表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第八章 責任のありどころ
90/174

逃走と代償

 焔羅がキサラギたちに背を向け、闇に消えたあと。

 しんと静まり返った空気の中で、キサラギは自分の手をそっと握る小さな手に気づく。

 顔を上げると、怯えた少女がじっと見上げていた。

「……とりあえず森を抜けよう。人里に降りるんだ」

 そう告げた矢先、背後で木々が揺れる音がした。

 空気が凍る。追手かもしれない。

 キサラギは前に出て、息を殺して様子をうかがう。

 茂みから現れたのは――見知った顔だった。

「…兆?」

 お互いの姿を見た瞬間、胸の奥にある何かが震えた。

「生き、てた…」

 キサラギの表情が、ほのかに緩む。

「…なんとか、な」

 兆は傷だらけの体を引きずって近づいてくる。

 まわりを見渡し、数が減った仲間たちに気づいた。焔羅も、ユラもいない。

 彼は、何も言わずに目を伏せた。


***

 先ほどの騒がしさは嘘かのように静かな施設の裏門。

 ユラが倒れていた場所には、もう誰もいない。

 他の子どもたちの姿すら消えていた。

(あの弾は……致命傷じゃなかったはずだ)

 焔羅は地面を見つめ、遺体がないことに一縷の望みを抱く。

 そのとき――懐中電灯の光が顔を照らした。

「いたぞ! 撃て!」

 複数の銃口が向けられる。

「待て!」

  一人の職員が声を上げた。

「こいつ、逃げた連中の居場所を知ってるかもしれん。拷問室へ連れて行け」

 焔羅は殴られ、引きずられるように闇の中へ消えた。


***

 森を抜けるためキサラギたちは、舗装されていない道をひたすら歩いていた。

 誰もが疲れ果て、顔に生気がない。

 きょうだいを失った者、友を置き去りにした者――声もなくただ進む。

 その沈黙を破るように、一人の少年がキサラギに詰め寄った。

「なあ……お前、どう責任取るんだよ」

 キサラギに詰め寄る少年の目には、憎しみが滲んでいた。

「いっぱい死んだんだよ……俺の弟も……」

 少年はキサラギの胸倉をつかむ。キサラギは表情一つ揺らさない。

「こんなことなら…みんなでのたれ死んだ方がマシだった」

 言葉は刃のようだった。だがキサラギは、何も言わなかった。ただ、痛みを受け止めるように、少年の怒りに身を委ねた。

「返せよ……あいつを……みんなを……」

 淀んだ瞳に移るキサラギの表情は何とも言えない顔をしていた。

「じゃあ、勝手に死んどけよ」

 兆の低く乾いた声。

「誰かが言わなきゃ、全員死んでた。俺も、お前も」

 ひどく鋭く正しい言葉。

「やめろ、兆」

 キサラギが遮る。キサラギは分かっていた。

「……いい。恨めばいい。俺を殺したいくらいに」

 誰かを恨むことでしか、この痛みを保てない。

 風が吹いた。

 どこかで鳥が鳴いた。

 太陽が、まだ遠い空ににじんでいた。


***

 照明の届かない薄暗い部屋。コンクリートの壁は湿り気を帯び、鉄錆と薬品の匂いが混じっていた。

 天井から垂れる水音が一定のリズムで響いている。古びた器具が棚に並び、どれも人の形に合うよう曲がっていた。

 その中央、焔羅は古びた金属の椅子に縛り付けられていた。手足には縄が食い込み、口には硬い布が詰め込まれている。

 足の指先が痺れていた。口の中には、自分の血の味。どこか切れているのか、もはや分からない。

 目の前には一人の職員。顔は見えない。仮面のような無機質な表情で、手元の器具を淡々と整えている。

「――どこへ向かった?」

「誰が指示した?」

 低く、飾りのない声。まるで天気でも聞くような調子だった。

 焔羅は答えようとしても、声にならない。ただ息を吐くだけ。唇を震わせても言葉にはならなかった。

 じわじわと額から汗が垂れ、耳元まで滑っていく。

 彼は目を閉じ、耳を澄ました。

どこかに、ユラの気配は――。

……ない。あまりにも、静かだった。

 視線を横に向けると、棚の上に血の色が残る道具が見えた。

 それが何を意味するのか、彼は知っていた。


「言えば、助けてやるよ」

 そっと解かれる口元の布。男の言葉が、部屋の空気に沈んだ。

 焔羅の心が、一瞬だけ揺れた。

 言えば――誰かが助かるかもしれない。

 けれど、言ってしまえば。

 キサラギも、妹も、もう二度と――。

 焔羅は、目を細め、首を横に振った。

 やがて、布ごしに小さく呟く。声にはならないが、その意味ははっきりしていた。

「……知らないものは答えられない」

 男は無言のまま器具を取り上げた。

 照明がその金属の刃先を鈍く光らせた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ