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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第八章 責任のありどころ
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獣の名を借りて

 時計の針が、無機質な音を刻んでいた。

 書類が積み上がったままの机に、渋い色のスーツを着た男たちが数人立っている。軍上層部、評議会、技術局、それぞれの権限を背負った者たち。

 キサラギは椅子に深く腰かけ、右手で顎を支えながら黙っていた。

「……君の部隊について、少々話があってね」

 最初に口を開いたのは、評議会の老いた男だった。笑ってはいるが、声には棘がある。

「実績は申し分ない。しかし、外部の目というのは、なにかと敏感でね。君の調査員たちは――少々、型破りすぎるようだ。『刺青持ちが前線にいる』などという声も、ちらほらと」

「“罪人の印が四つ”だなんて、“人を殺さねば刻まれない”だとか……ねえ」

軍の女技官が言い添える。口紅の赤がやけに目についた。

 キサラギはしばし黙っていたが、やがて口を開く。

「それが“正義の形”というなら、そちらで好きに定義してくれて構いません」

  視線は合わせず、ただ窓の外を見たまま。

「――結果を見てください。焔羅は、誰よりも任務を遂行している。少なくとも、あなた方の派遣部隊よりは」

「……強いだけでは、足りないんですよ、キサラギ君」

 誰かが低く呟いた。

「国は“見せかけ”にも気を配らねばならない」

 キサラギは肩をすくめる。

「では、罪の印を貼り替えれば済む話ですか? 一枚皮を剥がせば、あなたがたの中にも似たような傷跡の一つや二つ、あるのでは?」

 一瞬、部屋の空気が凍りついた。

「……我々に対して、口の利き方を考えたほうがいい。こちらには、法も秩序も関係ない猛獣がたくさんいる」

 キサラギの冷たい声に男たちは息を飲む。

「”今”は、気まぐれで飼われてやってるが、いつ気が変わるか、わからないんでね」

***

 扉の外で、その会話を無言で聞いていた男がいた。焔羅だった。

 報告書を提出しに来た矢先のことだった。

(お偉いさん来るなら、ひと言くらい言えよな)

 ぼんやりそう考えていると、背後にふわりと気配が近づいた。

 振り向かずともわかる。殺気を隠しきれない、あの足音。

「聞こえた?」

 焔羅の問いには答えず、紫は扉の前に進み出る。腰に差した小刀へと手が伸びる。

「ストップ、ストップ、ウェイトよ。紫ちゃん」

 焔羅は紫を抱えるように静止する。

「離せ。あいつらを――ころす」

 低く、抑えた声。けれど、その瞳には迷いがなかった。

「いやぁ、紫ちゃんも若いね、なんか」

「…お前から、ころすか?」

「え?元も子もなくない?」

 俺のために怒ってたんじゃないの?とほんの少し涙目になる焔羅に、紫は軽く小刀の切っ先を向けた。

「…お前より、私のほうが」

 紫が何かを言いかけたとき、執務室の扉が開いた。

 中から出てきた男たちが、焔羅の刺青に軽蔑の視線を投げる。

「俗物の集まりだな」

 紫の瞳が、ほんのり紫色に光る。鋭い視線に気圧され、男たちは言葉もなく退散していく。

「では任務のほう、くれぐれも頼むよ」

 逃げるように去っていく背中に、焔羅がぽつりと呟く。

「…キサラギもあんな態度取るとまた嫌われちゃうよー」

「嫌われることも大事なんだよ」

 焔羅のぼやきに答えるように執務室の扉があく。

「……そんなことより、焔羅。報告書」

「もうちょっと、慰めてくれてもよくない?」

 軽口を叩く焔羅に、キサラギは珍しく表情をゆるめた。

 けれどその顔には、どこか疲れのようなものが滲んでいた。

 ふと、廊下の窓の外に視線を向ける。

 青空に雲が流れている。

 ――まるで、過去の亡霊たちが形を変えて漂っているようだった。


(……背負う、責任が俺にはある)

 だからこそ、誰よりも冷たく、誰よりも正しくなければならない。

 誰かが「獣」のふりをしなければ、仲間は生き残れないのだ。


***

 消灯時間を過ぎた冷たい廊下。

 地下にあるその棟では、鉄の扉の隙間からわずかに光が漏れていた。

 幼いキサラギは、隠していた小さな紙切れを手渡していた。焔羅、兆、そして数人の少年少女たち。

 紙には、簡素な地図と、脱出ルート。そして「決行:明後日番」と記されていた。

「止まってたら、誰かが順番に壊されていくだけだ」

 キサラギの声は低く、けれど一切の迷いがなかった。

 壁にもたれた兆が、乾いた声で呟く。

「失敗したら、拷問台、直行だな」

 その隣で、赤い髪の少女が小さく震えていた。

 焔羅が静かにその頭をなで、ふっと笑って言った。

「大丈夫。兄ちゃんが、何とかするから」

 少女は、ほんの少しだけ表情を緩めた。

 キサラギは一同を見回す。まるで自分に言い聞かせるように、はっきりと口を開く。

「俺が決めた。俺が言い出した。……何かあったら、全部、俺のせいにしていい」

 その言葉に、一瞬だけ場が静まった。遠くで誰かがすすり泣く声。小さく、こぶしを握る音。

 そしてキサラギが続けた。

「明日の明け方。第二管理門が半開きになる。見張りが交代する間に、死角ができる。そこを狙う」

 息をひそめるような夜の気配が、冷たい鉄の壁をすり抜けて、彼らの胸を締めつける。

 誰も声を出さなかった。けれど、その場にいた全員がわかっていた。

 今ここで動かなければ、誰かが次に壊れる。

 キサラギは目を閉じ、深く呼吸をした。

 遠くで、看守の足音が響いている。

(大丈夫。間に合う。俺が全部、引き受ける)

 ――それが、キサラギという人間の始まりだった。


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