開戦の火種
――爆発音が、空を割った。
瓦礫の雨が降り注ぎ、夜空を赤く染める。崩れた棟の隅、炎のゆらめきの中に、黒猫が一匹。
瓦礫の下で動かない、少年の身体にすがりつくように、猫は何度も仮面を被せようとする。壊れかけた装置が小さく火花を散らしていた。
仮面がずれ落ち、少年の頬が露わになる。
遠くから、近づいてくるたくさんの人の声。それを皮切りに黒猫の頭に浮かぶ結末。
このままではいけない。そういうように黒猫は、再び仮面をかぶせる。
猫の声が届いているのかどうか。血の気の引いた唇が、かすかに動く。
「……もう、いい……」
少年の声がと同時に黒猫は悲しそうに瞳を揺らした。
「……父さんに、会いたいなぁ……」
泣きそうな声が、爆風の中に消えた。
***
強風にさらされた荒れ果てた街。石造りの路地にはひびが走り、瓦礫の隙間に立つマーケットのテントが、かろうじて風に抗っていた。
「これが……“戦火の回廊”か」
キサラギが低く呟いた。
「前回の大陸会戦で壊滅した国だっけ? まだ人、住んでるんだな」
焔羅が腕を組みながら辺りを見回す。だがその廃墟の中には、妙な活気があった。
アリーナ。旗。歓声。
「……やってるな、武闘大会」
レイが唇を噛む。
中央の広場には巨大な観客席が設けられ、複数の国の旗がなびいている。その中心に、目立つ二つの掲示があった。
一つは、目を引く煌びやかな石。説明にはこうあった。
> 「才能の石:優勝者に授与。出場国は各自“才能”の証を出品」
そして、もう一つは、裏路地でキサラギが目にしたもの――
金の鳥かごに封じられた、微かに呼吸する“羽の光”。
> 「才能の石の他景品対象対象、“妖精”」
「……これが、セレナの依頼の“密売されていた妖精”か」
レイの声に、キサラギがうなずく。
「この大会で勝ち進めば、全部取り戻せるってわけだ」
キサラギは手元の端末を閉じ、短く言った。
「チーム登録は済ませた。ユルザ代表として、出場する」
――そのとき、風に乗って、どこか遠くから笛の音が響いた。
***
部屋の中には、古い木が軋む音と、蛍光石のほのかな明かりだけがあった。
床には古びた地図と、各国の出場者リストが無造作に広げられている。
その上に腰を下ろした面々の中心で、キサラギが膝に肘をかけたまま、静かに口を開いた。
「出場はこの六人でいく。アサヒ、兆、焔羅、紫、レイ──そして俺だ。
光は裏方で通信と情報補佐。俺も状況次第ではそちらに回る」
言い終えた瞬間、焔羅が早速口を挟む。
「弟くんも出場するの?」
急に名前を呼ばれたアサヒは、少しだけ肩をすくめて、気まずそうに笑った。
「……つぎなおした刀に、少しでも慣れておいた方がいいだろ」
「なるほどねぇ」
焔羅は短く返すと、隣に座るアサヒの髪を意味もなくかき回した。
「逆に、兄貴のほうはあまり前線には出さないようにする」
キサラギの声に、周囲よりも先にレイが困惑の表情を浮かべた。
「レイの判断力は、“場数”で育てるべきだ。
戦いの流れ、風向き、敵の癖、味方の限界──それらを瞬時に見抜く目を持っている。
だが、今のままじゃ、その視野は狭すぎる」
間を置かず、キサラギが言葉を継ぐ。
「だから、今回はあえて全体を見させる。
配置や采配も任せる。その中で、お前自身の力を、もっと具体的に理解しろ」
その言葉に重ねるように、通信越しの光の声が入る。
「……判断力がある人間がいるのは助かります。うちはバカが多いので」
淡々とした声で言いながら、光は視線の先で兆を見たが──兆にはその意図が分からなかったようで、ぽかんとした顔をしている。
レイは目を伏せたまま、小さく頷く。その肩には、どこか不安げな影があった。
それを見ていた紫が、低い声で言葉を送る。
「大丈夫だ。強い駒は揃ってる」
その短い言葉は、なぜか不思議と頼もしく響いた。
「……お前は、まず“味方を知れ”」
キサラギが低く重ねるように言った。
レイはようやく顔を上げ、皆の視線を静かに受け止めた。
「……わかった」
その短い返答のなかに、揺るぎない決意がにじんでいた。
キサラギは黙って頷き、焔羅がにやりと笑う。紫はわずかに目を細め、アサヒは少し戸惑いながらも拳を握っていた。
「まずは、予選で勝ち残らないとですけどね」
光の冷静な声が部屋に響く。
蛍光石の明かりが、かすかに揺れた。
それは、まるで──この先に待つ“嵐”の予兆のようだった。
***
薄暗い部屋に、機械の低音がかすかに響いていた。
通信機の前に立つ白衣の男。その背後、仮面をかぶった少年が、目を伏せて静かに佇んでいる。
足元では一匹の黒猫が、ふわりと尾を揺らした。
モニターには、才能の石と呼ばれる結晶の脈動が映し出されていた。
「……回収対象は、既に現地入りしています」
「兆候あり。石は再活性状態に入りました」
「では、計画を次の段階へ──混乱を、“収穫”の準備に使え」
白衣の男は振り返らず、ただ冷ややかに命じた。
その背を、少年はじっと見つめ続ける。
「……今年も、たくさんの材料が手に入るといいなあ」
間延びする声が、機械の音を濁らせるように部屋を満たす。
黒猫はくるりと少年の足元を回り、心配そうにその顔を見上げた。
少年──アギルは、それを合図に踵を返そうとした。だがその瞬間、背後から声が落ちてきた。
「……アギル、期待しているぞ」
仮面の奥、少年の瞳がかすかに揺れ、青白く光を宿す。
「……はい」
すべての感情を語りきるには良い言葉などなく、アギルは短い言葉で答える他なかった。
その時、黒猫の尾が、静かに、悲しげに揺れた。




