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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第八章 責任のありどころ
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自由のにおいと

 夜の帳が施設を包み、沈黙が支配する。

 その中で、ほんのわずかな“ノイズ”が走った。

 靴紐を結ぶ音。背に触れる指先。まばたきのリズム。

 それが、彼らの“起動の合図”だった。

 子どもたちは、一斉に静かに立ち上がる。

 音を立てず、暗闇の廊下に足を踏み出した。

 数えたタイル、擦れた角、軋む扉——すべてが、脱出の地図だった。

 先頭を歩く焔羅が、息を呑み立ち止まる。

 廊下の先、見張りの影。

 全員が息を潜める。焔羅は小さく手を上げ、後続を制止する。

 キサラギと視線を交わす。焔羅は小さく頷いた。

 影はしばらくその場に佇んだ後、方向を変え去っていく。

 キサラギも頷き、進行再開。

 しかし、次の扉の前で焔羅が顔をしかめる。

「……開かねえ」

 予定のルートに、新しい鍵が取り付けられていた。

 地図にあるはずの出口が、封じられていた。

「……どうする」

 その時、キサラギがポケットから小さな袋を取り出した。

 中には古いカードキーと針金、紙くずのようなメモ。

「兆の、置き土産だ」

 そこには、別ルートとロック解除の手順が記されていた。

 全員が無言で頷き、再び足を踏み出す。

「……来た」

 キサラギの低い声が響く。

 目の前にそびえる、最後のゲート——第二管理門。

 その先には、外の世界が待っている。

 そのとき——

 ガンッ!

 後方の子が段差に足を取られ、金属音が響いた。

 次の瞬間、施設中に警報が鳴り響く。


***

「この個体、回復力が異常です」

 その声は、研究員ではなかった。

 無機質な響きを持つ、人工音声。拷問部屋にもいた少女。

「ここまでの投薬を耐えたのははじめてだ」

 処置室の中央、点滴の管につながれた兆がうつ伏せに倒れている。

 身体中に包帯。破れた服の隙間から痣と傷。呼吸は浅く、意識はない。

「骨格と神経系への反応確認を優先してくれ」

「承知しました」

 少女はその横に膝をつき、手順通りの動作を始める。

 だが、その指はほんのわずかに震えていた。脳裏に焼きついていた兆の言葉。

『…お前も俺が食ってやろうか?鉄でもなんでも、気にしない』

「……記録開始。試験No.45、対象:87番。異常回復の検証」

 少女は小声で、モニターの死角に手を伸ばした。

 その時だった。警報音が鳴り響く。

「…なんだ!」

「モルモット達が脱走を図ってるようです!!」

 騒がしくなる施設内。

「…お前は、こいつを見ていろ」

「…承知、しました」

 静かな処置室に。遠くから聞こえるサイレンの音だけが響く。

 少女はじっと兆のぎらついたままの目を見た。

 そして、静かに兆の拘束している手錠を外す。

「……なんで」

 兆は静かに問うた。

 少女は胸の奥で、確かに“なにか”が芽生え始めていた。

「家族と同じところにいくんでしょ?ここで死んだら、あなたもお墓に入れない」

 命令を受けて動く機械には不要なもの。

 それでも彼女は——この日を境に、兆という存在を忘れられなくなった。


***

「……走れ!!!」

 警報が鳴り響き、背後から迫る怒声と足音にキサラギは叫んだ。

 そこにいた全員が、フェンスだけ見て足を回した。

 誰かが悲鳴をあげた。

 誰かが撃たれた。

 誰かが倒れる気配。

 それでも、子どもたちは走った。

 前だけを見て、ひたすらに走った。

「振り向くな!!走れ!!」

 キサラギの声が響く。

 次々と子どもたちがフェンスを登っていく。

「ユラ!!」

 フェンスの上から焔羅がユラに手をのばす。

 その瞬間——銃声が響いた。

 ユラの身体が、力を失い、フェンスの向こうに崩れ落ちる。

「……っ!!」

 焔羅が追おうと身を乗り出す。

 キサラギが彼を必死で引き戻した。

「もう無理だ!!」

 キサラギが彼を引き戻す。

「……っ!!」

 焔羅はキサラギに引きずられながら、ユラがいた場所を見つめ続けた。

***

 フェンスの外。

 誰もいない闇と、風の匂い。心臓の音が鳴り響き、身体が熱い。

 胸の奥が痛く、叫びたくなる。

 たくさんの子供がいなくなった事実は頭で理解していた。

 だがどこか薄い膜の張ったような現実感のなさ。

 キサラギの選んだ道。 

「これが……外の匂いか」

 誰かがそう呟いた。

 自由の匂い。

 だが、解放感ではなく、喪失と決意が彼らを支配していた。

 焔羅は、しばらく空を見上げていた。

 そして、静かに言った。

「……俺は、戻る」

 キサラギは、縋るように焔羅の両腕をつかむ。

「…だめだ、頼む……いくな」

 幼いキサラギには、重すぎた責任。これ以上、誰かが死ぬのは見たくない。

 焔羅はその顔に痛々しい顔で笑う。

「…ごめん、ごめんな。そうだよなぁ、今お前が一番きついよなぁ…ごめんな」

 焔羅は自身をつかむキサラギの手を静かに優しくほどいた


「妹を置いていけない」

 その目には、涙ではなく——覚悟が宿っていた。


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