エピローグ:忘却の傍で
殲滅された施設に、兆と光は足を踏み入れていた。
かつて子どもたちを対象に、数々の非人道的な実験が行われていた場所。今回は、その廃墟となった施設の調査と、技術や資料が流出しないよう封鎖処理を行うため、そして──どのような原理かは不明だが、“人間そっくりの兵器”が開発されていたという噂の真偽を確かめるために来ていた。
「……上の階に、何かありそうです」
光が小型端末を確認しながら言う。
「ただ、東側の階段は崩落していて、使えそうにありません」
「そうか」
兆は短く返事をした。
「遠回りになりますけど、西の階段を使うしかなさそうです。ただ……あちらには、実験動物の残党がいるかもしれないので、注意が必要かと」
「じゃあ、東側の階段を使えばいいんだな」
「……話、聞いてましたか?」
呆れたような声が返る。
「え?」
とぼけたように振り返る兆に、光は小さくため息をついた。
廊下の先に、一枚の鉄扉。
かつて兆が“入れられていた”拷問部屋だ。
その扉に、兆の視線が自然と向いてしまう。
金属の擦れる音。焼けた電気のにおい。冷たい拘束具の感触。
断片的な記憶が、肌の内側を這うように浮かび上がってくる。
「……先輩は、その……人型兵器を見たこと、ありますか?」
少し間を置いて、光が訊ねてくる。
「……ああ。ある」
兆は静かに答えた。
「この前、話した。あの変な拷問官。……あいつ、自分のことを“機械”だって言ってた」
光の声が、かすかに沈む。
「……その人と、よく話されたんですね」
兆は少しだけ眉をひそめた。
思い出そうとしても、靄のように曖昧で、つかめない。
確かに何かを話した気がする。けれど、その内容がぼやけていく。
痛みや恐怖の感覚は鮮明に残っているのに、声や顔だけが、水の中に沈んでいくように遠ざかる。
――何を、話したんだっけ。
何か、大切なことを話した気がするのに。
頭の奥に、鈍い痛みがじわじわと広がってきた。兆は考えるのをやめた。
「あんまり、覚えてないな」
ぼそりとこぼして、兆は歩き出す。
その背中を、光は無表情で見つめる。
けれど、瞳の奥に浮かんだのは──懐かしさと、ほんの少しの寂しさだった。
「……ほんとに、頭悪いですね」
その言葉には、いろんな意味が込められていた。けれど、兆には伝わらない。
「……え?」
兆がいつものように振り返る。
「そっちは南です」
くるりと向きを変える兆の背に、光は黙ってついていく。
──何も言わない。でも、傍にいる。
その在り方が、ふたりの過去を、ほんの少しだけ肯定しているようだった。




