4 いつかの祠
五日目。この日、僕は午前を祈祷の時間にあてた。
集会所の縁側に祭壇を設け、村人たちとともに祈りを捧げる。
一時間ほど祝詞をあげたあと、僕は新しい儀式を加えた。父から特に「他のことをするな」と言われているわけでもないので問題はないはずだ。その儀式にもさらに一時間を使い、ようやく祈祷を終えた。
村人たちも少し疲れただろう。その後は、村の婦人たちが用意してくれた昼食を、集会所の広間で皆で食べようとしていた。
――そのとき。
子供たちのわぁわぁとした声が聞こえてきた。
「ダメだって言ってるでしょ」
どうやらこの祈祷の期間、子供たちはどこにも遊びに行けず、家で大人しく過ごすしかなかったらしい。村長に聞いてみても「そういう風習だから仕方ない」としか言わない。しかし、そんな遊び盛りの子供たちを縛りつけていたなんて――急に可哀想に思えてきた。
「村長さん、僕が一緒に遊んであげますよ」
「なに? 那都くんが? そんなことできねえべ」
村長は驚いた様子だった。祈祷師が仕事の最中に、しかも風習的に拘束されている期間に、子供と遊ぶなどありえないと考えたのだろう。
「祈祷師としてじゃなくて、一人の若者として遊んであげるのはどうですか?」
村長やその息子、他の村人たちも呆気に取られていたが、やがて笑顔になり、「じゃあ少しだけなら」とうなずいてくれた。
やがて子供たちが集会所に入ってきて、僕の前に数人並んで正座した。
「なにして遊ぶ?」
僕は顔を覗き込むように、目線を合わせて問いかける。
「虫取りしたいな」
皆が一様にそう答えた。なるほど、虫取りか。昔、母の実家に行ったとき、裏山でカブトムシを捕りに行ったことを思い出す。父がクヌギの木を探して蹴飛ばし、ボトボトと虫が落ちてくるのを「さすがだ」と思った記憶が蘇った。
「よし、じゃあ行ってみようか」
子供たちはわぁっと歓声をあげ、踊るように喜んだ。
虫籠と網を持ち、麦わら帽子をかぶり、ハッカ油を首筋に塗りつけて――みんなで河原へ向かう。
「私もついていくよ」
紬が後を追ってきた。
「紬、いくらなんでも裸足はダメだよ」
相変わらず靴下すら履かず、すらりとした素足を陽光に輝かせている。
「あはは、そうだね。履いてくる」
そう言って紬は駆け足で戻り、また駆け足で戻ってきた。
河原を歩くうちに、子供たちはもうバッタやトンボを捕まえていた。さすが田舎の子はこういう遊びに慣れている。都会寄りの地域で育った僕には到底できない芸当だった。
やがて林が見えてきた。見晴らしのよい河原とは違い、一歩入れば薮に紛れて子供を見失いそうな雑木林。午後の陽射しですら遮られて暗い空間だ。
「紬、この林に入っても大丈夫かな」
「うん、平気だよ。子供たちも慣れてるから」
この辺りの山や林は、彼らにとっては遊び場の一部なのだろう。その言葉に安心し、僕たちは林の中へ進んだ。
クヌギの特徴は覚えている。ガサガサとした樹皮が目印だ。本当なら昼のうちに釘でも打ち込んでおけば、夜に樹液が溢れて虫が集まる。しかし今日は父がしていたように、木を蹴って上から落とす作戦だ。
蹴ってみるが、足の筋力だけではびくともしない。体重を乗せてぐっと押すように蹴る。それでもうまくいかず、子供たちと一緒に「せーの」で蹴飛ばした。
案の定、ボトボトと虫が落ちてくる。
「わぁ!」
子供たちは歓声をあげ、黒光りの王者たちを虫籠に入れていく。
「那都、すごいね。やるじゃん」
紬が手放しで褒める。照れくさいが、子供たちが喜んでくれるし、赤らんだ頬で微笑む紬を見ていると、胸の奥が温かくなる。
さらに未踏の道なき道を進み、手当たり次第にクヌギを見つけては蹴飛ばす。子供たちの籠は次第に満杯になっていった。
「あんまり捕まえすぎると、来年いなくなっちゃうよ」
紬が言った。その言葉は妙に重みがあり、自然の摂理を諭すようだった。
やがて子供たちも満足したのか、捕まえた虫を解放したり、手に乗せて遊んだりしていた。
そのとき――。
ひやりとした空気に包まれた。嫌な感じではないが、どこか異質な感触。僕たちはその空気を共有しながら、自然とその方向へと足を進めた。
僕が先頭、子供たちが続き、最後尾は紬。彼女は無表情のまま周囲を見渡している。
そして歩いている最中、僕は目を見開いた。
小さな鳥居が立っている。ほんのわずか紫がかった靄がかかり、縁には奇妙な装飾が施されていた。
「こんな場所があったんだ」
僕は立ち止まって鳥居を見上げる。子供たちは先に進もうとするが、制止した。
「古い神社があるんだ」
紬がぽつりと呟く。その瞳には影が宿ったように見えた。
「行ってみようよ」
子供たちははしゃぐ。きっと普段は行ってはいけないと言われているのだろう。紬に目をやると、彼女はうなずいた。
そのまま鳥居をくぐり、痕跡が残る参道を進む。ヒヤリとする感触は変わらず続くが、嫌ではない。むしろ心地よささえあった。
やがて見えたのは、紬が言ったとおりの古めかしい神社。僕は「こんなところに」と、どこか感傷に浸る。
「那都」
不意に後ろから紬の声。僕は思わずドキリとした。振り返ると、すぐ後ろに紬が立っていた。
「はっ! な、なに、紬……どうしたの」
慌てて声を上げた瞬間、紬は僕の両肩に手を置いた。がっしりと掴むその力は、まるで石像でも乗せられたかのように重い。
「那都、そのまま進んで」
紬は圧を残したまま僕を神社の鼻先へと誘う。言われるがまま、押されるがまま足を運ぶ。
顎がガクガク震えているのがわかる。冷や汗が滲み、シャツの内側を一筋の汗が流れる。
「つ、紬……なにを……」
声にならない言葉をなんとか絞り出すが、紬は構わず僕を押していく。
やがて祠の前に着いた。その途端、僕は膝をついた。考えたわけでも、命じられたわけでもなく、自然にその所作をとっていた。
そして祝詞をあげる。
詠唱している間、耳には何も聞こえなかった。ただ一心不乱に唱えていただけだ。まるで憑かれたように、ただただ祝詞をあげ続けた。
どれほどの時間が経ったのか。子供たちは静かに僕を見つめていた。
――だが、紬の姿はどこにもなかった。