3 重ねる心
カナカナという声が響きわたるなか、僕は眠りから目を覚ました。どうやらしばらく床にふしていたようで、気を失っていたに近いのかもしれない。
外を見ると、やはり日は沈みかけの時間。きっと今日は、僕がこの地に来てから五日目の夕方だろう。お囃子の練習音などは聞こえてこないことから、今日の祭りは休止になるのだろうと思われた。
ふとそばを見ると、一人の女の子の寝姿があった。
「紬」
僕はそっと声をかける。すぅすぅと寝息を立てているけれど、枕もタオルケットもなく、敷布団すらない。集会所の座敷は畳だが、このままでは身体を痛めてしまうだろう。
「紬、身体カチカチになっちゃうよ」
僕は紬の肩に手をかけて揺らしてみる。少しだけピクリと反応があった。
「……あ、那都。起きた?」
「うん、起こしてごめんね。その格好じゃ辛いだろうと思って」
「ううん、大丈夫だよ。それより那都こそ平気? 急に倒れたって聞いて、慌てたんだから」
紬は半身を起こし、僕に視線の高さを合わせてきた。
「ごめん、みんなに迷惑かけちゃったかな」
僕は少し顔を逸らす。
「あ。うふふ、えっち」
紬は制服の着崩れをさっと直した。
「ずっとそばにいてくれたの?」
「そうだよ。那都、とても苦しそうな顔をしてたから」
「……そっか、情けない。ごめんなさい」
僕は自己嫌悪に沈んだ。仕事でここに来ているはずなのに、依頼を達成できないどころか、勝手に思い悩んで倒れ、皆に迷惑をかけるだなんて――こんな始末、あってはならないことだ。
「那都」
少し落としたトーンで、紬が僕の名を呼んだ。
「子供なんだから、そんなに気にしちゃダメだってば」
「子供扱いしないでよ。それに、紬だって僕と一つしか変わらないじゃないか」
「そうだよ。私たちはまだ子供」
「だからって、僕は“お仕事”でこちらに呼ばれて来てるんだ。こんなの、不甲斐ないじゃないか」
「ううん、いいんだよ。那都はしっかりやってる」
紬はあくまで僕を甘やかそうとする。布団から身体を少し起こした僕の手に、紬は手を重ねてきた。
「那都、みんな喜んでたよ。私は無理だと思ったけど……那都ならなんとかしてくれるかなって、ちょっと思った」
「あ、あのさ、それ……どういう意味なの? なにが無理だと思うの?」
いい機会だと思った。重ねられた手の温もりを感じつつ、僕は紬から視線を逸らす。
「そのまんまの意味だよ」
紬は外に顔を向け、天を仰いだ。カナカナという蝉の声が二人の頭を駆け巡る。どのくらい時が止まっていたのだろう。僕と紬はしばらくの間、この暑い季節の夕暮れを、二人で眺めていた。
「那都」
ひぐらしの声を割って、紬が僕を呼ぶ。
「私も一緒にがんばるよ」
そう言って笑顔を浮かべた紬は、僕のそばを離れ、庭へと出ていった。僕はその後ろ姿を、ただただ眺めているだけだった。
しばらくして、集会所に村長とその息子がやってきた。僕はすでに敷布団とタオルケットを畳み、すっかり元気になったことを伝えた。
「びっくりしたべ。本当に元気になってくれて、よかったべ」
「ご心配かけてすみません。本当になんだか、情けなくて……」
村長は依頼主として不手際があったことをしきりに訴えてくる。こんな思いをさせてしまうのも申し訳なかった。
「那都くん、どうか今日はゆっくり休んでください。また明朝にでもお話しをしましょう」
村長の息子も何度も頭を下げながらそう言った。
「わかりました。でも、どうかそんなに気になさらないでください。僕もしっかり体調管理します。ご迷惑をおかけしました」
その後、おかゆを出していただき、ありがたくいただいた。それからまた布団を敷き直し、床に着いた。
――翌朝。
朝景が少しだけ差し込む窓を見て、僕は起き上がる。ほどなくして村長はじめ村人たちが、この集会所へ集まってきた。
僕は皆に改めて謝罪し、それから今後について話し合うことになった。
「さて、これからについてですが」
村長の息子が話し始める。
「那都くんとの契約は今日で終わりになります。我々としてはこのまま契約どおり、打ち切りたいと考えております」
どうやら村人同士で意思確認を済ませていたようだ。
「あの、このままではなにも結果を出せずじまいです。せめて今日だけでも、祈祷をさせてください」
「いえ、ごくわずかでしたが雨雲は訪れました。これは那都くんのおかげです。あなたがいらっしゃらなかったら、雨粒ひとつ落ちてこなかったでしょう」
そうは言うが、あの程度では「もたらした」とは言い難い。僕でなくても、たまたまの可能性だってある。
「それと、祭りの日程は実は昨日で終わっております。今日は予備日という扱いです。この習慣を変えるわけにもいきません」
確かに、父に渡された日程表にもそう記されていた。僕も手帳を何度も見て確認済みだった。
だが、このまま何もせずにすごすごと退くのは――なにか違う、と強く感じていた。
『那都、君に期待してるからさ』
そんな声が、頭の裏で聞こえた気がした。僕にはやるべきことがある。そう自分に改めて言い聞かせる。
「祈祷だけでもさせてください。なにか、やれることはあるはずです。微力ですが、なんとかさせてもらえないでしょうか」
自己満足だ。けれど、それしかなかった。自分を奮い立たせ、そう言った。
「那都くん……わかったべ。今日以降の契約金は出せねえんだけども、この集会所にはいてもらってかまわねえ。やれるだけ、やってみるがいいべ」
村長はそう言ってくれた。おそらく僕が食い下がることを予想していたのだろう。
「ありがとうございます。全力で頑張りますので、どうぞよろしくお願いします」
「お願いしてるのはこっちだべ。そんなにかしこまらんでもいいべ」
村人たちは温かく笑ってくれた。僕は――きっとこの地に幸福をもたらしたい。そう願って、微笑み返した。