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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第七章 大人になり損ねた子供たち
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小さな復讐

 それは、僕にとっての小さな復讐だった。

 死の恐怖から、生きる痛みから、逃げるように思考を手放した者たちへの、ちいさな報い。

 ナオは白い制服を揺らしながら、廊下を歩く。そこには魂の抜け殻たちがいたが、誰一人としてナオに触れることはなかった。

「…ナオ」

 前方からかけられた声に、ナオは足を止めた。頼りなげな顔、眉を下げた少年――タクミだった。

「…どうしよう、カナメが、終わりだって言ってた」

 手帳を握りしめる手は、震えていた。

 ナオはゆっくりと微笑んだ。それは凍るように美しい微笑みだった。

 タクミはほっとしたように頬を緩めた。

 だが、次の言葉はその安堵を裏切るものだった。

「…知らないよ?」

 その一言に、タクミの顔が揺れる。

「みんなが望んだ世界。それがこれなんだ。僕に決められることなんて、何もないよ」

 タクミは必死に震える指を抑えながら声を絞り出す。


「……ナオが言ったんじゃないか――もう何も考えなくていいって」

 タクミは瞳を揺らしながらもナオをみつめた。


「……どっちの“ナオ”? 僕はそんなこと、一度も言ってないよ」


 かすかな笑い声が漏れた。それは笑いとも、すすり泣きともとれるようなそんな声。


 タクミの顔から色が消える。しばしの沈黙のあと、彼はそっと窓辺に歩み寄り、身を乗り出す。身を投げ出す直前、タクミはナオの方を見る。

「…ごめんね」

 そうつぶやくカガミ様の顔は、神様でもなんでもない、ただの子供の顔だった。

***


 銀色の衣をまとった二人の子どもは、鳥かごのような部屋で並んで座っていた。

「今日は、あなたが行きなさい」

 扉が静かに開くと、片方が儀式へと連れ出される。

  残されたもう一人は、ただ無の部屋で虚空を見つめる。

 しばらくして戻ってきた子どもは、血と鉄の匂いをまとっている。

「……今日は、子どもがたくさんいた」

「そっか」

 お互いを呼び合う術を持ってない僕たちは、主語のない会話をぽつりぽつりとする。

「みんな、最後に、僕のこと睨むんだ」

「僕の時も、そうだったよ」

 感情のない同じトーンで、双子は話す。

「僕たちが、決めたわけじゃないのにね」

 その言葉はどこにも届かず、ただ、静かに二人の間に沈んでいった。

 ***

 ナオは、村で神の依り代として育てられた。

 双子であることは秘密にされ、ひとりの「カガミ様」として崇められた。

  二人で一体。それが村の結界であり、世界の秩序だった。

 彼らの存在は完全性の象徴とされ、徹底的に管理された。

 何もない部屋に閉じ込められ、名も持たず、声も分け合えず、

 交互に人々の願いを叶える“神の役”を演じ続けた。

 ときおり外に出ると、無数の人々が祈りを捧げ、

 生贄が差し出された。

 祝詞を唱える。神の仮面を被って。

 救いを求める者の顔。絶望に沈んだ目。

 そして、自らを神の使いと誤信した神官たちの、歪んだ優越感。

 それらすべてが、ナオの小さな心に、確かに爪痕を残していた。

***

「昨日、この部屋に子供が来たんだ。タクミって名前の子」

 片割れがぽつりとつぶやく。

「ナイフを持っててさ。僕を殺そうとしてた。でも、できなかったみたい」

 静かな言葉が、石壁にしみこむように広がっていく。

「僕、何もしてあげられなかった。…ただ無責任で、残酷なことしか言えなかったんだ」

 少しの間、沈黙が流れる。

「こんなことなら、僕が殺してあげた方が、あの子は…少しは楽だったかもしれない」

 悲しみに濡れたその顔に、声をかけようとしたその時。

「今日は、あなた」

 いつものように、扉が静かに開く。

 その日、連れていかれた片割れは、二度と戻ってこなかった。

***

「…ねえ、もう一人は?」

 儀式の前、ナオは巫女にそっと尋ねる。片割れが帰ってこないまま、一週間が過ぎていた。

 しかし巫女は、いつもと変わらぬ笑みを浮かべるだけだった。

「本日の贄の儀式のあとに、別の神事がございます。よろしくお願いしますね」

 答えは返ってこなかった。ナオはゆっくりと銀衣を羽織り、言葉を飲み込んだ。

 赤く滲んだ月が空に浮かぶ夜。

 いつものように、祠へと向かう。

 今日の生贄は名家の一家だった。最近、医者の娘が嫁いできたばかりの家。疫病に近い者を家の中に入れるなどと変わり者だと噂されていた。

――それは儀式などではない。ただの見せしめだ。

 縛られた一家の前に、こん棒を手にした神事たちが並ぶ。

 ひとりが、無言で振りかぶる。

 鈍い音が鳴り、血が弧を描く。家長の頭部は一撃で潰され、肉片と骨が床に散った。

 若い妻、幼い弟、そして母とおぼしき女の瞳が揺れる。

 絶望に染まったその目に、次々とこん棒が振り下ろされ、声なき悲鳴が洞窟を満たす。

 ナオの手が震えた。

 すると、隣に立つ神事がその手を強くつかむ。

「“カガミ様”は、こんなことで心を乱しません」

 低く、冷たい声。

 次の瞬間、ナオはこん棒に手を添えさせられていた。

 行動の意図がすぐに理解できた。つかの間。

「…カガミ様自らの手で送られる。感謝しろ」

 そう告げられ、腕を押されるまま、こん棒が振り上がる。

 そして、鈍い音が響いた。

 そこから先の記憶は曖昧だった。

 どこか遠くで祝詞が聞こえていた。

 その合間に、前髪の長い少年の姿が見えた。

 ナオを睨みつけるその目には、燃えるような憎しみが宿っていた。

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