表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

2 予感

 時刻は十八時前。いよいよ祭りの時間が近づいていた。僕はすでに昼寝から目を覚まし、服も神主の装束(しょうぞく)を身に(まと)っていた。


 祭具(さいぐ)をバッグから取り出し、今回初日に使うものをひとまず揃え、小さな台車を借りて、祭りの本拠地である村の中心の広場へと向かった。


 太鼓や横笛の楽器を演奏する隊がすでに編成され、その者たちはヤグラの上へと進んでいく。ヤグラは三段になっており、上から二段目に太鼓、その下に笛、そして地上には舞を舞う者たちがいた。僕が向かうのはその一番上で、そこには祭壇が設けられているようだった。


 村人数人に手伝ってもらい、ようやく僕はヤグラの最上段に到達した。


那都(なつ)くん、少し足が震えてるけど、だいじょぶだべか」


 村人の若い男が、心配そうに声をかけてきた。もとから僕は高所が苦手で、こんなヤグラのてっぺんに登らされるなんて、まったく聞いていない。しかも屋台骨がしっかりしていないのか、それとも別の理由なのか、グラグラ揺れるという、ちょっとしたスリルを味わわせてくる仕様になっていた。


「だ、だいじょうぶです」


 僕がそう答えると、下にいる若者たちは一様に片頬を釣り上げて笑っている。バカにしやがって。僕はこれまで幾多の艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えてきたんだ。これしきのこと、どうということもない。


 そんなやり取りを経て、ようやく祭りの定刻となる。鼓笛隊は演奏を始め、舞を舞う者たちは神秘的な様子で華麗に舞った。


 同時に祈祷(きとう)を始めてください、と言われていたとおり、僕は父から指定されていた祝詞(のりと)()み上げ始める。お供物や蝋燭(ろうそく)などは村のものを使うとよい、とも言われていたので、あらかじめ村人にお願いしていた。


 やがて一時間ほど経ったころだろうか。少し風が吹き始めた。肌寒いというか、どこか季節外れな風向きと風量を思わせるものだった。次第に空は曇り始め、ポツポツと小さな雫が降り出した。


 村人は一斉に喜び、恵みの雨だ、神様に届いた、那都(なつ)くんのおかげだ、と口々に騒ぎ出した。その後、祭りも一区切りを迎え、雨足がほどよく強まったところで、各自撤退を始めた。僕も皆の様子を確認し、村人数人に手伝ってもらいながらヤグラを降りた。


「ほんとうに嬉しいべ。ようやく恵みの雨が降ってくれたべ。那都(なつ)くんのおかげじゃ。ほんとうにありがとう」


 村長は深い感謝の面持ちで僕の手を掴んできた。村人たちも手を合わせ、まるで僕に祈るように、神に捧げるように「ありがたや」と迫ってくる。


「今日の雨は小雨のようですし、明日からもまたこの儀式は続けましょう」


 僕はそう言って皆をなだめつつ、明日以降の計画を示唆した。やがて村人たちは集会所で(うたげ)を開き、僕もそれに参加し、このひとときの喜びを共に分かち合った。


 夜もだいぶ更け、酔い潰れる者も出てきたころ、僕は酒は飲めないながらも雰囲気に飲まれてしまい、ほどよい酔い心地を味わった。


 トイレに行きたくなり、集会所の広間を出て、廊下を進む。そこは昔ながらの作りのせいか、縁側(えんがわ)に面した少し開けた部分があり、庭へと出ることもできる。その場所に差し掛かったとき、ふと空を見上げると、雨雲はすでに去り、わずかな恵みだけを残して、一面の星空へと変わっていた。


「こんな程度の雨じゃ、なにも変わらないな……」


 そう一人ごち、また近い未来のことを思案しながらトイレを済ませ、広間へ戻る途中、ふと縁側に(つむぎ)の姿を見つけた。


 蝋燭(ろうそく)の光すらない薄暗い廊下に、(つむぎ)はぽつんと腰を下ろしていた。祭りの装束を(まと)い、まるで雨にでも打たれたかのように髪や衣が濡れ、雫がポタポタと廊下の板に落ちていた。


(つむぎ)、こんなところでどうしたの? それに、そんなに濡れていたら風邪をひいちゃうよ」


 僕は(つむぎ)のことをよく知らないが、一般的に暑い季節だろうと身体を濡らしていては、気化熱で体温を下げすぎてしまう。冷えた身体は免疫力を奪い、病を招くものだ。そんな心配から、思わず声をかけていた。


那都(なつ)


 (つむぎ)は庭に視線を向けたまま、僕の名前を呼んだ。それは間違いなく僕への問いかけだった。


 僕は返事をせず、というより少し考え込んでいた。そのわずかな間を置いて、(つむぎ)はすぐにこう言った。


「絶対無理だよ」


「……え?」


 咄嗟に口をついて出たのは、たった一文字。(つむぎ)がなにを言わんとしているのか、まったくわからなかった。


 (つむぎ)はさらに続ける。


「絶対無理だよ。私がどんなことをしても無理なんだもん」


(つむぎ)、なにを言っているのかよくわからないよ」


 ちゃんと一から説明せよとまでは言わないが、せめて脈絡くらいは教えてくれなければ会話にならない。


「いいんだ。そのうちわかるよ。でも那都(なつ)、あなたに期待してるからさ」


 そう言って(つむぎ)は庭へ歩き出した。カラン、と音もしない。


 僕は追いかけはせず、たださきほどの「どんなことをしても無理」という言葉だけが頭の中を支配した。あの暗い横顔から発せられた言葉は、それほどに印象的だった。


 僕は再び広間へ戻り、宴の続きへと身を投じた。


 翌朝。やはり雨は続かなかったようで、地面はすでに乾き始めていた。


「まあ初日にしてはこんなもんだべ。那都(なつ)くん、今日からもよろしく頼むべ」


 村長はそう言って僕を励ました。僕も実感していた。この感覚は――少し不安が残る。僕の少ないながらの経験からもわかる。この予感はあまり良くない。


 そして、その良くない予感は的中する。


 二日目、三日目も祭りは催され、初日と同じように雨雲は現れたが、やはり雨足が強まることはなかった。


 それどころか四日目には、雨雲すら姿を見せなかった。流石に僕も嫌な胸騒ぎを覚えた。このままでは足りないどころか、余計な期待によって不安ばかりが膨らんでいく。


 僕は集会所の電話を借りて父に連絡したが、「今のままで間違っていない。祈祷も変に変えるべきではない」と言われるばかりだった。


 しかし、五日目を迎えようとするこの切迫した焦燥感(しょうそうかん)は、どうしても拭えなかった。このまま同じことを繰り返しても無意味なのではないか、と。


 これまでの数日間、僕は懸命に取り組んできた。手を抜いたことなど一度もない。全身全霊を祈祷に捧げてきた。僕にできることは、今のところそれだけだ。それ以上の力を、この身から搾り出すことなどできやしない。


 僕はまだ未熟であることを重々承知していた。少し鼻にかけるところも、少し謙遜するところも、少し尊大な物言いだって、すべて僕という姿を形づくる要素に過ぎない。確かに同級生より優れている部分は自覚しているが、その一方で置き去りにしてきた部分も多い。そうやって足りない部分に気づき、後から埋めていくことで、僕は成長してきたつもりだった。


 それなのに――この焦燥感はなんだ。いままでの依頼でも、達成できなかった事案はあった。そのたび父は言葉をかけてくれた。もちろん父だって失敗の経験があってこそだろう。だが、今のこの感覚はちがう。


 そして、五日目の朝を迎えるころには、すでに僕の身体に不調が兆し始めていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ