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ある日、勇者の剣を抜いた。  作者: N.ゆうり
第七章 大人になり損ねた子供たち
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祈りの残響

 カナメは額を押さえながら、ふらつく足取りでレイのいる旧校舎へ向かっていた。胸元の ネックレス──ナギの“才能の石”が、時折光を弾けさせるように揺れている。

 廊下に転がる、生徒たちの抜け殻。水晶のように透き通った体は魂を抜かれ、暴走する器だった。カナメはその傍らを通りすぎながら、小さな儀礼刀で何体かを静かに切り裂いた。

 世界が崩れていく音がする。揺れる床、軋む壁、ざわめく空気。空間そのものがひずみ、カナメの精神も限界に近づいていた。

「……持たねぇ……」

 暴走する“世界”を、彼はネックレスを強く握りしめて抑えていた。ナギの想いが宿る“才能の石”──それはかつて、ナオが村を結界に封じたとき、カナメの怒りと願いを媒介にした鍵でもあった。

 廊下の先で、火花のような光が弾けた。その中心に、ナオが立っていた。

「……ずいぶん苦しそうだね。まるで、ヒーローみたいだよ」

 その声に、カナメは足を止め、肩を震わせた。

「……うるせぇよ」

 ナオの視線はネックレスに落ちる。

「あれ、ナギさんのだよね。“才能の石”。……でも、つらいでしょ? そんなふうに、無理して抑え込むの」

「……おまえだって、本当はいやだろ」

 カナメは顔を上げ、かすれた声で言った。

「誰かを巻き込んで、壊すのは……」

 ナオの目がわずかに揺れる。

「……もう、わかんなくなっちゃったんだよ。何が正しいのか、どこまでが自分なのか」

 カナメは一瞬、ナオの方を見ると、再び目を伏せる。

「……どっちにしても、もう終わるんだ」

 カナメはナオのそばに歩み寄り、そっとその肩に手を置いた。

「大事な片割れに……ちゃんとお別れくらい、言ってこいよ」

 そのまま、背を向けて歩き出す。崩れゆく空間のなか、カナメの足音だけが遠ざかっていく。

 ナオは立ち尽くし、俯いたまま、ぽつりとつぶやいた。

「……優しいね。カナメは」


***

 世界が崩れていく音が、遠くからも聞こえていた。

 水晶の粒が弾けるように、空間が歪み、色彩が滲んでいく。

 ユイは、誰もいない廊下に立っていた。心も体も、ひどく冷たかった。

 一枚ずつ、世界の崩壊を確かめるように窓ガラスを割っていく。

 ──なんで、わたしだけ。

 そう思ったことは、何度あっただろう。

 何もかも、終わらせてしまいたかった。

 この手で壊してしまえば、せめてこの孤独からは、解放されるかもしれない。

 自分も、世界も、全部。

 ──そのとき、背後から声がした。

「ユイちゃん」

 優しくて、けれどまっすぐな声だった。

 ユイは振り返らない。

 ここでは、廊下で振り向いてはいけない。そう、決められている。

「私には……大事にされる価値なんてないから。いつも一人だったの」

 その、くだらないぼやきは確かにノノに届いた。

「ユイちゃんのいた世界のほうが、くだらないよ」

 その一言に、ユイの心がかすかに揺れた。

「……ノノちゃん、何も知らないくせに」

 無性に腹が立った。

 無責任な言葉。期待させて、どうせ突き放すくせに。

「うん、何も知らない。……でも、ユイちゃんは知ってるじゃん」

 ノノの声は変わらず静かで、揺るがなかった。

「……数日しか一緒にいなかったのに」

「そうだよ。それでも私は、ユイちゃんの“自己価値を下げた世界”のほうに価値がないと思う」

 ユイの動かない背中を、ノノはじっと見つめている。

「……信じられないよ」

「信じなくていいよ。でも、私は言い切る」

 少しの沈黙があってから、ノノは言った。

「──こっちを向いて」

「……振り向いたらダメなんだって」

「そんなの、誰が決めたの?」

「……みんな」

「“みんな”って、誰?」

「……また裏切られるのが、怖いの」

「私は、裏切らない」

「……そんなの、わかんないじゃん」

「うん。わかんないね。だから──」

 ノノの声はまっすぐで、あたたかかった。

「ユイちゃんが、決めていいよ」

「……」

「──こっちを向いて」


***

 遠くから、足音が近づいてくる。薄暗い部屋に少しの光が差し込み。扉が開く。

 そこには満身創痍のカナメが立っている。学校全体から地響きがなっていたのは気づいていた。何かが起こっている。それがカナメの姿を見て確信に変わる。

 不安そうなタクミにカナメはいった。

「交代だ、でてけ」

「でも、カナメ…」

 不安そうにタクミは声を上げる。

「…珍しいな、”スケジュール”なのに、よ」

 カナメの鋭い目に、目をふせるタクミ。

「今回も、もう終わりなんだね」

「今回も、じゃねぇ、今回で、だ」

 タクミは悲しそうな瞳を浮かべ、「そうか」と一言呟き部屋をでていった。


 カナメは無言でレイの前に腰を下ろした。顔を伏せ、髪が目を隠す。その気配に、レイは小さく眉をひそめた。

「……なあ」

 不意にカナメがつぶやく。

「お前、前に言ってたよな。……俺は、話が分かるやつだって」

「ああ。今もそう思ってるよ」

 レイは即答した。

 カナメは小さく笑った。けれど、それは乾いた音だった。

「たいていの奴はさ。俺のこと、変わり者だとか、わかんねぇやつだとか言うんだぜ」

「でも──」

 レイの声は、静かに続いた。

「この中で、お前が一番、人間らしい顔をしてる」

 その言葉に、カナメは目を見開く。

 一瞬だけの驚き。そのあとに浮かんだのは、深く悲しい、痛ましいほどの表情だった。

 ──ナギも、同じことを言っていた。

「……はは……そうか」

 自嘲気味に笑いながら、カナメはポケットから鍵を取り出し、レイの足元に放り投げた。

「……もう、何回目かわかんねぇけど──たぶん、今回が最後だ」

 レイは黙って鍵を見つめている。

「神様はさ、復讐してんだよ、きっと世界に」

 沈黙のあと、レイがぽつりと問う。

「……救えないのか」

 カナメは少しだけ、顔を上げた。

「無理だよ。もう、魂は全部壊れる。……それに」

 言葉を切って、少し遠くを見た。

「ナギだけ残して、生きられるわけ、ないだろ」

 静かな、でも決定的な響きだった。

 ふたりの間に、しばらく沈黙が流れる。

 やがて、カナメがぽつりと言う。

「……学長室に行け。そこから外に出られる。……外には力も漏れない。あそこには、守り神みたいなもんがいるから」

 レイは足先で鍵を手繰り寄せると、それを拾って手かせを外した。

 立ち上がり、扉の方へと向かう途中、レイはふと足を止めて言った。

「……お前は、責任感のある男だよ。お前に救われた奴は、たくさんいる。──俺も、含めてな」

 そう言って、レイは去っていく。

 残された部屋で、崩れゆく世界の音に包まれながら、カナメはうなだれていた。

「……そうだと、いいなあ。ナギ……」

 カナメが胸のネックレスを握りしめると、ナギの“才能の石”が鈍く、そして強く光りはじめた。

「……ナギ、今だけ──貸してくれ」

 カナメの足元から空間がざらつき、黒いひび割れが走る。それは天井へと駆け上がり、世界そのものを侵蝕していくようだった。

 だが、石の光が放たれるたび、その崩壊の進行が一拍ごとに鈍くなる。

 石の力が、ナギの祈りが、世界の“解体”に抗いはじめていた。

「少しだけ……守りたいんだよ」


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