エピローグ:モモの庭
アサヒには、よく見る夢があった。
それは決まって、薄暗い部屋の中。
小さな鉄の輪に、手首を繋がれている。
錆びた鎖は、隣の少女へとつながっていた。
名前のない部屋。番号を呼ばれるのを、ただ待つだけの毎日。
息を潜めるように暮らす中、隣の少女だけが、よくしゃべった。
「ねえ、うちね、兄が一人、弟が一人いるの。でも、上の子はもう帰ってこないの」
「歌うの、好きなんだ。聞きたい?」
「私はね、モモって呼ばれてたことがある。おばあちゃんがつけたの。ぜんぜん似合わないでしょ?」
ふわりと内巻きに癖づいた明るい髪。
その子は、たまに透き通る声で歌ってくれた。
アサヒは、それをじっと聞いていた。
モモはよく、自分の弟の話をしていた。泣き虫で、すぐ風邪をひくけど、笑ったときに歯が一本足りないのが可愛かったって──。
アサヒはそれを聞いて、なぜか胸の奥がきゅっとしたのを覚えている。
いつの間にか、彼は自分の手錠の番号シールを剥がしていた。
何日もかけて、少しずつ、少しずつ。
そして、彼より若い番号をつけられていた彼女──モモの手首と、そっと交換した。
──モモが呼ばれなければいい。
ある日、扉が開いて、足音が割って入る。
「114番」
呼ばれた番号に、アサヒはゆっくりと立ち上がる。
モモが、少し驚いた顔をした。アサヒは笑った。
けれど。
「……114番は、女のはずだろう」
職員が怪訝そうに言い、目線を巡らせる。
気づかれた。
そして、何も言わないモモが、代わりに立ち上がる。
アサヒはただ見ていた。
笑ってみせようとしたけれど、モモはそれ以上に、穏やかに笑った。
振り返りざまに、彼女が口にした言葉。
「……もっと、早くあなたに会えてたら、良かったのに」
その笑顔のまま、モモは扉の向こうへと消えていった。
──パチン。
暗転する視界の中、遠くに見知った人影が揺れる。
『あなたみたいな子が、何かをしたら──とても迷惑だわ』
母の真っ黒な瞳には自分が映っていなかった
身体中の血が沸騰するのが分かった。熱くやるせない強い感覚。
アサヒは自分の大きな心臓の音で目を覚ました。まるで心臓が、自身の過ちを数えているみたいだった。
開けたままの窓から、薄く風が入ってくる。
カーテンがゆれて、朝の気配が部屋に差し込んでいた。
夢なのか、現実なのか。
触れた記憶の輪郭だけが、指先に残っている。




