力でね!!」
ドンッ!! ガシャン!! バギ!!
霞の手により、ベッドフレームや棚、タンスまで次々と二階から放り出され、同時に鈴子の怒声が響き渡る。
一階の食卓では、ガタガタと建物の振動を感じながら、ヒノキテーブルの下に和仁が布団を被って避難していた。
(かつて街を歩けばモーゼのように道が開いた俺が、今やテーブルの下だ……フッ、悪くない。ここが俺の終着駅か)
窓を見ると、放り出された家具が次々とはじけている。割れた鏡が飛び散るのを見て、庭の掃除をしないとな、と思う。
和仁は震える手で茶を啜り、静かに呟いた。
「――フッ、汚ねえ花火だぜ」
そして茶をもう一口すすって、ぼそっとつぶやく。
「……で、今夜俺はどこで寝ればいいんだ?」
ホントにあったらしい出来後を一部混ぜてます。どこかはご想像にお任せします。




