ティル・ナ・ノーグ
長編小説「みょんと鬼」|(註:いつか書く予定)、エピソード1
ティル・ナ・ノーグ
雲海を突き抜け視界が拓けると
眼下に広がるは大地より突き出す無数の岩
その平らな上面は他の岩のそれとつながり曲がりくねり
複雑な模様を成している、側面は段差と絶壁から成り
岩と岩の間を通る砂の河を横目にそそり立っている
カヤ・キシュ台状岩盤地帯、南方から吹き付ける大強風の運ぶ砂の流れが
幾千万年をかけて硬質のレダ頁岩に刻み込んだ黄褐色の芸術
砂の河の金色の流れに沿う岩の影の漆黒
壁面の褐色の赤のまた赤の層の折り重なるの成す縞模様
岩の表面の窪みの水たまりに光る陽光の煌めき
それらは後方へ過ぎ去り、また過ぎ去り、また過ぎ去る
「これより上昇に入ります、衝撃にお気をつけください」
アナウンスが入る、窓から前方を見やれば壁、果てしない壁面
地平線も空もない、黒い、薄緑と黒の石と草の山肌
ウカラ・クシュ山脈、前方はその高峰の一つ、リンギード山か
山裾に岩盤との境界に森の緑は広がりゆく、その上を飛行機は飛んでゆく
体が押さえつけられるような感覚
視界の全体を上から下へと山肌の凹凸の散らばりは流れゆく
やがて、白い物が見えてくる、雪だ
山頂を覆う雪の白の光、眩しく両眼を突いてくる
突如、空が下りてくる、青空と白い雲とが其の景色の帳を下すように
機は頂を超えたのだ、遥か向こうに立ち塞がる壁はイノー・クシュ山脈
青い影となって正面から遥か左へと連なっている
直下に目を移す、突き出した岩、側面に表れた地層
巨大な石板の半分を山に埋め込んだような岩
それらの表面に降り積もった雪の白の絶壁に露出する山体の黒と褐色
手に触れんばかりの距離を通り過ぎてゆく
そして落ち込んでゆく、どんどん遠くなる
山頂から中腹へ山裾へ景色は移り変わり遠のき広くなる
目を上げれば山裾の森の向こうに暗い緑はどこまでも広がりゆく
湿原、表面の水の薄膜、その下の複雑な地形、水底の浅い窪みの濃い緑
深い窪みの果てしない暗緑、苔と藻と泥土と葦
水面から疎らに突き出すタチワレの木、絡み合うイラクサガイの木の密生
ホロ・レベシュ大湿原、イノー・クシュ山系より
十数の急流となって駆け下る雪解けの水の行き場の無い流れの
滞積の果ての腐敗と繁茂と泥濘の地
果てしなく続く、果てしなく続く・・・・・
「お前は何時もそうだったな」
そうだ、窓から目を離し左の座席を向く、父は続ける
「8歳の時、妻が連れていくと何度もせがむから
遊園地に連れていってやった、山に囲まれた盆地の・・そう
耕堀盆地と言ったな、そこの遊園地だ
お前は遊具やアトラクションには目もくれず
柵の向こう側の山や森や川を飽きずに眺めていた」
聞いたことの無い話だ
父が私をどこかに連れて行った事があったのか、それも遊園地に
かすかに残っている、母と遊園地に行った記憶
そのとき父もいたのか
「それで、どこにいくんだ、まさか明日巣州じゃないだろうな」
と、父は言う
「ハラフ県です」
「なに、ハスナ・グナの生態系の改造はまだ終わっていないのか
あそこはアノマロカリスとスライムぐらいしかいないだろう」
と、父はいらだった様子で続ける
うなずく
「いかんせんハスナ・グナは広いんです」
「ハラフ県や、アルカディア県の奥地にはまだ野生のアノマロカリスや
スライムが生息しています、正確な数は不明ですが」
「カニス島にはまだ手を付けていないのだな」
「はい」
と肯定し分かり切った事を続ける
「あそこは本来の極めて複雑な生態系が残っています、時期尚早です」
「そうか」
父もまた生態系の改造に生涯の殆どを捧げた
主にバルベス島で、ハーディア島で、そしてハスナ・グナで
エルフ・エイスで勤務した事もあったが明日巣洲にはいかなかった
父は”みょん”を忌み嫌っており
「人間は人間、スライムはスライム、アノマロカリスはアノマロカリス」が
口癖だった、明日巣洲の山奥に今も”みょん”が出没すると言う
オカルト話の類を真に受けて
「明日巣州には死んでもいくものか」と、息巻いていた
勤務を命じられたことはあった
父は母の実家を最大限に利用して其の命令を取り消させた
「人事発令をはねつけてやったぞ」と
あまり自慢するような事とは思えぬ事を自慢していた
「エリーゼはどうしている、私が死んでから落胆していないか」
「母は元気です、特にあなたが死んでからは生き生きとしています」
しまった、余計な事を
もう遅い、後の祭りだ
重苦しい沈黙が続く
取り繕おうとして口が回る
「”私が死んだら別の良い人を見つけなさい”と
あなたが言ったとおりに・・・」
「私がそう言ったのか」
「ええ、あなたが亡くなる半年前に・・そう言っていました」
「そうか」
父の姿がかき消える、左側の窓が見える
自ら電源を落としたのだ
いつもの父との会話だ、また同じ失敗だ
左座席に置いた3次元幻灯機を手に取り、折りたたみ、懐中に入れる
父が選んだのは分離定常アップロードであり
成長することも無く新しい情報が定着する事もない
このリヴィジョン3.0は亡くなる2年半まえのもので
母と私と私の息子との最後の日々の記憶は無い
車いすで出かけた洋服店にて笑顔で断る母へ
時代錯誤のボンネットを勧め続けた事も
たどたどしく話しかける息子に珍しく笑顔を見せた事も
それらの話は次の仕事が落ち着いたら父に話してやろう
苦虫を噛み潰したような顔が目に浮かぶ
父は永遠に生きる事を望まなかった
イドビル病が見つかった時、治療も完全なアップロードも拒否した
「永遠などとてつもない」そう、言っていた
だが、ただのアルゴリズムとして自身の亡霊を残すことはした
「お前にはまだ暫くは話し相手が必要だろう」と、そう言っていた
窓に目を戻す、眼前に山が迫ってくる
青みの混じった灰色の岩石の山、表面に深く刻み込まれた急流の痕跡
今は枯れ、黒の川床が幾筋にも分岐して山裾へと、その向こう側へと
つまりこちら側の大湿原へと稲妻のような形を示している
機は再び上昇する、目を凝らせば所々に緑があるのがわかる
薄く小さな森、アデンの木の群生、その薄い枝の控えめな茶色と葉の緑
高くそびえる山肌に張り付くようにして細い根をのばし
小さく疎らに散らばっているのだ
山が落ち込む、突然に
視界にあるものが向こう側へと傾斜しながら落ち込んでいる
目を上げて辺りを見回す、向こう側にも山がある
そこから円形に地形が落ち込んでいる、山体は漏斗状に穿たれている
カラ・カリア大噴火口、6千年前の破局の元凶
底面に出来た湖の反射、中ほどにある正方形は明らかに人工物
冷却装置の地上部分であり、マグマはエネルギーを取り出され
冷えている、この山が噴火することは二度とないだろう
再び視界は拓け遠くなる、地上への距離が長くなっていく
離れていくように感じられる、山肌の灰色、その向こうの黒い帯
エフィメラ森林地帯、黒々とした森の連なり、何時までも続く単調な景観
どれほど飛んだだろうか、地平線に黒の途切れるが見える
赤い河、デシェ・ロン、それを境目として向こう側の赤い土の大地
それは眼前へ迫ってくる、飛行機は高度を下げ河の上を超える
赤の大地の平面の僅かな奥行き、そして整然と並ぶ無数のソーラーパネル
その青の上を飛んでいく、このときホンが手を振っていたらしいが
私はそれに気づかなかった
「まもなく着陸します、衝撃にお気をつけください」
向こう側にハラフ・ロシュの青々とした山林が見える
その手前に曲がりくねるのがハラフ川だ
飛行機は大きく回り込むように旋回し川に沿って飛ぶ
次第に高度が下がり、水面に吸い込まれるように
衝撃は全くなかった、その何もなさに呆気に取られる
窓を隔て手の触れんばかりを水は流れていく
連絡機はゆるゆると水上を進んでいく
波のうねりと水面のキラキラとした照り返し
そして桟橋へと横付けする
「お降りの際には足を踏み外さないように十分に注意してください」
窓を含めた枠が上に跳ね上がる、陽光の眩しさと共に外気は流れ込んでくる
気候制御装置によってハスナ・グナの温度は24度
大気の組成も標準に保たれている、機内と全く同じはずだ
だが、違う、やはり違うのだ、僅かな砂の微粒子とその匂い
陽光の煌めきと其の匂い、私は大きく息を吸い、軽く伸びをする
よくよく気を付けて翼に足を乗せ、それから桟橋に降りる
少し歩いて身をひるがえせば5式連絡機の銀色は桟橋の側に光っている
軽い音と共に機体は傾ぎゆるゆると桟橋を離れ下流へと流されながら
川の中ほどに至ると180度むきを変える
力強いモーター音の高鳴り、無人の連絡機は徐々に加速する
水流を2つに割りながら上流へ、胴体下のエンジンポッドが水面に現れる
離水、水しぶきに陽光は散乱し
天克4型の描く青緑色の軌跡を真っ直ぐに空の彼方へ消えてゆく
赤い大地に黒く続く揚水ポンプに沿って歩く
両側にはソーラーパネル、遠く向こう側に見える灰色の建築物は食料工場
兼、貯蔵所であり、水と電力から高栄養溶液を生産・備蓄している
その大きな四角形の端に付いた複数のプレハブこそがハラフ2基地であり
私の向後の職場となる
任期は僅か1年半、新型のNC-Z型アンドロイドがお披露目されたのは1月前
量産体制が整えば労働力としての人間は不要になると
少なくとも上層部はそのように判断した
私とデウーゾが”労働”を経験する最後の世代となるのだろう
基地の軒先に赤い肌の女性が立っている
手を振りながらこちらに駆け寄ってくる
「こんにちは」
お互い頭を下げる
「こんにちは」
「私はNC-93112-NC-Yと申します、ホンとお呼びください」
「私はアリス、アリス・ノーウィック
このたびハラフ2管理区に着任した、よろしく」
「よろしくお願いします」
挨拶を終え、ホンに導かれて小屋に入る
「こっち!、こっちだ!、ヤッ、ヤッ、どうだ!、アッ、ヤラレタッ」
部屋の隅、人物、ゴーグルをつけて機械に吊るされ片手を突き出す
「申し訳ございません、少しお待ちください」
ホンは微笑みながら言う
仮想空間に没入して四肢を振り回しているのはデウーゾ氏で間違いない
「ようし、3対2だ次は俺が取ってやる」
独り相撲は続く、私は苦笑を浮かべて待つ、しばらくして
「ごめん、時間が来た、俺はもう帰らないと
いい、いい、それよりキイチを可愛がってやれ
また来月には来れるから、じゃあな」
「ふひぇー」
デウーゾ氏はゴーグルを外す
満足げな顔、それが見る見る青ざめていく
「あっ」と、短く声を発し此方に駆け寄ろうとして
四肢が宙を掻く、腰のベルトを外し手のグローブと足の靴を脱ぎ捨てて
こちらに走ってくる
「すまない、失敬した」
「問題ない、それよりタダシコフは元気か」
中程度の知的障害がある彼の兄の事をたずねる
「元気、元気だ、隣の家族がよく気をかけてくれてね
仕事が無くなって暇だからと言って遊び相手をしてくれてるんだ
それとフィオーレ型汎用アンドロイド、名前はフワナ
彼とも仲良くやっている、以前のバウム型介護アンドロイド、キイチは
不得手な所もあったがフワナはとても自然だ
ああ、そうだ、今は僕がタダシコフとフェンシングをやっていたのさ
もちろん危ない事は無い、ビームフェンシングっていう遊具で
円筒形の棒からビームが出る、こう、6サンチぐらいの
それで相手に当たればビィーッと音が鳴る
アバターの予約が取れたのさ、人型のドローン、VRで遠隔操作が出来る
大人気だ、めったに予約は取れない、久々にタダシコフと触れ合えたよ」
と、デウーゾは一気にまくしたてる
それからホンに向き直り
「なんで、知らせてくれなかったんだよう」
と、子供のように言う
ホンはあきれ顔で
「外で待たせるわけにはいきません」
と、答える
デウーゾは答えにつまる、そして渋々と言った風情でうなずく
それからお子さんは大丈夫だったかと聞いてくる
あのときデウーゾに心配をかけていたのだと思い当たる
「問題ない、ただのコウゾ熱だ、今は元気に学校に通っている」
デウーゾは今日はじめて笑顔になる
「それは良かった」
それから私たちは部屋の壁からせり出した長方形の機械
フードディスペンサーに食事を注文して卓につく
「頭を取り外してよろしいですか?」
と、ホンが聞いてくる、もちろん了解する
ホンは壁際のソファーに座り両手で自分の頭部を取り外して胴体の横に置く
人が食事をしているあいだアンドロイドがそこに立ったままなのは
どことなく気まずい、そこでアンドロイドは頭部を取り外して
わかりやすく停止中である事を示す、このようなマナーが普及して久しい
赤い高栄養溶液、超古代の人口植物を解析して応用したそれが
タンクからチューブを通りフードディスペンサーに注入される
その機械は各種の電磁波を様々な方向から照射して
形状、色、硬さ、味を形成する
「完成しました、冷めないうちにご賞味ください」
指向性音声が昼食の完成を知らせてくる
膳を取り卓に並べる
私はローストビーフ、グリーンリーフ、マッシュポテト、焼きトマト
デウーゾは麦、麦のかたまり一つ、ヌグル豆、一粒
「まだ、そんな食生活をしているのか」
思わずなじるような声が出る
「これでもご馳走さ
古代人の主食はヌグル豆、ハスク芋、トオウルンの実だ
ハスナ・グナでもエルフ・エイスでも明日巣州でもそうさ
麦はめったに食えないご馳走だった
私たちの食生活が豊かになったのはここ2百年ぐらい
肉食の普及に至ってはフードディスペンサーの普及以降になる
それより前だと、みょんの冬の前あたり、大戦争の前あたりには
いくらか食生活が良くなり始めていた
ジャガイモやきのこや大豆製品なんかが普及し始めていたのさ
これは明日巣州の話だが他も似たようなもんだ
まあ其の程度だったんだ
それで、その、なんだ、その・・・・・牛、そう牛だ
巨人よりも大きかったんだっけ」
話を引き取る
「体長は数倍、重さは数十倍はあったようだね」
「超古代人はそんな化け物を食っていたのか」
「当時は大層なご馳走だったようだ」
そう言ってローストビーフの一切れを口に運ぶ
「大変に美味だ
超古代人が食っていたのだから君が食べても問題ないだろう」
「超古代人なんか知るもんか、僕は古代人の気持ちが知りたいんだ」
いつもの会話がいつものように途切れる
食事を終えると仕事の支度に取り掛かる
「これが昨日までにタロウ、彼はNC-H17型
私とホンが確認した野生のアノマロカリスとスライムの位置だ
もちろん重複はそれなりにあるだろうが」
ハラフ2地域の地形を表す立体映像上に
赤い点と青い点が広くばら撒かれるように表示されている
「これが半分だとしても、代替身体が足りないな」
「ああ、発注はかけている、しかし、到着は早くても3か月後になる」
「先ず各個体の改造に取り掛かろう
余った時間の活用はそうなった時に考える」
強化服、内蔵人工筋肉、T液、K液、注入装置、装甲強度、走査装置
光学偽装装置、左、噴霧装置、右、制御装置、背面、ガスタンク
右腰部、メディキット、左腰部、アノマロカリス用メディキット
デウーゾは自身と私の装備を順番に点検する
そして、こちらに向け左手を握り親指を上げる
強化服、内蔵人工筋肉、T液、K液、注入装置、装甲強度、走査装置
光学偽装装置、左、噴霧装置、右、制御装置、背面、ガスタンク
右腰部、メディキット、左腰部、アノマロカリス用メディキット
私は自身とデウーゾの装備を順番に点検する
そして、デウーゾに向けて左手を握り親指を上げる
強化服を着用し光学偽装装置を起動する
眼前の左腕が空気に溶け込み消えてゆく、目の端
強化服を着用したデウーゾの姿もまた空気に溶け込み消えてゆく
そして空中で光が明滅する、一回、二回
右腕を左肩にやりショルダーライトを点灯する、一回、二回
デウーゾが右手を握り親指を上げたのが気配で分かる
私も右手を握り親指を上げる、デウーゾのいるであろう空間に向けて
4秒後、連携補助装置が自動的に立ち上がる
デウーゾの姿が空中に浮かび上がり白い線で強調表示される
こちらに向けて左手を握り親指を上げる
私もそちらに向けて左手を握り親指を上げる
我々の仕事は待つことだ、草の陰に石のようになって
T液は自動的に注入される、代謝を落とし、意識を保ち
姿勢を維持し、目を開き、耳を澄ましながら、日の出から日の入りまで
野生のアノマロカリスが何度も眼前を通り過ぎる
スライムが目の前を這っていく、その動きが速くなる
アノマロカリスが迫っている、スライムは逃げる
我々は動かない
アノマロカリスがスライムに襲い掛かる
その体を引き裂き内蔵と体液を吸いつくす
我々は動かない
野生のスライムが何度も眼前を通り過ぎる
1体、アノマロカリスが近づいてくる、進路上に私がいる
周囲に他の個体の気配は無い、デウーゾにハンドサインを送る
私が捕獲、デウーゾが警戒
右腕に取り付けた制御装置を操作してK液を自身に注入する
体温が上がってくる、心臓が強く動き出す
その個体が近づいてくる、進路はわずかに右にずれている、衝突はしない
左腕の噴霧装置を右の空間に向ける、サイレントモードで噴霧を開始する
麻酔剤が空中に散布される、徐々に濃度を上げていく
アノマロカリスがもがき始める、左右に体を振り回す
次第に動きが大きくなる、こちらに体を向け迫ってくる
静かに後退しながら、麻酔剤を噴霧する
動きが小さくなる、噴霧を停止する、数秒、待つ
動きが止まり徐々に前方に傾ぐ、地面に倒れる、数秒、待つ
ゆっくりと近づき、走査装置を当てて
バイタルを測定する、問題なし
数歩後退して、右腕の制御装置を操作し搬送ドローンを呼ぶ
周囲を警戒する、数分後、4本脚のドローンが到着する
デウーゾと協力してアノマロカリスを搬送ドローンの背に乗せ固定する
基地に帰還する、交換装置にアノマロカリスを寝かせる
脳細胞を徐々に電子細胞に置き換えていく
意識の移行が完了する、脳を摘出する、代替身体に移植する
身体の一致度は87、オリジナルの身体を保存する
3時間、待つ
アノマロカリスが目覚める、動きがぎこちない
身体の違和感を感じているようだ
2時間、待つ、徐々に動きがスムーズになってきた
スライムを放す、精巧にできたダミーである
興味を示す、しかし攻撃的な行動は見られない
代替身体は満腹を示すフィードバックを脳に送り続ける
必要なエネルギーは太陽光から獲得する
それが不足した場合、休眠モードに入り、管理システムに通知が行く
2時間、待つ、問題は起きない、アノマロカリスを休眠モードにして
捕獲した場所まで運ぶ、休眠モードを解除する、動き出す
3時間、追跡する、問題は起きない
基地に帰還する、食事をして睡眠を取る
それからは淡々とした日々が始まる、アノマロカリスを捕獲する
改造する、捕獲した場所に戻す、スライムを捕獲する
改造する、捕獲した場所に戻す、基地に帰還する
「あ”ーー、あ”ーー、あ”ーー」
「あ”ーー、あ”ーー、あ”ーー」
男が走っている、手を振り上げ下し、また振り上げながら
叫んでいる、口は真四角に開き目は滂沱と涙を流し
顔は頭から左へとやや斜めにずれている
林の中を木々の間の落ち葉の上を走っている
「あ”ーーー、あ”ーーー、あ”ーーー、あ”ーーー、あ”ーーー」
「あ”ーーー、あ”ーーー、あ”ーーー、あ”ーーー、あ”ーーー」
「ドンッ」
「ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンッ」
何だ
目を開く、暗闇、天井、音がする、誰かが戸を叩いている
尋常なる様子でない
「シルフィ!」
アシスタントAIを呼ぶ
「こんにちは、タロウ、NC-H17-622579が戸を叩いています
静かにするように呼びかけます」
音が止んだ
「私が確認します」
ホンが外に出ていく、デウーゾも起き出してきた
青ざめた表情をホンの背に向けている
ホンが戻ってくる、後ろにタロウがついてくる
頭部が歪んでいる、とめども無く涙を流している
アシスタントAIの声が響く
「タロウのメモリーが応答しません、状況は不明です」
「あ”、あ”、あ”、いったんだ、彼女が、子供が
お金が、騙されて、母親も、遠くに、何も、無くなって」
「オーバーフローだ」
私は言った
「感情演算回路が過負荷になっている、待とう」
「数日が必要です」
アシスタントAIが言った
長すぎる
「どこで何があったか推定できるか?」
「位置情報をプロットします」
机の上に立体映像が表れる、タロウの移動経路がプロットされる
この基地を出て北東のハラフ13橋へ移動
橋を渡り南南東へ長距離を移動、一直線に近い
時々経路から左右にズレるのは障害物を避けていると思われる
20741、74611地点にて停止、ハラフ3地域との境界線、エリダニ川の左岸
そこから西へ移動、東へ移動、また西へ移動
これを繰り返しながら徐々に北へ移動していく、通常の巡航である
ときどき停止するのはアノマロカリス
またはスライムの位置をプロットしているためだと思われる
20732、74615地点にて停止、光点は止まり続ける、早回し
3時間16分29秒後、光点が急速に移動し始める
一直線にハラフ13橋へ、そこから此の基地へ
「わかった、これから20732、74615地点に向かう」
ホンが言う
「危険が伴う可能性があります、私が単独で向かいます」
「私の意識はクラウド上にある、危険は無い」
デウーゾに向かって言う
「君はどうだ?」
デウーゾは自身の頭を指して
「俺はここだ」
「私とホンで行く、ここをたのむ」
「わかった、賛成だ」
私とホンは20735、74606地点にてT612輸送車から下り
徒歩で目標地点へ向かった
次第に森は稠密の度合いを増し、木々は立ち塞がった
私たちは木の根の壁を乗り越えまた乗り越えて進んでいった
葉と枝の鬱蒼とした広がりは日の光を遮り辺りは薄暗くあった
13時を回った頃、私たちは該地点に到達した
周囲を観察した、異状は見られなかった、二人で円を描くように
その間隔が広がっていくように探索していくと
14時頃、ホンが洞窟を見つけた
それは木の根の下に開いた空洞であった
私たちはそこに入っていった、それほど深くは無かった
入口からの薄明りが奥にある何かを照らしていた
それは四角柱状の物体であり
木の根と腐葉土と苔の褐色と暗緑色に埋もれていた
わずかに金属光沢が見られた、明らかに人工物であった
その中央の一つの目にようにも見える円形の窪みが仄かな光を放っていた
小さな小さな機械音のような唸りのような音は
遥か遠くから聞こえてくるもののように聞こえていた
それが稼働状態にある事を私たちは悟った
恐らく大変古いものであると私は直感した、古代よりも原始時代よりも
そのような文明は既知のものだ
しかし、我々はその時代と人々について多くを知らない
そのことが私たちの不安をかき立てた
一瞬、逡巡している時、その機械は話しかけてきた
真に驚くべきことに其の機械は我々の言葉を話し、我々の言葉を解した
彼、オブザーバー4371と名乗った、は自身について次のように述べた
「私は私自身について多くを知りません、私の一部は破損しており
私自身についての情報の多くが失われています
その上で分かる範囲の事を推定も含めて次に話します
私はA-81からS-37クラスまでの電磁波を用いて周囲
16アガルデから最大で23アガルデまでを透過探査することが出来ます
また、集音装置を用いて周囲、1.5アガルデから最大で2アガルデまでの
音響情報を収集する事が出来ます
そして其れらの情報を音声と立体映像として10年間分
記憶する事が出来ます
私には本来それらの情報を暗号化し
SS-65からSU-92クラスの電磁波を用いて
送信する能力がありますが、現在は破損しています
私が作られた目的は不明ですが、前述の私の能力から推定して
それは穏やかなものでは無かったのだと思います
次に私の製造された年代ですが、これも定かではありません
少なくとも6千年前には私は存在していました
そして私が観測した其の時代の人々の技術水準から推定して
当時の人々が私を製造したとは考えられません
また、その時代の人々の生活様式は
それなりの歴史を経たものであると推定されるため
私の製造年代は6千年前より相当に古く遡るものであると思われますが
正確な時期は不明です」
私は彼にあなたについて調査しても良いかとたずねた
彼はこの敵対的とも取れる質問に対して
あなた方のお役に立てるなら嬉しい、是非そうしてくださいと答えた
それから私はタロウについてたずねた
彼は一昨日タロウと会い、お互いの話をしたこと
タロウが急に泣きだし、それから走り去っていった事を述べた
私は彼にタロウとどのような話をしたのですかとたずねた
すると彼は話し始めた、彼の遠い記憶の話を
「私は10年分の記憶しか保持できません
それ以前の記憶は消去して記憶容量を確保します
新しい記憶を保持するためです
しかし私の中には200年前の或る記憶と
6千年前の或る記憶とがそれぞれ存在します
私はそれらを消すことが出来ませんでした
一昨日タロウと会うより前に私が最後に会った人間はリアナ博士と言う方で
それも200年前の事です、博士は考古学
と言うものをされていらっしゃる方で
このハラフ地域の全域で古代遺物の調査をされていました
博士は私を見つけ、それから私たちは様々な話をしました
現代の人間の言葉も諸事情も博士から学んだものです
私は博士の仕事を知り、”彼女”の事を聞かずにはいられませんでした
当時はハスナ・グナ戦争からさほど時を経ていない頃で
大変な混乱状態にあったにも関わらず博士は快く応じてくださりました
博士や博士の同僚が収集した
様々な考古遺物の写真を私に見せてくれたのです
しかし、どれだけ探しても”彼女”の痕跡は見つかりません、当然の事です
6千年前の、いえ、当時から見て5800年前の一人の人間の痕跡が
見つかる可能性は相当に低い
とうとう、私は博士が用意した全ての写真を確認し終わりました
私は博士に感謝の意を伝えました、本当にありがたいことでした
翌日、博士はまた写真を持ってきました、それは
このハラフ地域から離れた地域で見つかった考古遺物の写真でありました
私は博士に何度も感謝の気持ちを伝え、それらの資料を確認し始めました
そして、奇跡が起きたのです、それは正しく奇跡でありました
写真の束も最後に近づいていた時、一葉の写真が目に留まったのです
それは一体の完全な人骨でありました
完全と言っても左半分、胴体と足が激しく砕けていました
恐らく、突風に吹かれて岩盤の上から落下したのでしょう
事故であったのだと思われます
人骨から、生前の姿をあるていど推定する事が可能です
私には其の人骨が”彼女”のものであるように思われました
重ね重ねありがたいことに
博士は保管してあった其の人骨を様々な角度から写真に収めて
持ってきてくださりました、そればかりでなく
其の人骨のDNAサンプルの解析結果をも持ってきてくださったのです
私は其の人骨を様々な角度から見て、生前の姿を再現しました
それは、”彼女”でありました
DNAからも生前の姿を推定する事が出来ました
それは、正しく”彼女”でありました」
「彼女は南から来ました、他の人々と明らかに異なる姿をしておりました
そして鮮やかなオレンジ色の花を髪に差していた事を私はよく覚えています
もう一人、小柄な女性が半歩ほど先を歩いていました、同じ肌の色をして
皴は深くあり年を取っている様子でありました
まず間違いなく彼女の母親であったのだと思います
彼女は忙しなく頭を巡らせ周囲を見回す様子でした
右に行き左に行き、道を外れまた戻り、また左へと
その度に其のオレンジ色の花も左右に揺らめき移ろうのでした
母親は彼女に何度も声をかけ何度も手を引いて歩いてきました
恐らく、軽度の知的障害があったのだと思います
この辺りの人々は彼女と母親を歓迎してはいないようでした
かつて、この地は穏やかで暖かい集落であったのですが
カラ・カリア山が断続的に噴火を始め、噴き上がる煤煙によって
作物の実りが悪くなり、食糧事情が悪化するにしたがって
治安は急速に悪化していきました、誰もが他人を警戒するようになりました
そして、人が増えると言う事は食い扶持が増えると言う事でもありました
彼女たちは食べ物を作る技術を持っていませんでした
その代わり母親は希少なネメト石の針と織物を作る技術を持っていました
それはそれで貴重な物でありましたから
人々は彼女たちを追い出す事はしませんでした
彼女たちはエネムの草と落ち葉とで粗末な家を建てました
母親は織物をして其れを売り、ヌグル豆やハスク芋を買いました
彼女はウスカバニの草とアオグリの樹脂で作った背負い袋で水を運び
落ち葉の切れ端を集めて火を起こしました
そのようにして彼女たちは暮らしました
2度、夏が過ぎた頃の事です、母親に異変が起きました
息が上がる様子が見られ、肌に青い斑点が表れ始めました
イドビル病であったのだと思います
かなり進行していました、母親は其れを隠しました
腕に布を巻き付けて、まだ顔に斑点は出ていませんでしたから
彼女に対しては隠せていたと思います
それから母親は、彼女に織物の作り方を教え始めました
道具の前に座らせて後ろから手を伸ばして手本を見せて
それから彼女の手を取ってまねさせて一つ一つの事を教えていくのです
彼女は嫌がりました、それはとても難しい事でしたから
母親は彼女を叱りつけて、何度も叱りつけて
テイイの草の繊維の取り出し方を針への通し方を
ルバの草の汁での色の出し方を繊維への沁み込ませ方を
繰り返し繰り返し教えました
彼女は逃げ出しました、母親は彼女を追いかけて、捕まえて
抑え込むようにして織物の作り方を教えました
彼女は泣きだしました、母親は彼女をなだめて、叱りつけて
織物の作り方を教えました
そのような事は、何度も何度も繰り返されました
そして、やがて彼女は母親の織物の一部を編むようになっていました
恐ろしい事が起きたのは秋の中ごろの事です
彼女たちの粗末な家で大きな音がしていました
数人の男が彼女を暴行していたのです
母親が駆けつけて必死に止めようとしました
男が母親を突き飛ばしました
やがて夜が来ると男たちは逃げていきました
母親は藪の中からようやくに身を起こし
体を引きずるようにして彼女の元にいきました
彼女はただ、泣き叫んでいました
何日も何日も泣き叫んでいました
彼女たちには他にどうする事も出来ませんでした
母親が倒れました、青い斑点が全身に広がっていました
この頃には起き上がる事も難しくなっていました
母親は彼女に寄りかかるようにして
織物の売り方や売る相手の見定め方を何度も何度も言い聞かせました
それから、不思議な話をしたのです
それは此の地に古くから伝わる、ティル・ナ・ノーグ、楽園の伝承です
東の東の果てのハルナ平原の果ての
イティ・ラシュ海の向こうにティル・ナ・ノーグはある
そこは暑くもなく寒くもなく山の神の怒りも無い、木々には大きな麦が実り
いくら食べても尽きることは無く、パナケイアの低木は赤い花を咲かせ
それを煎じて飲めばどんな病もたちどころに治る
木々や花々の精霊は人々を助け
大きな伝書蜂は人々を乗せて舞い上がりどこまでも運ぶ
生を卒えた者は皆ティル・ナ・ノーグの人になる
死と共に別れた親しい者たちは皆ティル・ナ・ノーグに生きている
年を取る事も無く、離れ離れになる事も無く永遠の生を生き続ける
母親はその話を何度も何度も繰り返しました
その時だけは、彼女は目を輝かせて話を聞いておりました
そのうちに、母親はほとんど動かなくなりました
彼女は其の体を拭き、水を飲ませヌグル豆を砕いて与え
落ち葉を被せて体を温め、何度も姿勢を変え
落ち葉の切れ端で便を拭きました
1月ほど経った頃でしょうか、集落の人々が其の住まいに
押しかけて来ました、恐らく強い臭いがあったのだと思います
母親は腐りかけていました
人々は母親を運び出し、土の中に埋めました
彼女は止めようとしていました、母親に縋りついていました
人々に抗っていました、泣き叫んでいました
彼女も”死”は理解していたと思います
母親が埋められてからは、小さく座り、冷たく泣くばかりでありました
それでも、お腹は空くものだと思います
彼女は母親の残したもので食いつなぎながら
やがて、織物を作り始めたのです
粗末な家の粗末な床で其れだけは場違いな高価な針と道具を用い
幾月も織物を作り続けました
その生活に堪えるだけのものを母親は残していました
そのうちに彼女の体に変化が起こり始めました
お腹が大きくなっていったのです
彼女はひどく戸惑っていました、しかし、恐らくは集落の他の人々を見て
その意味を知ったようです
出産は孤独なものでありました、家で一人であったのです
当時の出産時の死亡率は極めて高いものでありましたが
幸いにも、彼女は幸運に恵まれました
暫くして産声があがり、明け方には
彼女は自分の子を抱きかかえる事が出来ました、男の子でした
彼女の生活は更に忙しくなりました、水を汲み、火を起こし
豆を煮て、赤ん坊の世話をしました
そして直ぐに織物を作り始めました、貯えが少なくなっていたのです
赤ん坊をあやし、織物を作り
落ち葉の切れ端で赤ん坊の便を拭き、織物を作りました
それは冬の日の明け方の
大地の彼方より日が顕れ空が最大に明るくなる頃です
彼女は其の織物の両の端を持ち日の光にかざしました
最初の作でありました、南の方のスクメンガルの様式の其れは
淡く日の光を通し風に薄く揺らめているのです
中央に伝書蜂の図像がありました、当時このあたりにはまだ
伝書蜂が生息していました、空を飛ぶものは彼らだけですから
人々は伝書蜂を神聖なものとして崇拝しておりました
その図像はルバの草の其のただ一種類の染料の濃淡を用いて
染め上げられた其れは羽を広げ今にも動き出さんばかりでありました
スクメンガルの織物は見事なものです、そして丈夫なものです
何百年でも、もしかしたら何千年でも持つものです
それは高く売れました、北の部族の人々が買い取ったのです
彼女は母親の言いつけをよく守りました
他の人々に安く売る事をしなかったのです
彼女は沢山のヌグル豆とハスク芋、そして麦を幾つも買う事が出来ました
栄養のあるそれを食べることが出来ました
干した草を引いた上に割座で座り、背筋を伸ばして両の手で麦を持ち
もぐもぐと食べていた光景を覚えています
それは短く小さな幸福でありました
また1月ほど経った頃、赤ん坊が泣かなくなりました
体が赤くなりました、恐らく熱も出ていたと思います、コウゾ熱でした
彼女は集落の人々に助けを求めました
誰も彼女とその息子を助けようとはしませんでした
それが治るはずのない病である事を知っていたのです
一人の、ひどく痩せこけた女が彼女に近づきました
そして、パナケイアの花の煎じ薬を売りました
どのような病も治るのだと言いました
それは、大変に高価なものでした
彼女は全ての財産を女に渡しました
希少なネメトの針と他の道具も売り払って其の薬を求めました
その赤い粉末を赤ん坊の口に含ませました
次の日も、また次の日も赤ん坊の口に含ませました
赤ん坊の体はますます熱くなり、痩せこけていきました
それはレゲマの石の粉で色を付けただけの
トオウルンの実の粉でありましたから、効くはずもありませんでした
赤ん坊は動かなくなりました、冷えていきました
しばらく、彼女は赤ん坊を、息子を抱きかかえていました
やがて日が上がり、また落ちました、彼女は母親の隣に息子を埋めました
彼女はウスカバニの草の繊維で編んだ袋に顔を向けていました
ヌグル豆の破片が底にわずかにありました
それが彼女の元に残った物の全てでした
瞳は何も見ていませんでした
彼女は集落の側を行ったり来たりしました
それから、北の方へ歩いて行きました、それから南の方へ歩いて行きました
南の林を彷徨うように右に行き左に行き
やがて、林の奥へと消えていきました
それが、私が最後に見た彼女の姿でありました」
「骨が見つかったのは、カヤ・キシュの中心部
テーブル状岩盤の下の砂の中でした」
「カヤ・キシュ?」「しかし・・・・・・・」
「そうです、ここからカヤ・キシュまでは相当な距離があります」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「骨の傍らからは繊維片が多数見つかりました
彼女がただ一つ身に着けていた草の繊維で編んだ袋だと思います
ウスカバニの草の繊維でした、問題はそのDNA型です
4種類もありました、それらを持つウスカバニの草は
異なる地域にそれぞれ分布するものです
なぜ其の袋には複数の地域のウスカバニの草が使われていたのか?
最初にその袋が作られたときに
複数の地域の其れが使われていたはずはありません
ご存じのように其の草はハスナ・グナの何処にでも
いくらでも生えています、わざわざ他地域から入手する必要性はありません
考えられる事は一つしかありません
その袋はそれぞれの地域で破損し其の度に修理されたのです
簡素な道具・・・恐らくは手で結びなおされたのだと思います
見つかったDNA型は次のようなものです
一つはR-43Dと呼ばれるグループで
ハラフ全域からエリダニ全域まで分布しています
もう一つはR-41Cと呼ばれるグループで
エフィメラからハラフ東部まで分布しています
さらにもう一つはR-12Bと呼ばれるグループで
ホロ・レベシュ大湿原から当時はカラ・カリアまで
分布していたと考えられています
最後はR-14Bと呼ばれるグループで
ウカラ・クシュ山系に分布していました
これらから彼女の移動経路が分かります
ハラフからカラ・カリアへ、カラ・カリアからホロ・レベシュへ
ホロ・レベシュからカヤ・キシュへ
そして移動手段は当時は一つしかありません
彼女は、歩いたのです
ここからカヤ・キシュまで歩いたのです
骨からは生前の栄養状態が分かります、彼女は飢えてはいませんでした
骨の傍らからはもう一つ、N18371
いわゆるアコークルの実が見つかりました
袋の中身だと思われます
当時、ハスナ・グナにはまだアコークルの実が残存していました
と言っても一部の地域、つまりウカラ・クシュ山系の周辺の森です
見つかったアコークルの実は明らかに人工的な保存処理
つまり天日に干されていました
この事は彼女の移動が計画的なものであった事を示しています
恐らく彼女は東を目指していたのだと思います
デシェ・ロンを渡り、エフィメラの森林を潜り抜け
イノー・クシュ山脈を踏破し、ホロ・レベシュ大湿原を通り抜け
ウカラ・クシュ山脈を突破し、カヤ・キシュを超えて・・・・・・・・・
その向こうの、ハルナ大平原の向こうのイティ・ラシュ海の向こうの
暑くもなく寒くもなく山の神の怒りも無く、木々には大きな麦が実り
いくら食べても尽きることは無く、パナケイアの薬は如何なる病をも治し
木々と花々の精霊は惑う者を助け、人々は大きな伝書蜂に乗って空を飛び
年を取る事も無く離れ離れになる事も無く永遠の生を生き
そして、母と息子の待つ、ティル・ナ・ノーグへ




