静かに閉まる扉
兆の声は低く抑えられていた。
壁のホログラムに映るのは、古びた孤児院の外観と、赤く点滅する警告マーク。
「ああ。名前こそ“孤児院”だの“病院”だの取り繕ってるが、中身は例の組織と繋がってる。人体実験、動物実験、才能の石の違法使用……現場には火薬の痕もあった。暴走個体の実験場だろうな」
「……よくわかんねえが、言われた場所に行って暴れればいいんだな」
兆は相変わらず淡々としていた。
キサラギは小さくため息を漏らす。
「……つくづく、お前は知能を捨てて耐久力に全振りしたタイプだな。……まあ、だからこそ、あんな施設で生き延びられたんだろうけどな」
「…確かにそうだが、俺の担当、拷問係が変わったやつだったしな」
そんな会話をしていると唐突に背後の扉が開く。
「センパ……あ、キサラギさんもいらしたんですね」
光だった。白く整った顔に、機械のような無感情な声が重なる。
「次の任務の話をしていたところだ」
「……頭の悪い部下を持つと、大変ですね。お疲れさまです」
「え」
兆が反応するも、光はキサラギに視線を移す。
「お前にも同行してもらうかもしれない。よろしくな」
そう言い残して、キサラギは部屋を出ていった。
静かになった室内に、二人だけが残される。
「センパイたちも、施設の出なんですね」
その言葉に表情はない。だが、光の瞳だけが兆を真っすぐにとらえていた。
「……聞いてたのか」
「あんな大きな声で言ってたら、いやでも聞こえますよ」
「……あんまり、覚えてねぇけどな。あそこにいた記憶は……全部、どうでもよくなった」
少しの沈黙。光の肩が、わずかに震えたように見えた。
「…センパイは、やっぱバカですね」
「え?」
兆の声が静かな室内に響いた。
***
兆が連れていかれてから、何日が経ったのか。
時間の感覚はとっくに薄れていた。
夜が来るたび、誰かのベッドが空になる。
朝、番号で呼ばれた子どもが戻ってこない。
みんな知っていた。「選ばれたら終わり」だと。
でも誰も言わなかった。言ったら、次は自分が選ばれる。
その朝も、無言の列が食事を待っていた。キサラギは焔羅とその妹・ユラの後ろに並ぶ。
「…帰ってこないな」
キサラギの言葉に焔羅は少し顔をふせ、顔を歪める。
「…もしかしたら、もう」
その時だった。
「…52番。今、何を隠した?」」
最悪な想像は途中で止められた。
「違います、あの……すみません、ぼく……!」
職員の声が響いた。
子どもの一人が、腕を掴まれて震えていた。
足元にはナイフ——食事用のナイフが転がっている。
「…そういえばお前はスリをして、ばれて、ここに売り払われたんだったな。これはなんに使うつもりだった?」
静かに目をふせる子供に、職員は言葉を続ける。
「ちょうどいい。お前は“準備”が整っている個体だ。処置室行きだな」
「やだ……やだっ……!」
体が勝手に動いた。
「やめろ!!」
自分でも驚くほどの声が出た。
瞬間、空気が凍る。
職員がこちらを振り返る。その目には、怒りも困惑もなかった。ただ“静かな処理”を遂行する目だった。
「反抗的だな。……お前も、“わからせた”方がいいか」
乱暴に腕を掴まれる。
「…キサラ…っ」
焔羅が声を上げようとした時、キサラギは目で言葉を制す。
焔羅が声を上げかけたが、キサラギは目で制した。
その視線の先には、怯えて震えるユラがいた。
無言で引きずられる。
廊下を進む。冷たい金属の床。鉄の匂い。
一歩進むたび聞こえる叫び声、身体がこわばる。
——そのときだった。
扉のスリットから、視線が吸い寄せられた。
白い照明。固定具。血のついた床。
そして——
「……兆……?」
ぐったりと倒れていた。
服は破れ、血に塗れている。
目は半開きで、意識があるのかもわからない。
「見るな」
職員の手が視界を遮る。
キサラギはただ、唇を噛みしめていた。
やがて扉の前に着く。
“折檻部屋”——と呼ばれている、何もない部屋。
でも子どもたちは知っている。ここから出てきた者は、以前と同じ顔ではなくなる。
ドアが閉まる。
冷たい音だった。




