エピローグ:あぶくの時間
演習の帰り道。
レイは一人、隊の流れから外れて、少しだけ遠回りの帰路を選んでいた。
「まーた眉間にしわ寄せちゃって。若いのにはげるよ?」
不意に後ろからかけられた声に、レイは足を止めた。
振り返ると、焔羅が瓶ジュースを二本持って立っている。
「……なに」
「奢るから、ちょっと付き合ってよ」
そう言って、有無を言わせず近くのベンチに腰掛け、レイの腕を軽く引いた。
小さく顔をしかめながらも、レイは隣に座る。
ジュースの瓶を開ける音が、夏の夕方の空気に溶けた。
しばらく取り留めもない話をする。隊の訓練のこととか、誰が転んだとか、くだらないことばかり。
けれど、通りすがりの誰かが焔羅を見て、ひそひそと声を漏らした。
──「あれ、あの刺青って……」
──「……物騒ねぇ」
聞こうとしなくても聞こえてくる。
焔羅は、笑いながら瓶をくるくると回した。
それから、ふとレイの方を向いて、自分の目の下──罪人の印を指差す。
「……怖い?」
試すような、笑いを含んだ声だった。
レイは少しだけ視線を落としてから、短く返す。
「……べつに」
「わー、超ドライ」
そうふざけて肩を揺らす焔羅に、レイはまた眉をひそめる。
その顔を見て、焔羅は満足そうに笑った。
「……紫ちゃんもよく、そんな顔するんだよね。昔は俺の後ろにちょこちょこついてきて可愛かったのに」
「そういうとこだろ」
レイの声は冷たかったが、その内側にほんのわずかな戸惑いが混じっていた。
「はー、おかしい……」
焔羅は笑いを噛み殺すように、手で口元を覆った。
だが、笑いながらも、その目はまっすぐにレイを見ていた。
──この子は、ほんとに“子ども”になりきれない子だな。
焔羅はふと、眉間に皺を寄せるレイの額に自分の指先を伸ばして、軽く押す。
「レイくん、もう少しお馬鹿になった方が幸せよ?」
その手を払いのけながら、レイはぽつりと問う。
「──ほんとうに?」
たったそれだけ言葉。レイの揺れないまっすぐな瞳が焔羅をとらえる。
焔羅は一瞬だけ遠くを見るような目をして、ふっと笑った。
「……ほんとう。賢いくせに、お馬鹿だよねえ」
そう言いながら、心の中には紫の顔が浮かび、
そしてもう一人、どこかで同じように黙って背を向けているキサラギの姿があった。
──そういうのばっかだな、俺の周り。
焔羅は空になった缶を片手で潰すと、立ち上がった。
「じゃ、また眉間しわ寄せて歩いてたら、学校の名簿の特記事項にこっそりハゲってかいちゃうよ」
それだけ言って、ひらひらと手を振りながら歩き出す。
レイは何も言わず、その背を見送った。
ただ風だけが、二人の間に吹いていた。




