肉と骨と石と、叶わぬ祈り
「死者に名はいらん。おまえらは“歴史にない”存在だ」
あの兵士の声が、耳の奥にこびりついている。
鉄の匂い、そして火薬と煙の匂い。
目の前にあるのは、肉と骨の山だった。
父も、母も、兄も。どこにいるのか、もはやわからない。
遠くから、子どもたちの泣き声が聞こえていた。
兆は、その山にゆっくりと歩み寄った。
ぐちゃり、と湿った音が足元で鳴った。
開いた口に、肉の塊が運ばれる。
骨も、石も。
喉を通っていくたび、兆の喉から重い音が漏れる。
***
目隠しと拘束具が外されたとき、兆は冷たい金属の台の上に寝かされていた。
周囲は白い壁。無機質なライトが、まるで手術台のように彼の顔を照らしている。
見下ろしていたのは、一人の少女だった。無表情な、整った顔立ち。真っ白な研究服を着ているが、年齢は兆より少し上で16,7歳くらいだろう。
「対象No.47、骨異物の消化反応、異常なし」
淡々と、彼女は読み上げる。
声に温度はなく、ただ記録をこなすだけの存在だった。
「……何個食べた?家族の石を」
兆は、うめき声のように返す。
「……何十個、食ったかわかんねぇ……」
言葉が乾いていく。
自分の声ですら、他人のように聞こえた。
「身体の異常は?」
「死なない、ってのが……そんなに都合悪いのかよ」
少女は黙ったまま、記録を続けている。
指先一つ動かさず、まるで機械のようだった。
「なぜ、食べた?」
「…俺たちに墓なんて大層なもん作られない。だから……皆と同じ場所に行けるようにって、食った。骨も、肉も、石も――全部」
ぽつりぽつりとこぼす言葉に少女はほんの少しだけ、眉を動かした。
「お前は、そういうの信じないのか」
兆の問いかけに、少女はすぐに答えた。
「私は骨も肉もない。作られた機械だ。人間の信じることなんか知らない」
兆は虚空を見つめたまま、静かに呟く。
「……なんか、かわいそうだな」
その言葉が彼女に向けられたものか、自分自身に向けたものか――彼自身にも分からなかった。
「…お前も俺が食ってやろうか?鉄でもなんでも、気にしない」
少女の目が一瞬だけ揺れた。そして、乾いた笑みを浮かべて答えた。
「私がお前ら一族と同じ場所いったら、それこそ、天国でも地獄でも、ろくなことが起きない」
そう言って、注射器に手を伸ばしかけたそのとき――
『やめろ、今は無理だ』
別室から男の声が響いた。
『例の切り替え処理が優先だ。こいつは、またあとででいい』
カチリ、と注射器が机に戻される音。
制止の言葉の前に少女の指がわずかに止まった。兆にはそれが、わかった。
彼女は、ほんの一瞬、兆の顔を見た。まるで“何か”を確認するように。
その目は、どこまでも無色で。けれどどこか、冷たさではない何かを宿していた。
***
「あれは、何をしてるんだ?」
まだ町にいた頃、物資の運搬で隣町に出たときのことだった。
黒い服を着た人々が、並んで石の前で何かをしていた。
兆は父の横で荷車を押しながら、その光景を見つめて問いかけた。
「ああ、あれは葬式だ。誰かが死んだんだろう。家族は同じ墓に入るんだ」
「なんで?」
「同じ墓に入れば、死んでも会える。行く先が一緒だからな」
兆は目を細め、その黒い人影を見つめた。
「じゃあ、俺も父ちゃんと同じとこに行ける?」
「…無理だろうな」
「母ちゃんは?兄ちゃんは?」
「俺たちは、墓になんか入れねぇ。そこらに捨てられるだけだ」
「なんで……?」
問いかける兆に、父はふと手を止め、呼吸を整える。
「……昔、俺たちの祖先が反乱を起こしたんだ。負けて、罪人として扱われるようになった。それだけのことだ」
父の声は、努めて平静を装っていた。
「…そうか、じゃあ、俺が父ちゃんも母ちゃんもにいちゃんも、同じ場所に連れってってやる」
「…無理だ」
「無理じゃない。みんなの骨も、肉も、俺が全部食う。そしたら、一緒に行けるだろ」
父は何も言わず、再び荷車を押し始めた。
その横で、誰かの嗚咽が風にかき消された。




