エピローグ:赤黒い瞳と紫水晶の記憶
ふと、冷静になったとき――あまりにも頭が冴えるのが、耐えられなかった。
鉄の匂い、床に広がる赤。
その中で、紫水晶のように揺らめく自分の光が乱反射している。
自我が希薄になっていた時の記憶は、かえって鮮明だった。朧げであるはずなのに、現実よりも強い感覚で焼きついている。
残り香のように身体に染みついたその感覚を持て余しながら、紫は周囲を見渡す。
恐怖の目。
侮蔑の目。
利用するための目。
母が最後に言ったのは、「化け物を産んでしまった」という言葉だった。
それ以来、会っていない。
母の行動も、周囲の眼差しも――その意味が、痛いほど分かってしまう。
世界はあまりにも自然に、紫を異物として見た。
悲しむことも、逃げることも、許されなかった。
いっそ、ずっと狂ったままでいられたら良かった。
そのとき、黒髪の女が、無造作に紫の頭を撫でた。
「……お前はただの子どもだよ」
タバコの香りとともに聞こえるその声は、まるでこちら側に来るなと警告するようだった。
だが彼女の笑顔はぐにゃりと歪み、やがて血に染まって消えていく。
──血の海。
その中心で、紫を見上げる赤黒い塊。
恐怖も拒絶もない、向けられたことのないまなざし。
それはまるで、救いを求める者の瞳だった。
刃の先にある自分すら、赦そうとするような目。
紫の手が、わずかに震えた。
「……どうして、そんな目で見るんだ」
呟いた瞬間、彼の目は“救われる者”から、“救う者”のものに変わっていた。
紫は、どうしようもない期待を抱いていた。
この少年なら、自分を全て狂わせてくれるかもしれない――と。
その瞬間、泡のように記憶が弾けた。
目を開けると、暗い部屋。
両腕を掴まれ、至近距離で焔羅と目が合う。
「……勝手に部屋入るなって言っただろ」
紫は壁にもたれてベッドで眠っていたようで、身体の節々が軋む。
「……今さらじゃない?」
焔羅は紫の瞳を見て離さず、目元を細める。紫は自然と眉間に皺がよる。
「あー、さっきも見たな、そんな顔ー」
そう笑いながら、焔羅は先ほど会ったレイを思い出す。
「……明日から、紫ちゃん一人で任務でしょ?」
赤黒い目が、わずかに光る。
「紫ちゃん、ひとりじゃ、何もできないでしょ?」
両腕に込める力が、少し強くなる。
「……いつの話してんだよ」
焔羅の笑みが一瞬消える。そしてまた、笑みを貼りつけるように戻す。
だがその笑みには、怒りと不安が滲んでいた。
「──なまいきー。ユルザで暴走してたくせに」
目を伏せた紫に、焔羅が言葉を重ねる。まるで、隙を見つけて責め立てるかのように。
「いい大人が、さ」
紫の頬を乱暴に掴み、無理やり目を合わせる。
「…ちゃんと、わかってるの?」
焔羅の目を紫はしっかりと見つめ返す。
「…心配しなくても、お前をひとりにして、置いていかない」
数秒の沈黙。
焔羅は紫の頬から手を離し、項垂れるように肩にそっと額を預ける。
「……なまいきー…」
その声だけが、静かな部屋にぽつりと落ちた。




