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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第八章 責任のありどころ
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その手はまだ熱いまま

 何度殴られたかわからないが口の中は鉄の味がした。

 鋼の枷が、手首と足首を締めつけていた。

 冷たい金属の台に押さえつけられた身体は動かせない。

 それでも、キサラギの目だけはぎらついていた。

 無感情な職員の顔を、睨みつけるように。

「……睨み方だけは一丁前だな」

 職員のひとりが、乾いた声で笑った。

「だがまだ、お前は“完成”してない。殺したら、もったいない」

 その言葉に、別の職員が応じる。

「……お前みたいな無知なガキには、殴るより見せた方が早いかもな」

 拘束されたままのキサラギは、無理やり“処置室”へと引きずられていく。

 薄明かりの中。薬品の匂いと、機械音が混ざりあった部屋。

 ガラスのカプセル、冷たい器具、そして——

「……!」

 そこには、数人の子供たちがいた。

 ベッドに寝かされ、チューブに繋がれ、瞳が虚ろに泳いでいる。

 ひとりの少年が、キサラギの視界に入った。

 さっき“処置室送り”にされた、あの子だった。

 顔色は青白く、手足は力なく垂れ下がっている。

「……どう、しよう……」

 少年は、何かが崩れるような声でつぶやいた。

「……こんな、なっちゃった……」

 彼の両腕と足は、もう“腕”や“足”と呼べる形をしていない。

 骨が溶けたように関節が歪み、皮膚の下に黒い管が走っていた。

「ちゃんと帰んなきゃ……母ちゃんと……弟……待ってるのに……」

 言葉の合間に血の泡がこぼれる。

「二人とも身体弱いのに……俺まで、こんなに……なったら……」

 声は泣いていたが、涙は出ていなかった。

「……足、くっつくかな……どうしよう……」

 キサラギは目を逸らそうとした。

 だが、職員がその顔を無理やり掴み、少年の方へ向けさせた。

「見ろ。お前が助けられなかった“個体”だ」

 先ほどの怒りの熱とは違う熱が頭を揺らした。今まで遠くから聴いていた悲鳴の正体。

「こいつは弱かった。もう限界だな」

 職員はそう言いながら、注射器を持ち上げる。

 点滴のパックに薬液を注ぎ足し、レバーに手を添えた。

 そのとき、キサラギの口が開いた。

「……やめろ」

 低く、かすれた声だった。

 職員の顔が笑った。

「ああ、お前にはこういうのが効くんだったな」

 キサラギの手首に、透明なパッチが貼られる。

「暴れるなよ……ちょっと試すだけだ」

 数秒後、身体から力が抜けていく。指が浮いたように動かない。

「“力を込められない”ってのは、案外、屈辱的だろ?」

 手枷が外される。だが、力は入らない。

 キサラギは再び引きずられ、処置台の横に座らせられる。力の抜けた腕を、職員がレバーに乗せた。

「よし、そのまま」

 パッチに繋がったチューブから、電流が走る。キサラギの指が、意志と無関係に動いた。

「やめろ……いやだ、やめてくれ……!」

 声は震え、目は見開かれる。だが手だけが、静かにレバーを押し下げていく。

 職員が耳元で囁いた。

「せめて、最後の言葉くらい聞いてやれ」

レバーが完全に下がる直前。少年と、目が合った。

「……助けて……」

***

 ——カツ、カツ、と廊下を踏みしめる音が近づく。

 扉が開く。

「……戻ったのか」

 キサラギの顔には、新たなあざが増えていた。口元は切れて、乾いた血がこびりついている。

「大丈夫か?」

 焔羅の声が、現実を引き戻す。

 けれど、その瞬間——キサラギの脳裏には、さっきの光景が焼き戻った。

 レバーが、落ちる。

 音はしなかった。ただ、ぽとりと何かが終わった気配だけが、静かに部屋を満たしていた。

 目の前の少年が、微かに瞬きをした。呼吸が止まり、身体から力が抜けていく。

 どこか安堵したような、許したような、でも本当はまだ生きたかったような、そんな目だった。

 キサラギの指先は、震えていた。

 握らされただけのその手に、決定的な感触が残っていた。

 ——これは、殺意じゃない。

 俺は、望んでない。

 ……なのに、俺の手が命を終わらせた。

 キサラギは、パッチを貼られた手をもう片方の手でぎゅっと握りしめた。

 ユラが、布切れに包んだぬるい水を、そっと置いた。

 誰も何も言わない。沈黙の中、器の中の水面だけが微かに揺れている。

「……あいつの目が……最後まで、俺を見てた」

 湿った沈黙だけが、崩れそうな頭をどうにか支えていた。


***

「……キサラギ」

 誰かの声が、闇を破った。

 目を開けると、そこはもう冷たい独房ではなかった。

 薄暗い会議室。窓の外は、灰色の空。冷えた空気が静かに流れている。

「……キサラギ、居眠り?」

 ニアだった。

 彼は机の上でスケッチブックを開き、静かに鉛筆を走らせている。

 ——レバーを握る手。

 涙のない瞳。

 終わりかけた命の横顔。

「……勝手に人の夢、覗くなよ」

 キサラギが、バツの悪そうな声で言う。

 ニアは少し肩をすくめ、言った。

「……僕がちゃんと覚えとくから。キサラギは、忘れてもいいよ」

 冷たいような、温かいような声だった。


「……忘れねぇよ」


 かすれた声が、静かに落ちた。


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